カトリック・典礼

伝承について

eireneさんが降誕祭に読まれる聖書の個所と伝承について考察をなさっている個所については上記のエントリで紹介した。たった数行の個所すら我々は「そのような光景である」と思っていたことが実は原典には存在せず、伝承によって培われてきたことに気付かさ…

クリスマスの過ごし方

カトリックの典礼歴では降誕祭(イエスの誕生日)の1ヶ月前から待降節に入る。この待降節からが新年となる。なもんでカトリック教会的には既に2006年か?とにかくこの待降節、信者達はイエスの誕生を待ち望むために斎戒沐浴するような時期である。心静かに…

典礼の美

塩野さんは旦那がイタリア人ではあるが、カトリック信者ではない。だから結構冷静な目で教会の効用を見ているようであるが、「キリスト者であろうとなかろうと、ローマに旅する日本人が教会を訪れ、その豪華さに唖然として、このようなところは神の住まいに…

合理性という名の悪魔

新自由主義とかいうシロモノに相当するかどうかはわからないですが、合理主義という考え方が排除する色々なものが存在する。 以前にも言及したと思うが、森一弘司教という人がいる。積極的に著作を出したり。最近は五木寛之と対談したりと、マスコミの露出度…

イェイツの著作を借りた。

画廊でイエイツの16世紀のおフランスのアカデミーの本を見つけたので借りてきた。 十六世紀フランスのアカデミー (ヴァールブルクコレクション)作者: F・A・イェイツ,高田勇出版社/メーカー: 平凡社発売日: 1996/03/01メディア: 単行本 クリック: 4回この…

守護聖人

カトリックはわが国の八百万の神のごとき聖人というのがいる。聖人はそれぞれに守備範囲があり、縁結びとか、うせものとか、妊婦の聖人、主婦の聖人、とにかく色々働く場所が違う。これを鑑みてもわが国の八百万の神、神社の神様みたいである。お陰でプロテ…

女性の祭司

先日のエントリで女性祭司をめぐって、karposさんとmadrigallさんのやり取りでコメント欄が充実し始めたのでまとめておこうと思う。 http://d.hatena.ne.jp/antonian/20050801/1122908769 # karpos 『こんにちは、あんとに庵さま。ちょっと印象を一言失礼し…

司祭の結婚

女性司祭の問題が出たついでに、司祭の結婚についても書いておこう。 magamitioさんがカトリックの神父が出てくるという設定の漫画を描こうとしておられ、以下のエントリで、情報収集しておられた。 漫画って本当に大変・・・ http://d.hatena.ne.jp/magamit…

教会芸術

ぐりちゃんが「福音宣教」というカトリックのギョーカイ誌にドミニコ会のカルペンティール師の芸術に関する文章が出ているから読めというので読んだよ。流石、ベアート・アンジェリコを輩出した会だけあって、芸術に一家言ある神父がいますね。 で、ユリアヌ…

伝統はたやすく壊れる

おガキ様と過ごした数日、あらゆる体力を消耗した。お子様の扱いに慣れていないわたくしにとっての非日常で、毎週こんなことやってる教会学校の方たちはほんとに偉いなどと思いました。そんな「ガキ嫌い」人間はわたくしだけかと思ったら、付き添いで来た主…

守護聖人

カトリックの信者は皆洗礼名というものを持っている。どんなガキんちょでも親父でもおばさんでも、持っている。聖人はたいてい他所の国の方だからカタカナだ。アンドレイ山田とかカテリーナ鈴木とか、吉本の芸名みたいでちょっと胡散臭い。こういうのは幼児…

死者と生者の間にあるもの

宗教というのはおよそこの世ならざるものを語るものだったりする。あの世とこの世を繋ぐものであり、死者の為に祈る。チベット仏教の「死者の書」はまさにあの世に旅立たんとする人を送り出すための祈りであり、命が尽きたあとの魂を正しい方向へと導く。多…

「典礼の精神」ヨゼフ・ラッツィンガーを読む6

もうぜんぜんお休みしていたんですが、再会でもしようかなと。 ラッツィの話では、東方ではイコンのように積極的に神との仲介的役割を果たす、つまり聖画は神秘と直結した存在であるのに対し、西方では古代からロマネスクに到るまではさほど東方と変わりなか…

「典礼の精神」ヨゼフ・ラッツィンガーを読む5

ロシアがまだソ連だった頃、シベリアを横断する鉄道でモスクワまでいった事がある。横浜から船で数日、津軽海峡を横切りナホトカに着いた。全てがくたびれ、なにもかも諦めたようなナホトカの町から鉄道で揺られ、一晩明けた翌日にハバロフスクに着いた。更…

「典礼の精神」ヨゼフ・ラッツィンガーを読む4

ロイターに強力候補と言われたラッチンガーさん。その本をぼちぼちとまだ読む。 ラッツィンガーは保守派と言われている。典礼には煩い。激しく煩い。きちんとした根本がなっちゃいないのが嫌いなのはドイツ人の性もあり、生真面目だ。しかし彼は第2バチカン…

「典礼の精神」ヨゼフ・ラッツィンガーを読む 3

いいかげん中国はもういいや。それよりこっちをぼちぼち読まなきゃ。 第一章「聖画像の問題」 画像と秘跡 イコンは単なる歴史的な物語の記述ではなく、もっと積極的な、つまりそれと相対することによる神秘的交流を目的としたものであるということを教皇文書…

「典礼の精神」を読む・2

第三部 芸術と典礼 /第一章 聖画像の問題 十戒の克服 旧約聖書の出エジプト記にはモーセが受けた人類に対する神の戒律が記されています。「十戒」はその為にユダヤ教の戒律となりました。その後生じた、キリスト教、イスラム教もこれらを共有しています。ヨ…

「典礼の精神」ヨゼフ・ラッツィンガーを、読む

教皇葬儀の司式で一躍有名になってしまったバチカン教理庁長官ラッツィンガー枢機卿。保守派の急先鋒などといわれ、確かに顔もノスフェラトゥみたいなので怖そうです。次期教皇コンクラーベ・トトカルチョではかなり高得点のオッズ。有力候補のアリンゼ枢機…

まとめ

後半、ほとんどただのラブコールみたいなものなので、説明する必要もないでしょう。 今回紹介した単元は、以上のように現代のカトリック教会が芸術をどのように必要とするかというカトリック教会の現代芸術への呼びかけです。こうした書簡以外にも、信徒の信…

救いをもたらす「美」

16 21世紀を迎えるにあたって、芸術家に対する私の希望は、あなた方が創造的インスピレーションを特別に強く経験することです。あなた方が何世代にも渡って伝える美が人々を驚かせるようなものであることを願います。生きることのそして人間の聖性に直面して…

創造者である聖霊と芸術的インスピレーション

15 教会でしばしば聖霊への祈りが響きます。すなわち「来れ、創造者である聖霊」Veni, Creator Spiritusです。「来れ、創造者である聖霊よ。私たちの精神を訪れ、あなたが創造されたこころをあなたの恵みで満たしてください」(24)。 聖霊、すなわち「息吹…

芸術家へのアピール

14 この書簡を私はあなたがた、この世界の芸術家の方々に、私の評価をあなた方に示し、芸術と教会とのより有益な共同作業を再び行うために著わしています。私はあらゆる時代においてより高貴な表現形式で芸術を特徴づけた霊的で宗教的な次元の深さを再発見す…

芸術は教会を必要とするか

13 教会は芸術を必要とします。それでは芸術も教会を必要とするのでしょうか。この問いは挑戦的に思えます。現実に、正しく理解するのであれば、それは正当で深い動機を持ちます。芸術家は常にものごとの隠された意味を探求し、その苦悩は言葉にあらわしえな…

教会は芸術を必要とする

12 キリストから託されたメッセージを伝えるために、教会は芸術を必要とします。実際、芸術は聖霊の、目に見えない、神の世界を知覚できるようにしなければなりませんし、できる限り魅力的なものにしなければなりません。ですから、言葉であらわすことのでき…

第二バチカン公会議の精神の中で

11 第2バチカン公会議は、芸術世界に対しても直接的な考察を伴う、教会と文化との間の刷新された関係の基礎を示しています。そして、それは開かれた、そして対話の友好的な態度のしるしの中に示された関係です。「現代世界憲章」の中で、公会議の教父たちは…

書籍紹介

上記の単元で度々言及しているヨゼフ・ラッツィンガーの書はこれ。↓典礼の精神 (現代カトリック思想叢書 (21))作者: ヨセフ・ラッツィンガー,浜田了出版社/メーカー: サンパウロ発売日: 2005/02メディア: 単行本 クリック: 19回この商品を含むブログ (3件) …

新しい対話へ

10 この人文主義と並ぶ近代において,文化と芸術の意義ある表現を生み出し続けたキリスト教徒は,神の不在によりそしてしばしば神への敵対により特徴づけられた人文主義の形成をも徐々に肯定したことは本当です。この傾向は、時折芸術の世界と信仰のそれとの…

人文主義とルネサンス

9 人文主義とルネサンスというすばらしい芸術の開花を生んだ幸福な文化的環境は、この時代の芸術家が宗教的テーマにアプローチした方法に重要な影響を受けました。もちろん、インスピレーションは、その様式あるいは少なくとも傑作のもつ様式のように、多様…

中世

8 続く世紀はキリスト教芸術の壮大な発展を証言します。東方では、イコン芸術が開花し続けていました。それは、神学的および美的に重要な基準に結びつけられ、ある意味でイコンが秘跡であるという確信によって支えられていました。実際、類比的に言って、秘…

起源

7 キリスト教がその起源に出会った芸術は古典世界の成熟した実りであり、美的基準を表現したものであり、また同時にその価値を具体化したものです。信仰は、生活と思想の領域同様に芸術の領域においてもキリスト教徒に、この財産から無意識に受け取ることを…