中世

8 続く世紀はキリスト教芸術の壮大な発展を証言します。東方では、イコン芸術が開花し続けていました。それは、神学的および美的に重要な基準に結びつけられ、ある意味でイコンが秘跡であるという確信によって支えられていました。実際、類比的に言って、秘跡になっていくことで、それはその一つの面あるいは別の面で受肉の秘義を現存させます。このことによってのみ燃えたち、そして光の無限の反射を薄明かりの中でかき立てるランプのある神殿の内部で、イコンの美を特に味わうことができます。パヴェル・フロレンスキーPavel Florenskijは次のように書いています。「日中の拡散する光の中で粗野で、重く、役に立たない黄金は、ランプあるいはろうそくのうつろう光により生き返る。なぜなら、今ここで、今そこで、きらめきの無数の輝きが天上の空間を満たすこの地上のものではないもう一つの光を示しているからである」(14)。
 西欧では、最初から芸術家は非常に多様な観点から出て、また彼らの時代の文化的環境の中に示された背景に従っています。時代の流れの中で蓄積されてきた芸術的財産は、優れた霊感を注がれた宗教的作品の非常に幅広い開花を含んでいます。今日でも鑑賞者はその作品に感嘆しています。まず第一に、典礼のための大建築が残っています。そこでは機能性が常に霊感と結びつき、美の感覚と神秘の直感から霊感を受けています。そこから芸術史でよく知られている様式が生まれてきました。カテドラルや大修道院の中で表現されているロマネスクの強さと単純さはゴシックの生命力と輝きへと次第に発展していきます。この形式には一人の芸術の天才があるのではなく、民衆の心がありました。光と陰の遊戯の中、時には堂々とし、時には繊細な形式のうちに、確かに建築技術についての考察が反映していますが、また「御稜威の」そして「魅惑的な」神秘である神経験に特有な緊張があります。この簡単な指摘と芸術の様々な表現から、どのようにキリスト教中世の長い世紀に及んだ創造的力をまとめればよいのでしょうか。常に人間的なもので示される限界のうちにあるにもかかわらず、文化全体は福音を含んでおり、神学思想が聖トマスの神学大全に結実した時代、教会芸術は神秘の賞賛に素材を従わせ、ダンテ・アリギエリのような驚嘆すべき詩人が、みずから神曲を形容したように「天と地に手をおく聖なる詩」(15)を作ることができました。
(14) La prospettiva rovesciata ed altri scritti, Roma 1984, p. 63.
(15) Paradiso XXV, 1-2.

パノフスキーゴシック建築の様式をスコラ学に重ねて解説した本を出していましたが、ロマネスクの素朴な美しさはやがてヨーロッパに広がってゆく修道院の発達と共にゴシックの秩序立った様式へと変容していきます。ゴシック自体は北方の芸術で、ローマの文化を踏襲した身体的な感覚を大切にするイタリアの人間には野卑なものと映ったようです。しかしゴシックはトレドにおいて活発だったアラビアの学問(数学、ユークリッド幾何学)が流入し、発展したわけで野卑とはほど遠い存在です。ただ「天の国の再現」といいながら過剰な装飾が為されていく中で、神秘神学の大学者、聖ベルナルドゥスは「祈りの邪魔だ。うざい。気が散る。」と、怒りまくっていました。まぁ、彼はアリストテレス萌えなピエール・アベラールなども嫌っていましたから筋金入りでしょう。
さて、教皇はここで「光」について触れていますが、キリスト教において光はイエス・キリストそのものであると考えられており、象徴的に今日でも多くの場面でそれは用いられているものですが、中世から近代に到る美術のなかで光学が重要な位置を占めていくのにはこうした考えがあったからなんですね。