『考える生き方』finalvent ちょっと気まずい気持になるけど日常をほんのり豊かにする著作

はてな極東ブログTwitterで活躍しているブロガーfinalventさんが本を出したってんで、購入して読んでみた。なんとなくちょっと気まずい思いがした。

考える生き方

考える生き方

はてなにブログを書きはじめた頃、finalventさん(終風先生)の「極東ブログ」を知り、以来、ずっと読者である。時事問題や社会のあれこれを英語圏の情報まで含めた広範な知見で書いている記事は読み応えがあり、日本のジャーナリズムが掘り下げない事柄への不満への解消にもなっていた。まさに考えるきっかけ、道標にもなり有り難かった。はてなブログでは日記形式でもっと気楽に社説突っ込みや、ちょっと考えたことのメモみたいな極東ブログで取り上げるほどではないけど気になることことを呟くように書かれていて、こちらも社会に動向を知るうえで助かっていたのと終風先生の社説突っ込みの妙が面白くずっと読んでいた。最近はTwitterの方に活動拠点を移されているがはてな日記の延長線で、よりラフな感じでつぶやいておられる。


終風先生は読書量が半端なく、ジャンル問わずの深い知識と幅の広さを持つ人である。何故か、平日も昼間っからTwitterなどをしている。沖縄に住んだことがあるらしい、パソコン系の技術的なことに何故か詳しく、キリスト教信者ではないのにやたらキリスト教に詳しく、今思っていることを自然に語るるわりには私生活が見えないという謎な人である。なわけでわたくしは終風先生のプロファイルを「早期退職した元ジャーナリストー調査報道するタイプ)で今はフリーのライターしてるけどそっちの仕事は本名でやっているけどお固い系(人文系)なのでネット活動とは連動したくない。通信社の仕事で一時期沖縄にいたことがある」と勝手に位置づけていた。(ついでに、思考形態と妙な斜に構えた欲のなさから東京もしくは東京近郊出身者ではないだろうか?と踏んでいた)

しかしである、わたくし的にはこれらのプロファイルは実はどーでもよくて、「沖縄に住んだことがある」「キリスト教に詳しい」という辺りで話題の共通性があることや、時々思い出したように語る死生観めいたことなどに親和性を感じていたし。また一部の人が「ほのめかし」として嫌う結論を簡単に出さないグレーゾーンや、語り過ぎないでとどめてしまうこと、寧ろその彼の言葉足らずに見える逡巡にある種の信頼感を感じていた。つまりネット上で語られていることそのもので充分であり、それ以上の私的な事柄については、どうでもいいといえばどうでもいいことであった。


『考える生き方』はその終風先生のブログ言論の舞台裏の本であり、ブログ上であからさまに語られていたわけでもない「ほのめかされた」様々な事柄のミッシングリング本であった。ずっとブログ読者であったわたくしにとってはそういう印象。ゆえにうっかり風呂場で着替えているところを覗いてしまった、公人の私生活を見てしまった気まずさ感を感じてしまったという案配である。

気まずいからといって、この著作がいかんというわけではない。腑に落ちたところは一杯あるが、そもそもそれ(ミッシングリング)はこの著作の主眼ではない。ただまぁ、思った以上に自分と重なるところが大きく驚いた。

南の島に住むことになった経緯(運命に巻き込まれるように、逆らうことなく移住)とその気持ちの変化、そしてまた本土に戻って来たこと。キリスト教(聖書学)を掘り下げてみた時期があること。ある種の挫折感を抱いて来たこと。一市民として世にいう成功者でなく、凡庸な一市民として生を終えるだろうということ、これらはわたくし自身のことでもある。

また死と向き合わざるを得ずにおられぬ個人的な事情。わたくし個人は自分自身での問題ではなかったが若い頃に親しき友人(生まれついての難病の持ち主)を亡くし、死の床についた彼に「自分のこの病には理由があるのか?」と問われたことが今もずっと澱のように心に残っている。結論も出ない宗教的な問い。死を約束された人と向き合って来た時間の長さ。

こうしたテーマ、沖縄、宗教、死生観、生きることと死ぬこと、がこの著作では散漫ともいえる形でちりばめられている。かなり手強い、それ一つ一つで一冊の本が書けそうなテーマを淡々と書いている。ブログを読んでいない人でも頭に入りやすいので終風先生のかつての言論を知らなくても大丈夫な仕様であるが、これを読んでブログを読むと更に味わい深いかもしれない。



そして教育論。

終風先生は「教育」が嫌いだという。「ほのめかし」として批判される態度にはこの「教育」への嫌悪が影響しているのだろうか。ただ「学ぶ」ということに関してはエキスパートである。この著作でも多くの単元を「学ぶ」ということに当てている。学ぶ姿勢について、英語やその他、このように会得していったという経験。要するに「誰かに教えられる」のは嫌いだけど「学ぶ」のは好きなんだよタイプか?傲慢だw しかしとにかくよく勉強する。

学んでると確かに暇はない。人生が少な過ぎると感じたりする。「豊かになる」と終風先生はいうがまさしくその通り。それは目的があって学ぶものでなく、好奇心、自然に知りたいと思う心が産む学び。それは贅沢でもあり、歓びに繋がる。



市井の人として普通に生き、普通に死ぬというのは、わたくしはそれはそれでいい人生だったと思うしこれからもそう思うだろう。その過程は大切にしたい。多くの人類、いやほとんどの人類はそうやって生きて死んでいった。挫折感めいたものはいつしか薄れ、今あるときを大切に生きよう。そういう気持ちを新たにする読書であった。

ところで、同書は一つの著作としては完成度は低く感じるかもしれない。なんせ興味深いテーマの各章、読んでる最中に盛り上がって来たとこで、え?そこで終わっちゃうの??と思ってしまうもんで。ゆえにブログに書かれたものがあるというコンテクストの中で読む本だと感じてしまう。しかしこれはそのコンテクストを知っているものだからの感想ゆえで、まったく知識なく出合った人はどう感じるんだろうか。興味深い。