「台湾海峡ー一九四九」龍應台 戦争が踏みしだいていく人々の記録

久しぶりにブログを書く。すっかりここ使うの忘れとった。今日は終戦記念日。ちょうど読み終えた本があったんで紹介でもしてみる。

台湾海峡一九四九

台湾海峡一九四九

台湾、中華民国という国はうちの島から近い。台風の時などは本土よりもよりいっそう親しみがわくぐらい災難を共有する近さ。伝統文化、歴史は琉球と密接に関わる。あらゆる琉球諸島よりでっかいくせに何故か「小琉球」などと言われていた時代があったぐらい近い。昨年は台湾中華民国建国100年などとやっていた。うちの祖母と同い年である。「台湾」島自体はその前から歴史がずっとあるし、国性爺合戦で有名な鄭成功の話はずっと昔のことである。だが、何故か建国100年。それは今台湾を実行支配している「中華民国」の歴史で、台湾の外省人の国の歴史であって、「台湾」の歴史ではない。だから建国宣言をしたのは台湾の地ではなく中国大陸でのことである。未だ中国の共産党政府と「中国」を巡って対立をしたり、近付いてみたりを繰り返している。台湾についてはそんな程度の知識しか持たない。日本の隣国であるのに実態は意外と知らない。あとは植民地化したにもかかわらず親日的だということぐらいか。

この本はTwitterふるまいよしこさん(北京在住のNewsWeekのコラムニスト)が勧めていたので手に取った。辛口な視点を持つ彼女が勧めるのだから間違いは無いだろう。上記のような知識の欠落の穴埋めをしてくれるかと思った。しかしこの著作は一つの国の歴史物語を超え、もっと普遍的な「戦争」という行為について問いかけて来た。

1949年、4年前に無条件降伏をした日本は台湾から撤退、代わりに中国から撤退した蒋介石の亡命政府が台湾島を実行支配することになった。
この、一行で終わる歴史の記述の影にどのような人々がいてどのような生を体験したのか、どのような死を迎え、どのような死を見つめたのか、それがこの長い著作のすべてである。俯瞰された国家間の歴史ではなく、そこに確かに生きた人間の物語。故に著者は「これは文学であって歴史書ではありません」という。この著では多くの人の「戦争」を知ることになる。ただ飢えているがゆえにひと欠片のパン欲しさに国民党軍に加わった少年たちの行軍。国民党に強制的に徴兵され二度と故郷を観ることも無かった人々。台湾で国民党に招集され、大陸の戦地で共産党軍の捕虜となり、共産党軍の兵として台湾人も含む国民党軍に銃弾を撃ち込む若い兵士。鬼子である日本兵と戦い、その後は同じ中国人同士で戦うことになった悲劇が生む光景。日本軍に徴兵され、捕虜収容所で監督官となり、その後、捕虜殺害の罪で戦犯として裁かれることになった台湾兵達。上官に命ぜられるまま動いた彼らはの罪はどこにあるのだろうか?

人々が語る過去の旋律の背景には、日本帝国、中華民国中国共産党、それぞれの国家(あるいは軍本部)が命じた非情な出来事が転がっている。それぞれの兵士の生きた顔と苦悩とは裏腹にそれはあまりにもグロテスクである。数えきれないほど多くの人々の人生がただ数として記録される悲劇的出来事。日本軍による南京における悲劇。長春では人民解放軍が国民党がいる長春を包囲、ここで30万人から50万人の人々が飢餓で死んだ。これは国際的に知られているのか?と著者は問う。「どうして長春包囲戦(で起きた悲劇)は南京大虐殺と同じぐらいの脚光を浴びないのか?」この出来事は長春人ですらもう知らない。そしてこんな壮烈な出来事もこの著作では数多ある一つの悲劇の光景に過ぎない。

戦争が生む悲劇の出来事は、国家の思惑とは別に、個人においてはただひたすら悲劇にしか過ぎない。戦争というものはその本質が悪である。

畳み掛けるように次から次へと語られるかつての国民党兵士達の証言、その家族の証言、解放軍、香港人外省人内省人、台湾先住民、日本兵の日記、連合軍兵士、彼らが大義ではなく、その時感じた、見た出来事。著者は龍氏はひたすら記録していく。著者、龍應台は台湾の外省人。ドイツに住む息子を持つ。ドイツの兵役の為に入営する息子の「良心的拒否」についての問いかけに答えるように彼女はこの著作を書いた。戦争を知らない世代へ向けて「戦争とはナニか」を教えようと。

わたしもまた戦争を知らない世代であり、しかし前の世代が体験したことを耳で聞いて育った世代ではある。大叔父は南京に一兵卒として行軍した。南京の悲劇の話を聞いたことがある。中国が積極的に問題にする前から日本ではその話は知られていたし、だから聞いた。大叔父は、兵站をまかされたので鶏を盗んで中国人に棒で殴られそうになった話と、河におびただしい数の遺体が流れていったのを目撃した話はしてくれた。「虐殺」については「あったとしても既に済んだあとに入城したようなので知らない、そういうことがあったかもしれないが」と言っていた。今ならもっと突っ込んだ話を聞くことも出来たかもしれない。今となっては聞くことも出来ない。

証言者が生きてるうちに話を聞き、紡いでいかなければいけない物語はあると思う。この著作はその為にも読まれて欲しいと思う。

この著作のいいところは著者、龍氏が善悪を判断しないところだ。戦争とは善悪を超えた、「戦争」それ自体は悪であり、巻き込まれていく人々は悲劇を経験していくだけだとわたくしなどは思う。これは「文学」だと彼女はいうが、歴史に相対するときに一番必要なまなざしは事実を記録することであり、彼女は彼らが証言する出来事を綴っていく。その点では歴史家に必要なまなざしで以て事柄に向かっている。そこから立ち上る哀しい記録はどのような政治的主張よりも強い。

原題は「大江大海 一九四九」
著者、龍應台氏のインタビュー記事が以下にあるので併せてどうぞ。

フォーサイト インタビュー
台湾海峡 一九四九』に見る日中台の歴史の傷口
http://www.fsight.jp/article/11666?ar=1&page=0,0&ar=1

補足

台湾における内省人外省人について
元台湾在住のネト友人から、外省人内省人についての指摘があったので。
記事でちょっとイマイチ把握出来てなかったので。
台湾における外省人とは第二次世界大戦後、中国から台湾に入って来た移民、主に漢民族内省人はそれ以前から台湾に住む高砂族などの台湾原住民と福建人(明代末期に流入して来た者が多い)と客家人。そーいや台湾の客家人の知り合いがいました。これらで構成される人々の間には対立があることも選挙報道などでよく聞きますが、この辺りに付いてもイマイチよく判ってないので、今後勉強しないとあかんです。