守護聖人

カトリックの信者は皆洗礼名というものを持っている。どんなガキんちょでも親父でもおばさんでも、持っている。聖人はたいてい他所の国の方だからカタカナだ。アンドレイ山田とかカテリーナ鈴木とか、吉本の芸名みたいでちょっと胡散臭い。こういうのは幼児洗礼者なら親が付けるし、成人洗礼者なら自分で付けたり神父につけて貰ったりする。カトリックの暦では毎日、聖人の祝日がある。だから誕生日の守護聖人を付けたりする人もいるし、尊敬する聖人の名を貰う人もいる。
うちの師匠などは見るからにおっさんだけど「フィリッポ」とかいう名前がついている。可愛い名前である。でも一応十二使徒の一人。しかしエピソードはあまりない。
どうしてそんな名前を付けたの?と聞いたら
「僕の誕生日の聖人はフランシスコなんだよね。」そっちの方がメジャーじゃん・・・
「なんでフランシスコにしなかったの?」
まだ、若造だった当時の師匠、濱ちゃんはこのすごくメジャーな聖人を知らなかった
「ん〜、調べたら乞食の親玉みたいな人でしょ、なんか嫌じゃない?」・・・・。
「・・・で、聖人辞典をぱっと開いて、指さしたところにあったのがフィリッポだったわけ」
・・という感じで、何も考えずに付ける人もいる。師匠はこの時、聖フランシスコを馬鹿にしたせいで、その後、その聖フランシスコの作った乞食・・いや、托鉢修道会に入る羽目になってしまった。自分の誕生日の守護聖人を侮ってはいけないのかもしれない。
私の誕生日の守護の聖人は、聖ペテロと聖パウロ。一応すごく偉い人だと思うが、じじいのコンビネーションは嫌だ。だからイタリアで人気のハンサムな聖人アントニオにした。こいつはイタリアとか南仏とかスペインの教会に行くと必ず聖堂にいる。下っ端のくせに人気がある。他の偉そうなベネディクトとかヤコブとかフランシスコとかドミニコとかの前に蝋燭が灯っていない時でも、このフランシスコ会の若造の下っ端聖人には誰かしら蝋燭を上げている。日本の宗教用語で言うところの「霊験あらたか」な印象だ。
事実、この聖人にまつわる奇跡のエピソードは多く、下っ端だからどうも天国でサービス残業をしまくるほど働かされているようだ。怠け者なのでそういう働きものの下っ端ぶりにあやかりたいという殊勝な気持ちはまったく持たずに、単に聖堂の像がハンサムなので気に入ったから、名前をいただいた。
・・・・・というわけで、今日はそのパドヴァの聖アントニオの祭日である。
パドヴァの聖アントニオの守護の範囲は、失せ物とか縁結びとか、神社のアレみたいなもので、彼に祈ると失せ物がでるらしい。私の場合、この霊名をいただいてからは傘をなくさなくなった。忘れても必ず見付かる。その見付かりぶりはすごい。数日間をおいても必ず見付かる。昔は買って2日目で無くしたとかすごい沢山傘を無くす人だったので、この霊験は本物のようだ。でも、財布は(生まれてはじめて、しかも東京で)掏られたのでそういう方面は守護してくれないようです。
霊名を貰った守護の聖人にあやかって、自分自身の信仰なども変化することがある。・・などと言う人がいるが、私の場合そういうあやかりはなにもないようだ。働き者のこの聖人にあやかりたいものだが、この島にいて、教会すらいかず、しかも神父やシスターが家まで来てくれるという、トンでもない状態である。怠け者が更に増長しているとしか思えない。しかも日常もなにもない島なので、家からほとんど出ない。困ったものだ。

尚、パドヴァの聖アントニオに関しては今どきISBNも付けないような光明社から以下の本がでている。

パドヴァの聖アントニオー伝記と説教」伊能哲大訳 小高毅監修 光明社刊

たぶん絶版だけど、復刊ドットコムとかで「出せ」とかいうといいかも。
(たぶん誰も気にしてくれないと思うけど・・。)