「典礼の精神」ヨゼフ・ラッツィンガーを読む6

もうぜんぜんお休みしていたんですが、再会でもしようかなと。
ラッツィの話では、東方ではイコンのように積極的に神との仲介的役割を果たす、つまり聖画は神秘と直結した存在であるのに対し、西方では古代からロマネスクに到るまではさほど東方と変わりなかった聖画がゴシック期に変容してきたということです。西方は元々アウグスチヌスや大グレゴリオスのように聖画はあくまでも教訓的機能を持つものであるという認識はあったものの実際には典礼的に差違はなかったわけです。
しかしゴシック期を境に変容していきます。ゴシック期というと民衆の教化がより進んだ時期で、民衆の信心が非常に盛んになっていった時代ですね。
十字架の道行きは元々フランシスコ会士がはじめた信心業でしたが、十字架の出来事がこの時代により着目された事情にはペストといった疫病の流行やイスラムの脅威、他民族の侵入など、不安な要素が取巻いていたという事はよく言われます。
ラッツイはこの現象をプラトン主義的なものからアリストテレス主義的なものに移行したからだ。というエフキドモフの思想を紹介して説明していますが、イコンはプラトン主義的な「感覚的事物を永遠の影と見なし、その中に原像を見いだす」が故に神に近づく装置である。というわけですが西方ではそういうまなざしが消えていったということです。民衆からの信心行がイエスの救いの物語の歴史的記述を説明するものへと変容させていった。キリストの十字架上の死という苦難を通じて救いの神秘に預かるという、より身体的な信仰となったと思うんですね。

中世のキリスト教信仰は萌え文化を発展させていったと思います。聖像はフィギアみたいなもんですが、物語が聖画という2次元的表現(よーするに漫画だわ)や3次元的なものに置き変えられ、人々はそこに萌えるわけです。いわば信心行は一種のキリストオタクの文化が作り上げたといってもいいでしょうね。
andy22さんのブログで「メイド喫茶」のことに触れましたが、「メイド喫茶」はただひたすらメイドさん的な空間に身を置き、メイドさんを愛でて愉しむ。という非常にストイックな行為なようです。勿論メイドさんに萌える殿方は本音は「あれやこれやしたい」とか妄想を持っているでしょうが、メイド喫茶における行動を観察する限り、やはり「愛でて愉しむ」以上の行動を見ることは出来ませんでした。ナニが楽しくてそんなトコに行くのかまったく理解出来ないのですが、そこにおられる方はなんとなく愛に充満しているような満足を得て帰られるようです。キリスト教の信心行などもそれに近いものがあるのかもしれません。

メイドさん文化については以下を参照のこと。

東大メイド研究会
http://maidken.hp.infoseek.co.jp/ 
メイドに関する神学(哲学)なども既に誕生しているようです。
ここでは「メイドに萌える」という現象が観念的に考察されている。

実際、中世の女子修道院などではキリスト萌えのあまりに、たとえば修道女の間で幼子キリストの像の取り合いが起きたり、キリストとの疑似恋愛現象などが度々見られたようです。磔刑象を見ながら涙を流したり、揚げ句の果ては聖痕を受けてしまう人も出て来ます。こういう人たちはいわゆる「のんけ」から見ると異常な人々かもしれません。しかしなんせ中世では当時最大の権威であった教会がお墨付きを与えているシロモノですから、安心して大衆は萌えられたわけですね。
このように西方の場合、聖画は「光景的」な場面として存在し、観る側はその聖画の物語に自ら積極的にアプローチしていくという印象ですね。東方と比べると非常に能動的な信仰の形だと思います。施療院などに置かれた磔刑図や最後の審判なども、その救いの物語に自らも預かるのであるという意識をもたらし、病人達の慰めとなったようです。ボーヌの施療院にあるロヒール・ヴァン・デル・ウェイデンの祭壇画は巨大なもので、病人達は常にこの最後の審判の絵を見る事が出来るようになっていましたが、現代的感覚ではどうも苦しんでいる時に地獄と極楽の絵なんぞを見せられたくないと思うものですが、当時の病人にとってはこれこそが最大の慰めだったわけです。