新しい対話へ

10 この人文主義と並ぶ近代において,文化と芸術の意義ある表現を生み出し続けたキリスト教徒は,神の不在によりそしてしばしば神への敵対により特徴づけられた人文主義の形成をも徐々に肯定したことは本当です。この傾向は、時折芸術の世界と信仰のそれとの間の、少なくとも宗教的テーマに対する多くの芸術家の関心が少なくなってきたという意味で,ある種の分離をもたらしました。
 しかし,教会がこのような芸術の価値を大きく評価することを育み続けてきたことをあなた方は知っています。実際,本物であるなら,典型的な宗教表現を超えているこのような芸術も,信仰世界と親しい関係を持っています。従って、教会からの文化の分離状態にあっても,芸術は宗教経験に向かって架けられた一種の橋を構築し続けています。美,すなわち日常生活を超えていく創造の実りを探求する限り,芸術はその本性からして神秘への一種の呼びかけです。魂のきわめて暗い深みあるいは悪の混乱状態の側面を注意深く観察するときも,芸術家はこのような仕方であがないの普遍的期待の声を生み出すのです。
 このため,芸術との対話に関して教会は特別な仕方で考慮し,そして現代において芸術家との新しい関係を具体的にしようと望んでいる理由が理解できるでしょう。これは私の尊敬すべき前任者パウロ6世が1964年5月7日にシスティーナ礼拝堂での特別な会見の間、芸術家に向けられた感動的な講話の中にすでに示されています(17)。このような努力をして教会は現代における美の刷新された「顕現」とキリスト教共同体の固有の出来事に適切にこたえることを願っています。

いきなり結びにはいっちゃってます。バロック以降のモダニズムやコンテンポラリー立場はどうなる?と思いますが、まぁ近代の美術、特にモダニズムは教会と対極の寧ろ教会否定の思想ですし、キリスト教美術に関しては精彩を欠き、つまらないと思っておりますので仕方がないでしょう。現代においては美術は教会においては積極的には省みられない傾向にあります。しかしムーブメントになりえずとも個々の作家には珠玉の作品がありますね。マティスの礼拝堂などがいい例です。