司祭の結婚

女性司祭の問題が出たついでに、司祭の結婚についても書いておこう。
magamitioさんがカトリックの神父が出てくるという設定の漫画を描こうとしておられ、以下のエントリで、情報収集しておられた。

漫画って本当に大変・・・
http://d.hatena.ne.jp/magamitio/20050731
出だしは神父と神父の助手である主人公が会話をする場面から始まる。

さて、ここである疑問が浮かぶ。

助手ってなんていうんだろう?

アシスタントなのだろうか?

小一時間ほど調べまくった所、やっと助祭という言葉が出てくる。

司祭というのがいわゆる神父様らしいので助祭でいいんだろう。

助祭は司祭になる前の前段階みたいな感じなことが書かれてるのでオッケー
かなと思う

が!!!

どうやら近年終身助祭制っちゅうのが出来て、助祭と言うのを司祭の下では
なく、同等の位で、司祭とは違った仕事をするみたいなことが書いてある!!!

困った!!!

じゃあ一体なんなんだ!?

ただ、常識的に考えて、なんの研修期間もないまま司祭になれるはずがない!!!

じゃあ司祭の前段階って何?

そしてさらに僕を叩き落す事実が判明する

「神父は結婚してはならない。」

ひ〜〜〜!!!

前の神父が妻に逃げられて心に闇を・・・と考えてた僕を根本的に突き落とす!!!

どうやら僕が神父と思っていたものは実は「牧師」であったことが発覚する。

世の中には牧師と神父も区別もつかないまま堂々と翻訳本を出したり、小説を書いたりする人もいる中でちゃんと調べようとしておられるのですこぶる感心しました。日本では色々誤解も多いのでありがたいことです。(特にクリスチャンは品行方正であるというイメージだけは壊したいものだ。何故かキリスト教徒は厳格であらねばならないなどと思ってる人も多いし、そのうえでその厳格さを批判したりするし、手前勝手にイメージを作り上げた挙句に批判するなよ〜という場合が多すぎなのでございます)
で、神父が結婚できないのはカトリックだけなのだ。しかもカトリックの中でもキプロス辺りのしばらく政治事情やらなんやらで交流がなかった古いカトリック教会(マロン派?)のなかには妻帯司祭もいたりして、バチカンが頭を抱えたという話もある。正教会は神父は結婚できる。でも叙階して(神父になって)からは結婚が出来ない。だから正教会の神学生は神学生のうちに血眼になって奥さんとなる人を探す。まぁ大変なようです。聖公会英国国教会)、ルーテル(ルター派)長老派、バプテスト・・ETCといったプロテスタント諸派は結婚が出来る。ルターは修道士で誓願したくせに結婚している。正直なお人だ。
実はカトリックも中世まではちゃらんぽらんで妻帯司祭が沢山いた。聖職禄を世襲にして私物化してる馬鹿もいたり、領主のクソ餓鬼を司祭や司教にしていいようにしたり、無茶苦茶であったので大グレゴリウスという人が頭に来て「司祭の妻帯ぜったいきんし!」と相成ってしまったのです。
そうはいっても、独身男性がぽつねんと一人でいるのは、不自然で、昔から教会には何故か「司祭の身の回りの世話をする女性」というのが存在していたりしたものです。そもそも修道司祭のような厳格な誓願を立てない教区の司祭は一人で住んでいる場合が多く、身の回りのことをやってくれる存在は切実に欲しかったりするだろうと思います。そういうお世話係の女性は司祭が変わっても同じ人が面倒を見るとか、身寄りのない年寄った未亡人のお仕事だったりするのだけど中には何故か、大きな声では言えないような人を司祭が連れてくる場合もある。「アマロ司祭の罪」とかいう映画にもそんな女性を連れた司祭が出てきた。
師匠濱ちゃんが以前ある教会に赴任していたとき、そこの教会の周辺に大層柄が悪い地区があり、ホテル街などもあった。いわゆるラブホテルと呼ばれるもので、そういうのを経営してる信者さんがいて「神父様、ご利用の際は言ってくださいね。などといわれたよ。」と言っておりましたが、真面目なお局さんに聞かれたら怖いジョークですね(^^;
で、magamitioさんから「神父が不義を働いたらどうなるの?」というご質問をいただきました。
まぁ、建前というか一応、神父の不義密通はとても恐ろしい罪なわけで破門!!!とか言われるようなことなわけですが、信者とて姦通の罪は大罪です。他人の奥さんを寝取ったり、或いは妻帯してるのに他の女と出来ちゃったらやっぱりすごい罪なわけです。破門!!!とか言われたりするぐらいのどえらい罪ですが、そんなことで本当に教会を追い出されていたら今のカトリック教会は存在していないでしょう。信徒12億とか言ってますが、真面目に追い出していたら1億もいないんじゃないか?などと思ってしまいますよ。
通常は告解をして「もう二度としませんですぅ」と反省をし、神父から償いの祈りを申し付けられたり、しばらくはミサに預かっても御聖体をいただかない等の罰を受けたりします。神父の場合ですとしばらく現場(教会)でのお仕事を停止。つまり一時的な停職処分を受けるなどして反省させられます。修道会などではかつては修道院内に牢屋があったりした所もありますね。逃亡する修道士とか不良修道士の反省室という感じでしょうが、教区の司祭のごとき一匹狼だとどうしていたんでしょうね。
司祭(神父)というのは単なる仕事ではなく、神から与えられた召命であり、神父になるというのは自分の意思でやめるとか簡単に出来ない、烙印を押されるみたいなものですから、せいぜい出来るのは実際の司祭の仕事を停止処分にさせることだけなのですね。
で、信者さんとラブラブになってしまって子供など出来てしまった日には大層なスキャンダルになりますがそういう時は教皇様に願い出てめでたく結婚という感じでしょう。
現に「司祭でやめていくものの多くは女性問題である」といわれるように、中途で辞めていく司祭は多いんですが、なんせ司祭になる為には最低でも6年ぐらいかかる。修道司祭だと10年ぐらいかかることもあるので、正直社会復帰は難しい。だから辞めるといっても簡単にやめられないのに、それでも辞めていく司祭は少なくない。女性問題で辞める司祭の多くは実は自分の道について悩んでいる人も多く、司祭という職務自体、自分にとって本当に神から与えられた道だったのか?という悩みを抱えている果てのことだったりもするので、多くの人はそうして辞めていく司祭をあからさまに非難するコトはためらってしまいます。普通の仕事なら単純に転職すればいいことですが、司祭はものすごくしがらみが大きいわけで、辞めるというのもものすごくエネルギーが要ることだとは思います。だから同情的な目で見る人も多い。勿論厳しい人はいるので批判の声も聞こえますが、それはどの世界でも同じでしょうね。離婚、転職。そういう場面に出くわしたときの人間心理と似たようなものです。
昨今はついにカトリック世界でも「司祭も妻帯した方がいい」などと言う人が増えてまいりましたが、奥さんによってはすごくやきもち焼きで女性信徒の相談に乗っていたら家庭不和になったとか、そういう問題もおきそうですね。どちらに転んでも強靭な精神力を要求されそうです。あと子供が出来てその子供が不良になったらあれこれ信者に言われるとか、嫌なこともありそう。
師匠、濱ちゃんが司祭になることを自分の母親に告げたとき
「そう。それは結構なことですね。頑張りなさい。
ところで結婚はいつするんですか?」
・・・・と、言われたそうです。
「いえ、カトリックの神父は結婚は出来ないのです」
・・・・と答えると、お母様は
「私はあなたをカタワに産んだ憶えはありません!」
・・・・と、泣き崩れられたそうです。師匠はとても困ったらしい。
どうも社会一般的には結婚できない人=普通じゃない人だった時代が長かったので、しょうがないと思いますが、(そもそも私も未だに独身だしな)結婚をしていないから没頭できることもあるという利点はあります。世界中どこにいつ行っても誰も文句は言わないし。野垂れ死にしそうな経済力しかなくても誰も文句は言わない。奥さんや子供がいたらそうはいかない。
司祭の仕事は24時間営業なので、独身のほうが好都合ではあるとは思いますけれど、現場の司祭は本当のところどう思っているんでしょうね。某御仁は「結婚するとめんどくさいから、丁度いい」などと豪語しておりますが。

ところでぜんぜん話は変わるけど、カトリックという単語で調べているとブッシュと仲のいいキリスト教原理主義カトリックだと勘違いしている馬鹿が結構いる。やだやだ。ブッシュなんか嫌いだよ。確かにラッツィ(ベネディクト16世)はちょいと原理主義だけど、信者はすこぶるいいかげんが異常に多い。あまりにも弛みすぎているのでラッツィが教皇に選ばれたのかもしれないけど、ラッツィが「ハリポタって問題あるよなぁ」などとほざいても真面目に耳を貸す信者は激しく少ないと思われ。某司祭は映画まで見に行っていたよ。