伝承について

eireneさんが降誕祭に読まれる聖書の個所と伝承について考察をなさっている個所については上記のエントリで紹介した。たった数行の個所すら我々は「そのような光景である」と思っていたことが実は原典には存在せず、伝承によって培われてきたことに気付かされる。
さて、上記の最後にも少し書いたが、待降節中の読書として「完全の鑑」を選んで読んでいるが、これは中世期に書かれたフランシスコ伝である。中世から修道会ではこのような聖人の「読まれるべき書・レゲンダ」を食事や祈祷の際の読書本として選んできた。(有名なのは「レゲンダ・アウレアー黄金伝説」であるな)現代でも日々の日課には聖書以外の霊的書物が読まれるが、たとえばフランシスコ会などでは師父の「レゲンダ」が読まれてきた。また祭日においては信者達の前でも朗読されてきた。「鑑ーspeculum」はその中でもとりわけ教化を目的としたもので13世紀に発展したシロモノということである。
とにかくこうしたフランシスコの伝承について、実は聖書並に様々な紆余曲折がある。
既にこの書でも会則を巡る兄弟達の不和、あるいは会則が厳しくなるんじゃないかと汲々する兄弟達の姿が描かれているが、フランシスコ会は師父が生きているときからとにかく問題だらけであった。もう兄弟達の仲が悪い悪い。(未だにそれを引きずっているせいか、なんとなく仲が悪いよ。兄弟性を殊更にいうのは仲が悪いせいだからとしか思えん)その性で彼の死後とにかく聖人の記録を・・規範となる記録を残しておこうじゃないかということでチェラーノのトマスという人が書いたという「伝記」が組まれる。
ところがこれが教皇庁の介入が少しあるとか、フランシスコの回心を強調するあまりに俗人であったフランシスコのアシジ時代の光景におけるアシジ市民の描写が聖人伝のお約束で悪く書かれていることへの反発とか、色々。とにかく不満を感じたものも多い。そして聖フランシスコ伝は様々な立場から様々なものが書かれる羽目となる。聖フランシスコという人を巡ってイエスの物語のごとく様々な物語が以後幾つも生まれていくことになる。かくして教会お墨付きフランシスコ伝。厳格派兄弟達ご推薦のフランシスコ伝、聖職者な兄弟達ご用達フランシスコ伝などが登場する。(そのうち会自体も分裂し、コンヴェントゥアルと改革派の小さき兄弟会とカプチン会にわかれていくけどね。)
ボナヴェントゥラの時代にフランシスコ会は異端の嫌疑を受ける。ヨアキム主義とか色々蔓延していた頃だ。ボナヴェントゥラは混乱した会の一致を見るために「大伝記」を記し、それ以外の伝記を廃棄するように命じる。当時としては苦肉の策ではあっただろう。ボナヴェントゥラの伝記は神学者が記したものの性か神学的であるというが読んだことないです。以後、ボナヴェントゥラさんの描いたフランシスコ像が伝えられて行くこととなる。「完全の鑑」はこうした風潮に対抗して出てきた書らしい。映画「薔薇の名前」にも出てきた厳格派「スピリトゥアル」の人々の手によって編まれたものらしい。彼らは映画でも見ての通り異端嫌疑で激しく糾弾されていくのであるよ。
「完全の鑑」に寄せられた解説、三邊マリ子氏によるとこうした幾つもの「伝記」の研究の先鞭を付けたのはポール・サバティエという人らしい。サバティエはプロテスタントであり、彼の研究によって永らくボナヴェントゥラの「大伝記」によって形成されてきたフランシスコの像を打ち破ることとなる。「完全の鑑」はこのサバティエによって「発掘」され現代に蘇ることとなる。まったく人文主義的アプローチはやはりプロテスタントの方がスタンスが軽く、本筋をついてくる。プロテスタントの本懐という処か。当時のフランシスコ会の人々にとっては、してやられたという形であるよ。ボナヴェントゥラの形成したフランシスコ像に安穏としていたところに現れた黒船のごときサバティエ。以後、それに対抗するようにカトリック側からの研究も進み、史的フランシスコを巡る研究が盛んになるのは、パラレルに史的イエス研究とかぶってくる。その様が面白い。
いくぶんロマン主義的なサバティエは聖フランシスコを善なる存在と見做すあまりに、教会の介入や、或いは兄弟エリヤといった人々を対立する側に置く。善と悪の単純な光景が描かれることとなるのだが、これは初期のフランシスコ会が直面した対立とも構造的に似ているのが面白いし、またサバティエのプロテスタントという立場が「教会の介入」というものを殊更に否定的に捉えていたからとも言える。歴史家は完全なる実証的立場に立つのは難しいといったところか。とにかくサバティエの与えた衝撃によって生じたフランシスコ像の変化は厳格派のリベンジといったところか。時代が変ると解釈も人物像の理解も変容する。
多くの異なる伝承は、たとえば福音書が、マタイとルカとヨハネとでは立場が違うために降誕の光景ですら描写が変容するように、それぞれのセクトで違う伝承を持ちたがる人間の本性を告げるとともに、現代に至る研究ですら「本当のイエスとはどういった人だったのか?」或いは「本当のフランシスコとはどういった人だったのか?」ということで頭を悩ませることとなるわけである。
しかし逆をいえばこれだけの伝承があるということ。その豊かさ。多くの人が感じ取った「彼」を我々は複数読むことが可能なわけである。それはある意味とても楽しい作業である。その長い時間の中で、どのような立場の人がどのようにそれを受け止めていったのか?その受け止めた人々がどういう人達であったのか、或いは受け止めた成果がなんらかの作品となって結実していく様に触れるのはまた楽しい作業である。「伝承」とは過去の多くの人が今ここにいる自分と心を同じくしているということの証しでもある。共に祈る人がいる。そういうことである。

・・・・・というわけで「完全な鑑」は厳格派の兄弟達によって書かれたものらしい。とにかくフランシスコは自分が理想とする「小さきもの」なこと「清貧」や「従順」「謙遜」を貫くために、常軌を逸した行動すらみせる。せっかく兄弟が彼のために造ってくれた木で出来た部屋を立派すぎるといい、小枝やシダで造ってくれなどと頼んだり(・・・おいおいまた造らせるのかよ?!)病気のための滋養を付ける食事が贅沢すぎたと熱があるのに首に縄を付け裸で人前に現れたり(兄弟達は心配してるんですが・・・・)人から借りたマントをを貧しい老婆にあげてしまった揚げ句、老婆が「コレじゃ服を作るのにたりない」と文句を垂れると仲間にも着ている服をあげろと要求したり。まぁはた迷惑というか・・・・。
とにかく変なひとだ。伝承が書かれるのも無理はない。ここまで変なのはキリスト教史を見渡してもそうそういないかもしれない。「キリストに一致したい」というただそれだけのことをやり遂げた変な男の伝承は何度読んでも面白い。
また同様に聖書という書に於いての福音書の違い、また多くの外伝、偽典もそのような「このように感じたい」人々の足跡でもある。そして教会が伝える慣習としての様々なこと。描かれる、或いは刻まれる、或いは謳われる、聖家族の像、イエスの像、イエスの物語。多くの人々の信仰の証しがそこにあり、その豊かな遺産が世界中に存在する。その足跡をたどることもまた楽しい作業であるよ。