まとめ

後半、ほとんどただのラブコールみたいなものなので、説明する必要もないでしょう。
今回紹介した単元は、以上のように現代のカトリック教会が芸術をどのように必要とするかというカトリック教会の現代芸術への呼びかけです。こうした書簡以外にも、信徒の信仰生活についての様々なこと、、或いは倫理の問題について、社会の問題についてなど(マスコミに関わる人々への書簡などもあった記憶が・・・)といったような色々な課題を、教皇教皇庁は公文書を山のように出しています。中には一冊の本になるほどのものもあります。生命倫理に関する公文書などは非常に多く、ヨハネ・パウロ2世体制のバチカンが人間の尊厳と生命について特に重要視していた事は伺えます。(ただ、ヨハネ・パウロ2世の名で出されたものは祈りに関するものや秘跡にかかわるものが多いようですね)
さて、この書簡は1999年に出されたものですが、日本のカトリック教会はこれを翻訳する気はまったくなかったようです。公文書リストにも入っていません。こうした態度にローマと日本の温度差を感じます。カトリック教会は地方(各国)の個性を活かすという事を念頭に置いていますから、日本の場合は日本のカトリック中央協議会カトリック信徒の教育を完全に任されています。日本の中央協議会は日本固有の文化などを鑑みて固有の指導方針を考えます。日本のカトリック中央協議会の今日の関心事はもっぱら社会活動と倫理の問題です。翻訳される公文書もそのようなものが中心です。ローマと違いかなりリベラルな考え方をしています。このように、ローマと日本、或いは各国の教会はその地方毎に様々な温度差が生じています。コンクラーベの行く末が云々されるのも、ものすごく幅があるからなのですね。
しかし情報化社会のなかで智慧がついた信者は、上司のいうことなど気が合わなければ聞きやしませんし、気に入った上司が他にいるならそっちに向いてしまいます。寧ろ信徒の中に優れたエキスパートがいたりするわけで浅い智慧では馬鹿にされてしまいます。その為に日本でも色々混乱が生じています。今日の日本のカトリック中央協議会の活動への批判はあちこちで目にします。司教達としてもやりづらい世の中にはなったと思います。
結局、こうした者たちを導く為にはあらゆる事柄に関して相応の深い知識を持たねばならないわけです。ヨハネ・パウロ2世はその点においてはやり優れた指導者であったということは、このような短い書簡などからも知る事が出来ます。あらゆる立場の人間に対し応答できるというのはとてもすごいことなのだと思います。