イェイツの著作を借りた。

画廊でイエイツの16世紀のおフランスのアカデミーの本を見つけたので借りてきた。

十六世紀フランスのアカデミー (ヴァールブルクコレクション)

十六世紀フランスのアカデミー (ヴァールブルクコレクション)

ルネッサンスの新プラトン主義のことをグニャグニャやっている研究者で、シェイクスピアのグローブ座についての本も出していた人だが、フィレンツェルネッサンスと連動しておフランスのアカデミーの動向をグニャグニャ書いているらしいよ。パリ大学ではない王様のお膝元でのアカデミー。反宗教改革期の精神運動としても興味深いよ。
しかし中世以上にルネッサンス期のこれらのアカデミーは神学と哲学がより一致しているという指摘。秘儀的、神秘主義的なものへの探求の方法論という点でなるほど。
ところでイエイツいわく音楽は神学のもっとも大切なものだと。「歌は魂の呪文である」とはプラトンの言葉だそうだが、気品ある優美さを育てるために音楽教育は重要であると考えたプラトンを教父たちは踏襲し、ピュタゴラス学派の末裔として「数と調和」を大切にしたアウグスチヌスへと受け継がれる。それゆえにまた中世の神学者達も音楽の道徳的使用について心を砕いていたようだ。
これらの思考は今もベネディクト16世ラッツィンガーだったときの著作「典礼の精神」に見られるように一部の神学者の受け継がれてはいる。しかし教会の現場ではすこぶる怪しい状況が蔓延しているので、残念なことに日本のカトリック教会ではこうした思想の反映を見つけることは難しい。
ユリアヌス先生なども再三こういうことを考えておられるようなので、本日のエントリからの一文など紹介しておきます。

http://iulianus.exblog.jp/3444636/
音楽はもっと根源的な部分で人を動かすものであり、それは常にあこがれを,
誤解を恐れずにいえば、エロス的なものをかき立てるものである。だから、
音楽を聴くことは常に精神を働かせて行くことになる。宗教的な表現を使えば、
神へと向かわせるものである。だから、それは単なる「癒し」ではない。人間を
より高次なものへと突き動かすものである。

しかしこの本・・まだ70ページしか読んでないけど内容濃すぎ。