「典礼の精神」を読む・2

第三部 芸術と典礼 /第一章 聖画像の問題

十戒の克服

旧約聖書出エジプト記にはモーセが受けた人類に対する神の戒律が記されています。「十戒」はその為にユダヤ教の戒律となりました。その後生じた、キリスト教イスラム教もこれらを共有しています。ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿はこの章のまずはじめに、「十戒」に記された「偶像崇拝」の問題を取り上げています。

神の十戒の第一は、神の唯一性を規定して、神にのみ礼拝すべきことを義務づけた後で、こう戒めています。「おまえは偶像、あるいは上の天にあるもの、下の地にあるもの、地の下の水にあるものにかたどったどのようなものをも造ってはならない」(出20・4、申5・8参照)

この戒は今も尚、イスラムユダヤ、そしてプロテスタントの改革派などによって守られていますが、カトリック教会、正教会聖公会やルーテルの一部などには像やイコン(聖画)などが存在しています。実は古代ユダヤでも聖画が会堂に用いられていた時代もあったそうです。

旧約聖書自体の中心にこの聖なるものの造形禁止から顕著な例外があります。それは至聖所に関するもので、あがないの座とみなされていた、黄金で覆われた契約の櫃です。(中略)神の顕現の場を覆って保護する神秘に満ちた存在は、まさに神自身の現存の神秘を隠すために、形に現すことが許されました。

櫃(アーク)は「レイダース」という映画にも出て来ましたが、十戒の石版を収めた箱で、ユダヤにとって大切なものでした。捕囚期に失われたといわれ、またエルサレムの神殿はこの聖なる櫃である贖いの場を守る幕屋でもあったのです。旧約の幕屋の建設の場面では非常に荘厳な建造物を構築することを神は指示しているのですね。その櫃をまもるケルビムの像は例えばカトリックの教会の祭壇の中心に置かれた聖櫃とそれを守る天使像とに受け継がれています。また正教会のイコノスタス(聖域と俗界を分ける聖画)の両脇にも必ず天使像がかかれていますね。こうした伝統は古代のユダヤから延々と受け継がれてきたのです。残念ながら今日の日本のカトリック教会ではこのような形式の祭壇をあまり見ることができません。しかし神田教会や長崎の教会、山手教会などの古い教会には今も残っています。

イコノスタス(横浜正教会のイコノスタス)
http://www.orthodox.jp/yokohama/icon/
正教会は頑として伝統を守り通している。その心意気やよし。
でも、実は日本の正教会は特に保守的だともいわれている。

(なんか疲れたので・中断 ちょっとづつ書いていくから待って下さいです。)