『講座 日本のキリスト教芸術 2美術・建築』

入院しているときに友人が土産にくれた本をおりを見つけては読んでいた。
↓これ。

このシリーズは日本におけるキリスト教世界の芸術を、音楽、美術・建築、小説 という区分で、一巻づつ出版されている。今までそのような括りで日本の芸術史を振り返ったことはなかっただろうから、その点では新しい試みでもあり、評価できると思われるが・・・・

いやはや、内容を読んだが、正直がっかりである。というのも日本のキリスト教芸術がやはり貧弱だったということを自覚せざるを得なかったわけだが、建築もなのだが特に美術たるや惨々たるモノである。言及のしようもないくらいすごく少ない。美術史を書こうにも書くネタがない。自ずと同じ作品を各書き手が書き綴る羽目になっている。

また、美術史家が少なすぎ、専門家の視点から語られていないのがほとんどであり、残りは作品を造る当事者だったり、発注側の教会に属する人だったり、で、イマイチ客観性がないか、素人レベルの内容。その為、読むに値する内容が少なくなってしまっている。専門的な美術史家が登場するにはあまりにも歴史もなければ、作品数も少ないから仕方がないのだろうけど、その為に表面的な解説にとどまるか、作品を列挙するか、およそ「芸術についての論考」の呈を為していない。多くはキリスト教関係の雑誌の特集やコラムを集めた、解説レベルでとどまっている。

作品を造る当事者は客観性を持つことはなかなか出来ない。どうしても主観に引きずられてしまう。自分を振り返ってもそうだと思う。だから作家やエンジニアは「芸術を俯瞰してみる」書き手としてはイマイチだとは思うのだが。

例えば、この書で建築について語っている建築家村上晶子氏の文はカトリック建築の歴史を語るにエンジニアの視点から書いており、なかなか読ませる。流石である。しかし彼女がそのプロジェクトに関わったであろう麹町の聖イグナチオ教会の聖堂についての記述となるとただの建築事務所の宣伝だ。あのどうにもコンセプトを徹底し切れなかったとしか思えぬアマアマの妥協的な部分を多数残したんじゃね?な建築を手放しで褒めちぎっている様には鼻白む。同時期に作られた一種の集中バシリカ様式・第二バチカン公会議仕様の建築を対比してみるとか色々あると思うのだが。平面図すら載せない。建築についての専門家の読み物としては手落ちである。

或いは、戦争芸術絡みで己のイデオロギー全開の文章を載せている岩井健作師の文は、党関係かなんかの機関紙のコラムか?という内容で、芸術を論ずる為の客観性に欠けている。戦争画、或いは反戦画というジャンルという切り口は面白いが、岩井師の文は論ずるにしても、絵が主体ではなく自分語りで終わっているのでどうにも困ったものだと苦笑するしかない。

つまり、まぁ書き手に著しく不足している実情が見えてくるのも結局日本のキリスト教芸術の、ことに美術や建築に関して精神が貧しすぎるというあたりだろう。

これは慶応大美術史の教授である前田富士夫氏が指摘している。前田氏はこの書の中では正教会美術研究の鏑木氏と並び美術史を専門的に学び、自身もその専門を教える立場にある数少ない書き手だが、彼は芸術、美術を豊かに伝えてきたはずのカトリックの伝統を日本のカトリック教会は全然省みない。などとぶりぶり怒っている。カトリック関連の教育機関ですら、音楽教育には力は入れているが、「美術には無関心だ!!!」と怒りまくりである。いやはや、そー思います。先生。

世界を俯瞰するならばカトリック教会も近代において、つまりモダニズム運動の時代に、美術と袂を分かち、カトリック教会内の美術は廃れ、風前のともし火化した。例えばフランスにおいて、聖堂内は度重なる革命や改革、ライシテの結果、多くの美術作品は持ち去られ、無残な石の壁のみをさらしている所も少なくない。

第二バチカン公会議以降、教会は再び美術の効用を見直し、典礼憲章等においても改めてその効用を明記し、ヨーロッパでの様々な新しい教会を中心とした芸術の取り組みなどに前田氏は触れている。しかし転じて日本じゃ、美術家個人、或いは司祭個人の力に負う活動でなんとか実現してきただけだと手厳しい。(・・・と言ってもあまりにも思い当たることが多すぎて、頷いてしまった。)

前田氏によると一応日本にも「カトリック美術家協会」なるものがあるらしいのだが、どこでなにを活躍してるのか誰も知らない。わたくしも知らない。都市伝説的にそんなもんがあるらしいと聞いたことはあるが。その「協会」は白柳枢機卿が会長を務めた時代もあったらしいが、社会活動に積極的で、社会関連世界ではあちこちの方面に名を馳せた、そんな力量を持つこの枢機卿が関係していたならもっと認知されてもよさそうなのに誰も知らない。いかに教会がまったく美術に対し、無関心なのがよくわかる。

まぁ、神父の描いた素人臭い絵や詩をシスターが本にして有難がっているレベルではしょうもないですな。内輪で成り立つ蛸壺世界なのはこんな所で現れているわけだが。「教会が内向きになっている」と批判している人々が実はナニも見ていない証拠ではある。

おそらくすごく優れた美術家は多いはずだ。麹町教会のキリスト像を作った中野滋氏などもっと知られてもよさそうなんだが。他にも隠れ優良美術家は沢山いるはずだ。

教会外での芸術活動をするとき、日本に於いては宗教画は概ね敬遠されがちである。面と向かっていわれたこともある。「抹香臭いのはちょっと・・」的に。或いは外来宗教ゆえに抵抗を感じる人も多いようだ。結局、芸術家がそのマイノリティな信仰を正直に吐露できるとなると教会内になるのかもしれない。しかしその場は残念ながら無関心によって奪われているとはいえる。

・・・というわけで、前田氏がぎりぎりと歯軋りしながら「ふがいなくないか?日本のカトリック?!」な文章がとにかく面白い書だったなぁという感じ。

あと、本文以外のコラムのいくつかは面白かったのと、久しぶりにイヨアン高橋師に出会ったので懐かしかった。息災でいらしたんですね。サンフランシスコで・・・。

ま。美術関連本出すなら口絵でよいから写真もっと載せて欲しいものだ。特に自分的には馴染みのないプロテスタント教会美術や建築に激しく興味アリなのに、小さい写真しかなくて残念だった。