というより今読んでる本『北回帰線』
ええと、先日ヘルマン・ヘッセの『知と愛』を読んでみたけど、主人公の秩序と対比される解放的な、本能的な性分の気まぐれな藝術家という設定がどーもなんだかな?と思ったのであるが、なーんとなく家にすっころがっていたヘンリー・ミラーの『北回帰線』を読んでいて、あ〜。ゴルトムント君は寧ろこれっくらいすごくはじけている芸術家という設定の方がいいんでないか?などと妄想してしまった。
- 作者: ヘンリーミラー,Henry Miller,大久保康雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1969/02/03
- メディア: 文庫
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ヘンリ・ミラーのこの小説ははっきりいって小説という態をなしていない。ただの詩文ともいえないが、筋があるわけでなし。
おりしも彼のいたオフランスはモダニズム真っ盛りで、ダダとかシュールレアリズム運動バリバリだったので、そういうパリの暴力的な放埓な空気をそのまま文章に封じ込めたという按配。
しかもほとんどディープなエロティシズム世界・・・_| ̄|○
女王様な娼婦に蝋燭たらしてもらってる男の光景とか・・・ってねぇ。読んでいてあまり楽しくないっす。もうどきどきする年齢でもないし。
ディープなエロティシズム世界、サド、バタイユという伝統を持つフランスで、しかもモダニズムと。それを融合して出来たのが『北回帰線』なんじゃろうな。手法としてもダダイズム的な、つまり今までの伝統的な手法を一切無視した詩文、文脈無視の文書の羅列等の詩文などを創作するトリスタン・ツァラ的な、或いは無意味なもの達が一堂に会するシュールレアリズム的な悪夢世界、自動手記の詩文等々、そういうムーブメントに身を置いているであろうミラーという作家ということは想像出来うるけど。
で、こんな無秩序世界に身をおいた芸術家が、ナルキスと出会ったらどうなるもんだろうか?なにやら溝が深すぎてもう精神的に出会えないかもしれない。その溝の深さが今のヨーロッパに横たわっているかもしれないけど・・ヘッセの生きた時代とミラーの生きた時代とはそう変わりないんだよね。ドイツとフランス・・それもパリという環境差もあるのかもしれない。1920年から30年ごろのパリって、なにやら怪しからぬパワーを秘めた印象がある。ミラーの「小説」はそれを巧く描き出している。
ところで、『北回帰線』というタイトルとそれを書いたのがアメリカ人というんで中学時代のわたくしはこの小説を、あたかもリンドバーグかなんかが見たであろう壮大な世界をたゆたう物語だと思い込んでいた。(まぁ、パリを蠢く人々を通じての人間の深遠なる壮大な本性世界をたゆたっているとはいえるけど。)
で、家に転がっていたこの文庫。実は兄貴の学校の図書館の判子がおしてある。しかもその上に「廃棄」という判子まで押してある。おそらくこの気のふれたような内容に気づいた先生が慌てて廃棄にしたんだろうが、それをもらってきたうちの兄貴ってどうよ?
しかしこの小説最後まで読み通した人ってどれくらいいるんだろうなぁ。わたくしはたぶん途中で投げ出すであろうことをここに予言しておく。
因みにエロと紹介しているが文章は美しいので、エロはさほど気にならないです。その散文詩のごとき不可思議世界を楽しめるなら贅沢な時間を味わえることを保証しますよ。どなたか挑戦してみてくださいです。読破。