陰謀論の風景

愛・蔵太さんトコで発見したこれ↓
○愛・蔵太の気ままな日記
[ネタ]キリシタンが日本の娘を奴隷として50万人も買った」という既知外テキストを信じている人がまさかいようとは
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060304#p1
元ネタはこれ↓
○株式日記と経済展望
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/5a197e856586baf726f6a0e68942b400
キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事
→このブログ主さんによるとムラーノのザビエルは金もうけが得意で、イエズス会のアルメイダ神父は火薬をほしがる大名に交換条件で日本人の娘を奴隷として売り払ったボス中のボスらしい。
むむ?アルメイダってのはデス・ピサロではなく真のラスボスの○○○○○のようだな!!!!!とんでもないヤツだ!!!イエズス会ってやっぱり鬼畜だ!!!!カトリック教会ってのはやっぱり信用おけないぞ!!!!

・・・・・・・・・と思っちゃうエントリですね。
まぁ、そもそもザビエルはバスク人ムラーノではないし、歴史事実か?否か?は愛・蔵太さんが突っ込みいれておりますので何も申しませんが、元ネタ本もとんでも系らしいうえに、引用された資料をこのブログ主はこの話を「広めねばならない!!!!」と息巻いている。どうもその目的はアメリユダヤ資本批判、ひいては竹中平蔵批判に用いたつもりなようだが、どう考えても無理がある。そもそもザビエルがユダヤって、バスク人の誇りたるザビエルを他の民族にしちゃったらバスク人が怒るよ。わたくしハビエル城までいって来ましたが、あそこはバスク人の土地だ。ETAが独立させろといってるピレネーの火薬庫だよ。(第一、スペインにおけるムラーノって気の毒としかいいようがない立場だったりするし、この光景における問題を現代のユダヤにおわせるのは完全にお門違いだよ。)
で、引用された文は「いのちのとりなし会」の歴史検証資料のようですが「キリスト公会」というキリスト教会みたいだ。

http://www.sagamiono-ch.or.jp/intercessors/intercessor_index.htm
「キリスト公会」って知らない。のでググッてみた。どうも福音派の教会みたいだ。
資料を読むと「日本のキリスト教宣教が失敗しているのは、切支丹時代にカトリックが植民地支配イメージ植え付けたからじゃね?」という話みたいだ。へ〜。だからプロテスタント福音派も苦労しているんだ。そりゃ気の毒に。
で、まぁ福音派といえばカトリックを蛇蝎のように嫌う急先鋒なんで、しょーがない。しかしまぁ確かにこの時代の近代カトリックが褒められたもんじゃないというか、シスマ時代とかルネッサンス期なんか「屑」と言ってもいい馬鹿が大量にいた事実は歴史事実なわけだが、不正確な歴史認識はいけない。数字が多いことが指摘されているが、それ以外にも「奴隷」という定義とはなにか?アメリカの黒人奴隷のごときものナノか?「女性のみ」ということなのでおそらく売春婦として売られたのか?もしそのような存在があったとしてそれを行ったのは本当に「イエズス会」なのか?全て厳密に歴史事実は検証されねばならない。歴史とは「このような事実があった」ということを探求するために行うことであり、護教の為、もしくはなんらかの批判の為に用いる奴隷的存在ではない。
しかしまぁ数字があやしい辺り「南京大虐殺」における数字のおかしさに通じるものがある。ことにこのエピソードを取り上げている人の多くが、右翼的な日本護教の立場にあったりする場合も多く「批判しているはずの同じことを他にもしてしまう現象」というものかどうかなぁ。果たして都市伝説なのか?歴史事実なのか?批判的になる前に客観的に検証するリテラシーが望まれる場面ではある。

で、大航海時代の欧州の聖俗な人々の野望と大名の攻防なら以下のサイトが良質。
○こん
http://konn.seesaa.net/article/12824038.html
■秀吉の慧眼によって救われた大航海時代の危機
綾川さんが拾ってきてくれたもの↓
○綾川亭日乗
http://d.hatena.ne.jp/andy22/20060301/p1
■[メモ]日本の人身売買の歴史
→戦国時代の農民はどうやら傭兵達の狩り場だったらしい。で、戦国の武士達は農民を南蛮人に売りつけ、安く日本人を買った南蛮人。売る方も買う方もどっちも罪深い。で南蛮人が「奴隷」を働かせた先は東南アジアのプランテーションとかだろうか?ジャワ辺りとか印度辺りとか?しかし西洋のいわゆる自由民でない「農奴」と「奴隷」の差とか、西欧近代文学辺りにそういうアジア奴隷の存在が出てきてもおかしくないのにあまりでて来ない処を見ると本国ではなく植民地に売り飛ばした可能性もある。日本人奴隷の末裔の話とか、現地の伝承で残っていないものかな?探せばありそうなものだが。明治期に貧しさゆえに海外に出稼ぎした「からゆきさん」の伝承は有名だけど、16世紀の奴隷達はどこへ運ばれたんだろうか?その末裔達はどうしたんだろうか?
綾川さんが紹介してくださったサイトがやっと繋がったのでご紹介。
○しゃも(鶏)が「勝手に解説するぜ!オイコラ聞けよ!」
■日本の人身売買に関して考える(前編)
http://ameblo.jp/syamo0001/entry-10007074564.html
■日本の人身売買に関して考える(後編)
http://ameblo.jp/syamo0001/entry-10007164593.html
→日本における「奴隷」の概念と西洋の概念の違い。

西欧人にとっては人身売買は「所有権の移転」です。
日本人にとっての人身売買は現代でいうと「派遣社員」に近いのです。

そういえば借金のかたに売り飛ばされるっていう話はよくありますね。「安寿と厨子王」の話とかもそんなんじゃなかったっけ?で負債分を延々はたらかされる遊女の悲劇とかは昔からありますね。
逆に、西洋人の概念では確かに「奴隷」は財産である。これらの伝統的概念は古代バビロニアに発する。
○古代の奴隷制
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-16-2.html
なもんで西洋人から見るとこんな疑問も生じるようだ。

日本人は奴隷たちをかわいがっている。
養子にしたり、娘を嫁に送ったり、ましてや奴隷という身分から解放してやる例はよくある話。
反面。
我々が奴隷を買い取らねば「奴隷を殺す」という人買い商人がいた、
非合法な手段で手に入れてきたのは明らかだ。こんなケースは希だけども。

債務を返せばそこで契約は終了なわけですから当然なのですね。日本やアジアにはそもそも「奴隷」という所有の概念自体が存在しなかったということか?ただし、「下人」という身分はいましたね。カムイ伝にも出てくる。百姓達から差別されている身分としての下人の「正助」という登場人物がいました。彼らなどはあきらかな「奴隷」的な存在でしたね。で、鬼畜な人買い商人も少なからずいたようで。誘拐、かどわかしという手法も存在していたようです。
ところで「秀吉は日本人を伴天連の奴隷売買から救った」というが、しゃもさんのサイト情報によると

秀吉が行った朝鮮の遠征で多数の朝鮮人ポルトガルを通じて売り飛ばされました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・_| ̄|○<日本人じゃないなら,いいのかよ?
どうも以下の本もよまにゃあかんようです。

【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))

【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))

○uumin3の日記
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20060302#p3
■奴婢
→朝鮮における「奴隷:すなわち「奴婢」の状況について。
両班って、ほんととんでもないな!!ということを以前uumin3さんに教えていただきましたが、トンでも両班親父は「チャングムの誓い」なんて韓流ドラマにも出て来ましたね。李王朝末期って、イギリスのエンクロージャーにある貧民みたいに多くの民衆が出口のない状況下におかれていたようです。うちの曽祖父もまさしく併合後すぐに朝鮮に渡り、こうした人々に対し自立支援の為の養蚕技術の教育をしていましたのでよく判ります。
◆◆
件の謎トンでも文書に関しては愛・蔵太さんが探求なさるのを待つとしても、キリスト公会資料の中の一文のこれはおかしいぞ?

日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神杜・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。

どうもこの文面から察するに切支丹殉教の聖人伝とは「切支丹殉教の物語とは自分達はかくがくしかじかのごとき被害者である」的な発想から殉教の悲劇を語り継いでいると思っているのだろうか?あれらのエピソードはイエスの受難、あるいは使徒行伝にみる使徒達の迫害の光景に通じるものであるが、それらの記録は被害者意識を持つためではなく、あくまでも事実としてただそういう光景があるということであり、誰かを糾弾したり自分が被害者であることを主張する為に語り継がれるものではなく、「自分達自身も迫害者になる可能性がある」とか、あるいは「自らの信仰のありようとはなにか?」「死を目前として貴方は真理の前にどうするのか?」という善悪の彼岸にあるもっと別のことを考える物語なわけで、だから「沈黙」という遠藤周作の文学が生まれた。それはかなり個人的な内面のことである。
どうも着眼点がキリスト教的にみて変だよ。

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上記のトンでも説?を取り上げているブログ
○屋根の上のミケ
http://blogs.yahoo.co.jp/yaninattyauyo/26178185.html
キリシタン大名が50万人の日本娘を奴隷に売却

元ネタの事実の検証「50万人の奴隷」はさておき、コメント欄における「キリスト教のイメージ戦略」ってなんだ????そんなものあるんかいな????ミッション系の学校が多いからキリスト教の極悪な過去は伝えていないとかそういう話になっとるが、うちのカトリック校では十字軍とか植民地支配についての批判とかやっていたよ。そもそも「キリスト教は善良だ」などと思い込んでいるのはたいてい部外者である、何故だか昔から不思議である。その性で教会にキリスト教信者は善良だと思い込んでくる人がいたり、揚げ句はキリスト教は善良であらねばならないからいい子でいなくてはならない。とかいう信者までいるようだ。イタリア人を見れば判るがそんな善良さの欠片もないな。わたくしもだけどね。カトリックに限定するなら善良さなどないと断言する。麻生太郎を見よ。あの毒舌のどこが善良なんだ???
カトリック教会の過去に関しては欧州は啓蒙主義が教会権力と戦ってきた過去もあるうえにカトリックプロテスタント教会からの批判に常に晒されてきたうえにマルクス主義からの攻撃もすごいので、今更「イメージ戦略」もへったくれもない。寧ろ不当な批判も多く聞かれるとは思うが。とはいえ護教的になってもよくはないわけで、どのような事実が存在したのか?ということは常に客観視しなければいけないだろう。
しかし、まぁあのコメント欄をみていて、「キリスト教のイメージ戦略」などという不可思議な言葉に、このように「陰謀論」というのが形成されていくのかもしれないなぁ。などと思ってしまいました。光景としては、まさにお隣の国が日本というイメージを貶める為に行っている手法と似ている。
ここのブログ主さんは「温厚でバランスのとれた思想の持ち主」とあるのでその判断力に期待したい。
(無理やり北朝鮮に結びつけているのもすごい手法だけど。北のトンでも国家を批判するのはいいが、なりふりかまわない手法は「特定アジア」の方法論と同じになってしまうと思う。)
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上記の歴史認識、或いは批判への態度として。
○uumin3の日記
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20060228
■差別を糾弾する口調
→なんらかの共通するものがある気がする。
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歴史認識ってのは難しいよね、まさにユリアヌス先生のアレが必要だよ。

教会史五箇条の御誓文

教会史は神学ではない。
教会史は司牧ではない。
教会史は教会の奴隷ではない。
教会史は祈りではない。
教会史は教会法の対象ではない。
http://iulianus.exblog.jp/4091029/