神学者に聞くベネディクト16世への評

toxandriaさんのブログで思い出したので久しぶりに懐かしい福ちゃんに電話してみた。こんなコムズな本を書いている方だ。神学を通じて神秘に出くわすタイプで面白いです。しかし正直、私の馬鹿頭脳では読めなかった。「黙想に使う」と称して時々一部を読むくらいだ。誰か読んで解説して欲しいです。

http://www.sanpaolo.or.jp/catalog/Book/180191.htm

神学者スコトゥスを研究する彼はミュンヘン大学で神学を学んだ。ラッツィンガーさんもいたトコだ。彼も実はコンクラーベの結果は意外だったようである。つまり穏健派の方がなるんではないかと思っていたようです。しかしラッツィンガーの聡明な頭脳には期待をしている。ラッツィンガーはじいさんだし、次の教皇の為のリリーフ的存在として活動するんじゃないかということ。教会のアイディンティティの見直し。つまり、しまっちゃうおじさん的な整理頭脳で、教会そのものの根源を見直したのち、次の教皇に譲るんじゃないか?ということ。(彼はキュンクの再評価を望んでいる。そして次世代の教会はその方向に進むことを期待している)全てを変えることなど一世代で出来ないわけで、今は第2バチカンで混乱した教会の建て直しは必須なんじゃないかと思うのですね。そして更に完成に向けて次世代に託す。まぁそういうことかも。
また教皇神学者ではなく牧者であることが先ず第一で、ラッツィは微妙に変るのではないか?と言ってました。たしかに教皇の就任の時の説教において、あれは彼自身が神学者や教理の番人ではなく牧者にならんとする彼自身への宣言でもあったかとは思いますね。牧者ならば、現実に教会によってもたらされている悲劇の問題の解決なども迫られるので、エイズとコンドームの問題などには柔軟な対応を求めたいという希望を持っていました。善と悪において、優先されるものごとの見直しはあるかもしれないなぁと申していました。立場がその人を変えるということはあるということでしょう。
様々な人が様々な立場で期待しているようです。
特に聖職にある方々は我々とは比べ物にならない責任があり、その立場でこれらの問題を考えざるを得ません。単に非難しているだけではなにも進まないということを知っています。今回のコンクラーベの結果も長いスパンで見た上での結論ではないかと。まぁそういうことでした。