師が語るベネディクト16世

我が師、濱ちゃんはラッツィンガーの本を訳したりしたのでラッツィンガーさんにはちょっと詳しい。
ヨゼフ・ラッツィンガーさんが何故ベネディクトを選んだのか。は、やはり前任のベネディクトゥス15世を意識してのことだろうとのこと。15世に関しては私も書いたが、そういう話に加えて師が教えてくれた話では、今の国際連盟の母体となる構想を15世は持っていて、国際社会の場で各国に働きかけていたらしい。うまく行きそうになったところでアメリカのモンロー主義によってアメリカが協力的じゃなくなった為にうまくいかなかった。表舞台には出て来ないが、影で奔走したのが彼だった。とかなんとか。(師の修道院の教会史専門のI神父が食堂でそんな蘊蓄を沢山垂れていたらしい。)私は近代史をよくしらないので「ふ〜〜〜ん」と思いながらも国連の旗にあるオリーブの葉を思い出しながら「オリーブの栄光・・・」というト本な「マラキ書の預言」のアレについて思いを巡らせていたのはいうまでもない。
で、師がいうには前任のその前のヨハネ・パウロという名は1世が司教に任命してくれたヨハネス23世とか、枢機卿に任命してくれたパウルス6世に感謝したからなんだけど「ベネディクト」は歴史の中での教皇の役割を意識した命名だからね〜。と、申していたが、そのような個人的な身内根性よりももっと大局的に物事をみようとする、つまりベネディクトという命名からもベネディクト16世の客観的で冷静な視点がわかる。と、そのように評価していました。ついでにヨハネ・パウロ2世はあまりにも早死にしてしまった前教皇の名前を受け継ぐしかなかった。当時のコンクラーベの偉いさんの間ではそういう雰囲気だったらしいです。へぇ〜×20
あと、ベネディクトゥス16世と言うのがいいのか?ベネディクト16世と言うのがいいのか?と聞いたところ「ベネディクト16世とわたしは言っている。」とのこと。カトリック中央協議会もそれなので、これからはそういう風にしないと混乱しそうです。でもヨハネス23世はヨハネスってラテン語で言わないか?と聞いたら、「それもそうだね。」と、まぁ無頓着。なんでもいいみたい。
ところで、わたくしめはずっとカトリックのカテキズムを師の書いた本で勉強させられていたのですが、勉強終了後「神父様。なんかいいキリスト教神学の入門書ありませんか?」と聞いたところ、ラッツィンガーさんの「キリスト教入門」を勧められました。いそいそと買いに行き、わくわくして開いた本は「入門書」ではなく「専門書」でした。(マクグラスのはほんとに入門書だけどなぁ・・・これはなぁ。)「キリスト教の本質」とでも訳してくれ。
madrigallさんがご紹介して下さったこれがその本です↓

キリスト教入門[endelure13]  価格:2,655 円 (税込) [在庫あり]
商品詳細
著者: ヨゼフ・ラッチンガー 訳者: 小林珍雄  版型: B5判上製  ページ: 244
ISBN: 4-7544-0013-8  発行: エンデルレ書店
http://www.sanpaolo-shop.com/product/1356

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当時の私にこんなむずい本がわかるわけもなく、放り出しておりましたよ。その後、この本の存在をすっかり忘れて「ドミヌス・イエスス」でラッツィンガーさんは悪評を極めたのが念頭にあり、たまたまエンデルレのバーゲン安売りになっているのを見付けまたまた読んでみようと、うっかり買ってしまいました。馬鹿ですね。
師、曰く「小林師の訳にはところどころ訳に意味不明瞭なところがあるので、留意して読むといいよ。」とのこと。たしかに文章が読みづらく頭の悪い私が読むには困難を極め、また放り出してしまいました。挫折を2回した嫌な思い出の本です。また読んでみようと今は手元にあります。
師、曰く。「ラッツィンガーさんは外交的には平和主義者で、教会内部では秘跡を中心に考える人だからね。」とのこと。秘跡の問題を突き詰めると、結局、倫理面で保守的にならざるを得ず、そうした批判は今後も引き続き起きるだろう事は予測されます。またイデオロギーや政治に深くかかわろうとする社会活動には距離を置きたい姿勢が批判されていますが、そもそもマザーテレサ自体もそうではあったわけです。彼女もまた特定の政治思想には与せず、おのれがやるべきことをやり続けた人ですから、一概に保守と目される人々が貧しい人々や小さい人々、虐げられた人の問題に目を向けてはいないというわけではありません。特定のイデオロギー固執してしまうことを嫌っているだけに過ぎないのでしょう。そこの違いがわからずに、安易に保守とかリベラルとか分けてしまうのもよくないことだなどとは思うのですね。
師は昔、神学校にいたころにラッツィンガーさんに会ったことがあるそうで「ナニか話したのですかい?」と聞いたところ「本を読んだです」と言ったらしい。それだけ?(^^;ラッツィンガーさんは「そう」と答えたということで、まぁ、そう答えるしかないよね。で、せっかく本を訳したのだから送ったのかと思ったら贈ってないらしい「だって、彼、日本語読めないじゃん。」いや。そういう時は普通、送るよ。「やはり、嬉しいと思いますよ。」「そうかぁ。そうだよねぇ。」「でも、今更、送るのもね・・・・」媚びているみたいで今度は嫌だそうだ。
この手の彼の書いた神学の本は版が変る時に「ベネディクト16世」の名前に変るの?と聞いたら、「変らない。教皇の名で出したらそれは不可謬になるから。」とのこと。教皇は自由に神学を論ずることも出来ない立場になるわけで、ラッツィンガーが引退して執筆活動をしたいと願っていたことを思い出して、少し気の毒になりました。もうこういう神学の本も書けなくなってしまうのですね。
まぁ、ベネヂクト16世さんはあいかわらず顔が怖くて仕方がないのは置いておいて、師のお陰で、すこし親近感を感じるようになりました。