ベネディクト16世の評価で左右にぶれる人々へ

私の友人でもあり同時に尊敬する神学者、ユリアヌス先生はこのように書いています。

玉響のコロッセオ 「A年復活節第五主日
http://iulianus.exblog.jp/d2005-04-22

今度ローマ教皇に選ばれたヨゼフ・ラッツィンガーが書いた(厳密な意味での著書ではないが)
といわれる教皇庁の文書『ドミヌス・イエズス』はまさにキリスト論をきちんと見直そうとする
ものであった。そうすればするほど、当然のことながら、キリスト教の持つ独自性、独創性、長
所を強調することになる。その結果、他宗教との違いはより明確になる。これは当たり前のこと
であり、ローマ・カトリックの中に向けて発表された文書なのであるから、その姿勢は間違って
いない。しかし、「他宗教との対話」にブレーキをかけるものであるとか、保守的だとかいう批
判が出る。だが、本当にそうか。保守的かどうかは別にして、「他宗教との対話」の障害になる
のだろうか。
(中略)
 一神教は自らの真理性を主張せざるを得ない。それは当然のことである。大事なことはその相
手の立場に耳を傾けることである。それに迎合することではない。たとえ、意見が対立しても、
それは立場の違いであることを認識することである。他の宗教に干渉することではない。自分た
ちはこの教えを信じ,それが真理であると信じている。そしてそれを生きている。このことを互
いに認めることである。どちらがすぐれているかを「比較」することではない。各々は自分たち
の教えが一番すぐれていると主張すればよい。しかし、他のものと「比べて」一番すぐれている
という必要はない。それは対話ではなくなる。対話はあくまでも自分の立場を明確にし、相手の
立場を認めることである。
 このように考えるならば、「他宗教との対話」というものはキリスト教の中で排除されるもの
ではない。他者は他者の価値観を生きているということを認めることが大事である。自分の価値
観を押し付けるのは、抑圧であり、支配である。(以下略)

悪名高い「ドミヌス・イエスス」それは批判の種となり、リベラルな立場の人の批判の対象となった。しかし本当にそうであろうか?回答はブログの全文を読んで欲しい。
ユリアヌス先生は実は神学でも特に過激だ、リベラルだと言われるシュライエルマッハとかレオナルド・ボフとかを高く評価し、同時にラッツィンガーと気の合ったバルタザールに萌えている。とにかくあらゆることに垣根がない。寧ろ超過激なリベラルに分類される方だと思う。カトリックの中の極左だ。その彼が「ドミヌス・イエスス」をこのように評するところが面白い。*1

このような自立したまなざしこそ大切だと思う。知に誠実である人間こそあらゆる垣根を越え、真理に到達する。
そのまなざしに関してはこういう好著もある。

「ただ一人」生きる思想 (ちくま新書)

「ただ一人」生きる思想 (ちくま新書)

八木先生はキリスト教徒でもなんでもない。その視点からカトリックの神学。それも現代のカトリック信者が避けて通る中世スコラ哲学、そのなかでも超難解なスコトゥスに真っ向からぶつかっている。(同じ立場の人に清水哲郎という人もいて彼の場合はオッカムだ)変な人だとはじめお会いした時は思ったよ。清水哲郎氏の場合は以前はクリスチャンであったということもありその変遷は理解出来るが、いきなりスコラそれも、スコトゥス?????どうも哲学の人々は私のごとき凡人と違い一味違うみたい。
とにかく、まぁ、是非、読んでもらいたいなどと私などは思うのです。
個として自立した視点で他者の構築した属性などにとらわれず、あらゆることを再評価してもらいたいですよ。特にマスコミ。。。ほんとにラッチンガーさんの本を読んで記事を書いているのかぁ?きちんと理解したうえで、批判する、あるいは肯定するならそれは確かに正当だと思うのだ。ましてやワイドショーレベルの興味でヒトラーユーゲントとかに真っ先に反応してるようでは情けないづら。(というか、マスコミはそういうもんで期待する方が間抜けなのだろうけど)

で、案の定、ワイドショーレベルでのネタで国際間の争いが?
天漢日乗さんが↓以下で取り上げておられます。経歴の乗ったサイトもご紹介。

天漢日乗
http://d.hatena.ne.jp/iori3/20050422 

日本人が子々孫々永遠に戦犯呼ばわりされるがごとくドイツも悩ましい問題を抱えているようだ。



↓こちらは哲学の方のサイトのようで、淡々と外国のマスゴミ記事の紹介とURLを取り上げておられます。
他のエントリーも読みごたえがある内容ですね。
八木先生の本も取り上げられていました。流石、深いです。

Meditationes
http://d.hatena.ne.jp/eirene/20050422 

特に、断罪された神学者リストは面白い。何故断罪されたのかおおまかな想像はつくけど、それへの評価はそれぞれの著作に当たらないと結局最終的になんとも言えないです。(デ・メロさんがいない?)ただ紹介されたマスゴミの反応はステロタイプで日本だけが例外といえないようです。もっとも秘跡という観点は世俗の観点とはズレがあるのでしょうがないかも。しかし和を持って尊しとなす日本と違い個人主義が発達している西洋のマスコミですら、このように評価するというのは。。。知への誠実とはまこと難しい道なのかもしれないですよ>ユリアヌス先生。
で、ユリアヌス先生の話ではイタリアの左派マニフェストでは「コンクラーヴェ出来レースだ!」と申しているそうな。教会そのものを否定しているイタリアの左派も実は教会にこっそり期待していたのか?と少し面白かった。

とにかく、まぁ、悩ましい方は著作を読んでみて下さいです。でも顔が怖いと思うのは仕方ないと思う。

*1:追記・これを読んだユリアヌス先生が「僕ちゃんはシュライエルマッハは扱ってない。読んでない。」とおっしゃっていた。すまんです。いつも過激なので混乱した。フォイエルバッハと間違えたかもです。で、「キュンクがいい。」とおっしゃってました。今はキュンクと格闘中。マルクスといい、ラッツィーが嫌いなものが好きなのだな。いつか破門されるぞ。