『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』佐野眞一 打ち砕かれる南島幻想

島はついに梅雨が明けて凶悪な天候に晒されていて大変。先日まで寒いです〜などと言っていたのに、いきなり刺すような陽光に焦げつく大地から立ち上る湿度で暑さ倍増感。洗濯物は速効で乾くが、身体はそれについていかない。お陰で仕事をする気が全然起きないのには困ったものである。へろへろである。
暑さ慣れするにはしばしかかりそうだが、湿度が抜けるともちっと過ごしやすいから我慢のしどころである。

で、先週ずっと降り続いた雨の日々に読んだ本

沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史

沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史

ずっと読もう読もうとしていたのだがやっと読んだ。

佐野眞一の著作は『誰が「本」を殺すのか』を読んだぐらい。しかし興味深いなと思いつつも読みそびれている『阿片王』など、着眼点はジャーナリスティックなそれではあるが面白いという印象がある。本書もその独自のスタンスから書かれていて、分厚い600頁以上の著作にも関わらず一気読みしてしまった。

佐野はヤマトとは違う独自の王朝の歴史を持ち、また本土とは異なる戦後体験をし、今もまだ占領下にあると言って等しい現状に置かれている「沖縄」にある生きた人間達の様々な相貌を描く。


本土で語られる、ことに左翼知識人によって形づくられた、被害者としての島、聖人化された、押し付けられたイメージや、また経済人が宣伝するような、青い海、トロピカルな南国の楽園イメージというような、本土人にある南島幻想へ、佐野は疑問を持っている。それは花村萬月も感じていた事ではあったが、佐野は南島幻想の影にある、リアルな生活、更には闇を拾い上げる事で、そうしたステロタイプな「トロピカルな無垢」を批判している。

トロピカルな無垢。というのは観光地化する為の話法としてよくありがちで、バリ島なんかもそういう扱いがされていて、なんかなぁと以前思った事はあった。同じようなことで以前、我が島出身の硬派な言論人、喜山荘一氏がモノした、奄美という固有の歴史を持つ島々の問題を描いた著作『奄美自立論』が某情報サイト(鹿児島県が主体の島サポートサイト)から紹介を断られたというエピソードを思い起こす。
与論島クオリア
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2009/05/post.html
■しかし、めげない、めげない。

喜山さんはうちの島の人に共通してみられる温厚な方なんでそんなに怒っておられないが、短気な私はこの話を読んで大層腹が立ってしまった。鹿児島の島サポートは観光的な幻想からはずれた者はサポートしないのか?などとプンスカしてしまった。もっとも、断られた理由がはっきりしないのでよく判らないのだが、少なくとも沖縄関係のサイトだったらきっとこうした歴史問題なんかも取り扱うだろうに。寧ろ積極的に。

まぁ、そういうわけで、左翼が描く被害者としての無垢も、トロピカル的な無垢も、南島の幻想にしか過ぎない。
南島は南島で独自の宇宙があり、そこで起きた「戦後」の光景は、本土で起きた戦後の闇と対して代わりがない。ただ島という小さい世界なだけに、ミニマムにそれがあるとか、関係者の島人のどこかなんくるないさぁな反応が、独特といえば独特である。

この著作はそもそも月刊プレイボーイ誌に連載されていたもので、雑誌連載の宿痾からは逃れられてはいない。つまりまぁ盛りだくさんで面白いのだが、掘り下げ感がイマイチ。しかし雑誌という制約を鑑みるとよくここまで食らいついているなと逆に感心する。

取り上げている題材は、基地問題、戦後処理、戦後の混乱、アメリカ世、沖縄の警察、沖縄経済、右翼、沖縄ヤクザ、ユイやモヤイ。沖縄の闇金融、沖縄の偉人怪人、沖縄の有名企業、沖縄音楽や沖縄出身の芸能人、少女暴行事件、そして沖縄に差別される奄美・・・と記すだけでも多岐で、一つ一つで一冊の本が出来るようなものでもある。
ただ、沖縄に興味がある人にとってこれは本土人の幻想に彩られたものではない「リアルな沖縄」の入門書たり得るとも思う。
もっとも、些か露悪的な要素を「ちゃんぷるー」していると思うので、もっと普通な人々の普通な生活感ってなものがあるとは思うんだが。

幾つか目からウロコだったのは、アメリカ世絡みで、日本留学とアメリカ留学が奨学金で為されていてアメリカが全額面倒みていたとか、しかしそれは「*ただし親米にかぎる」であるとか、本土やアメリカとも隔絶されているんで、本土で60年安保の学生運動が盛んだった時代に、マルクスなにそれ?おいしいの?状態なほど共産主義ってのがよく判らなかったとかいう辺りか。

うちの島絡みだと、沖縄本島人、つまりうちなーは奄美を差別していたという話で、この差別の光景はかなりえぐい。
その経緯が書かれているんだが、奄美が日本に返還された事で奄美人は外人になってしまったこと(つまり移民としてすら認めてもらえない)で、あらゆる基本的人権を奪われた。
公的機関や公的企業から締め出され、銀行の総裁も突然職を失った。ある公社の入社試験で成績のいいのは奄美人ばかりで、職をとられると思った沖縄人が陳情し、奄美人の採用をしない取り決めが出来た。アパートに「奄美人お断り」という紙が貼られ、男はヤクザになるか女は売春婦になるかしか道は残されていなかった。
今でこそリベラルを気取っている沖縄タイムスなんぞはこの差別を助長するかのような記事を書き、奄美群島出身者の犯罪ばかりを書き立て、奄美人は凶悪でタチが悪いイメージを作り上げてた。沖縄タイムズって相当酷いが。。。これってデジャヴ感があるよなー。どこぞのSではじまる新聞社みたいっつーか。外のものを排除する時にみられる典型の心理っていうか、世界中でこういうのはある。沖縄にある偏狭ナショナリズムも世界中に存在する偏狭ナショナリズムと単に同様であるに過ぎず、しかしそれは度し難い。しかしつい「沖縄タイムズだけは赦さん」とか思っちゃいましたよ。

とにかく、本土で差別されていた沖縄人が同じように奄美人を差別していたという事であった。これについては以前から沖縄人の他の島を語る時の口調で感じていた事だが。まさに奄美は二重の疎外にあっているという事の典型例である。

そういうわけでついでに奄美の疎外について喜山さんが書いた本をあらてめて紹介しておく。

奄美自立論 四百年の失語を越えて

奄美自立論 四百年の失語を越えて

私は旅んちゅで、しかもいきなり我が島にやって来たので、奄美も知らなきゃ、鹿児島も知らず、沖縄も知らなかった。沖縄は島に行く時の乗り換え地点でしかなく、未だ首里城ひめゆりの塔も見たことはない。鹿児島に至ってはあまりにも遠くてよく判らず、指宿が鹿児島にある事を最近知った体たらく。奄美は新聞取ってたんで少し知ってるけどやっぱりよく判らない。
ようするにうちの島以外の事はナニも知らなかったのだが、喜山さんをはじめとした、琉球弧の島んちゅ達が発信していくものに触れていく事で自ずと興味が湧き、少しだけ世界が判るようになっては来た。しかし沖縄の圧倒的な情報量に比して奄美はあまり語られる事はない。しかし少しづつ発信していく者が現れ、お陰で少しづつ知識は増えてきている。

◆◆
この書の最後の章にあるのは沖縄で起きた少女レイプ事件である。

最近イラクで起きた少女レイプ事件が話題になっている。

イラク少女暴行殺害事件の米兵に禁固110年の有罪判決
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2263862/2004139
事件は2006年3月、バグダッド(Baghdad)南部の町マハムディヤ(Mahmudiyah)で、14歳のイラク人少女Abeer Kassem Hamza al-Janabiさんが米兵5人から性的暴行を受け、Janabiさんを含む一家4人が殺害され、自宅が放火されたもの。軍法会議はスピルマン被告が犯行グループの一員だったと判断した

占領下の兵士の暴力は弱いものに向かう。
佐野の本のはじめの方に記されたある光景。
あるベテラン刑事が泣きながら写真を火にくべていた。その写真はレイプ事件被害者。暴行された女性達の悲惨な証拠写真の数々だった。書き写すのははばかかれるような光景が写っている。刑事曰く・・・
「おい、よく見ておけ。アメリカはこんな事をする国なんだ。でも日米地位協定に阻まれ、結局迷宮入りにさせられた事件が多かった。これはその証拠写真だ。」

沖縄の米兵によるレイプ事件はかなり深刻である事は以前から知っていたが、このエピソードは生々しい。