『黄泉の犬』藤原新也 藤原流オウム真理教麻原彰晃解釈

足止め喰らった那覇では暇だった。まぁ観光する元気がなかったのに加えて土砂降りの雨だったからだ。ただ、時間はくさるほどある。テレビは琉球なテレビしかないのを知っているんでつまらんし、雨の所為で当然だが出歩きたくない。古いホテルでネットも出来ん。本でも読んでだらっと過ごすがよいのだが、持ってる活字媒体と来たら、羽田で買った週刊文春週刊新潮だ。しかも羽田那覇便で読み尽くしてしまった。
仕方がないのでタクシーで、パレット久茂地(でかい本屋がある)まで行って本買って返ってきた。那覇の街は馬鹿みたいに車が多い。というか沖縄全体でそうであるのでひどい渋滞が恒久的に起きている。その所為でたかが久茂地ごときに行くのにえらい時間がかかった。ああ草臥れたである。あんまり酷いので、暇に厭かせて頼んだマッサージのおばさんに、何故国道58号線に電車を通さんとですか!沖縄住民はモノレール駅の不条理な設置(行政関係者の宿舎と仕事場を結んで走っているなどとうちなーんちゅの間では密かにいわれているようだ)に腹を立てているなら「思いやり予算」とやらの一部でも使って空港から本部まで貫く沖縄本島縦断電車を通せとアメリカさんか政府にでも、要求デモでもするがよい!などと当り散らしました。ご免ね。おばさん。

まぁ、そういうわけで時間をかけて買ってきた本がこれである。

黄泉の犬

黄泉の犬

藤原新也である。

懐かしい。昔、『メメント・モリ』とか『印度放浪』『西蔵放浪』とか読みましたよ。好きな写真家でエッセイストである。久しぶりにその名を見たので買ってしまった。この書はプレイボーイ誌に連載していたものらしい。帯と中身のギャップが謎な一冊であったが、それなりにまぁ面白かった。ホテルの暇な一晩に読むのには。
オウム真理教のあの事件とはナンだったのか?藤原新也はオウムを産んだ、そしてそれ以降の若者の内面、或いは現代の事象に興味があるらしい。藤原流の視点でみた現代日本事情本という感じであった。
麻原彰晃が実は水俣病であったのではないかという仮説に囚われてあれこれと調べて回っている。あの事件が起きた理由はナンだったのか?それが発端であろうが、先日も書いたが、人はなにか想像を絶する事件が起きた時、そこに物語を考えはじめる。それは当っているかもしれないし間違っているかもしれないが、まぁ多くの人が自分なりの着地点を見いだそうと、あれこれ妄想する。陰謀論なんかもそういうのの一つではあろう。藤原もまた麻原=松本智津夫という一人の人間が、或いはそれに追随して行った若者の狂気めいた行動にでたその意味を探ろうとしているようだ。また、藤原新也という世代と、オウムに魅かれていった若者の世代との溝もまた存在していて、その溝なるものを見つめようとしているのが書の後半である。
藤原新也は放浪している人なので、なにかこういう場面でも人間の間を放浪しているような感覚があり、当事者的でない辺りにちょいと鼻に付く時もあるのだが。強烈な死体を喰らう犬との遭遇という体験が彼のそういう足元を作ったのかもしれない。
だから、この書は社会告発的なジャーナルな視点というよりは、日本という荒野を彷徨う藤原新也の旅日記という印象のほうが強いなとは思ったですね。まぁ突然の「旅」を強いられる羽目になったわたくし的にはツボな本だったですよ。地に足がついてないなと思う環境で読むほうがぐっと来るかも。