エル・グレコ

時代はルネッサンスからマニエリズム、バロックと移り変わろうとしていた時代に、すごい変な画家がいた。
ギリシャ野郎」と渾名されていたその画家の絵はすごく変だ。くねくねしていて、人物は茄子みたいだし。私は正直嫌いだった。人物を少女漫画みたいな変なデッサンで、しかも茄子にしてしまうようなこんな画家は嫌いだ。わたくしはずっとその画家がフォービズムかなんかの人だと思っていた。マティスとか、或いは表現主義的な。
ちゃんと美術史を勉強して彼が実はミケランジェロと同時代人と知って驚いた。あんな光学万歳みたいな時代にこんな手前勝手な俺様絵画を描くとは。ミケランジェロですらここまで俺様じゃないと思うぞ。その後、はじめていったヨーロッパでトレドに行った時、この画家の絵がじつにあのスペインの荒涼を的確に描いていたのだと実感した。
エル・グレコの生きた時代、アヴィラでは偉大な女性神秘家聖テレジアがいた。十字架の聖ヨハネも同時代人。内面へと向かう信仰。光を求めるあまりに目は見えなくなるという霊の暗夜を書いた十字架の聖ヨハネの書は画家が作品啓示を求め悩みに落ちる時のあの感覚にすごく近くて、読んで驚いたことがある。深い祈りの人というのはこんなメンタリティをもつのかと共感した記憶がある。
もっとも個人的にそういう祈りの光景というか悩みの変遷の光景を人に見せるってのは画家としては屈辱なわけで、あたかも軽やかにそれを描いたがごとく、つまり悩める過程で他者に共感を求めるんじゃなく、結論で勝負と思っていたので、後ろ向きに悩むのが見え見えな画家ってなぁ困りもんだとは思うが。エル・グレコってのはどうもその辺りが少し見えるんで実は相変わらず苦手なんだけど。ただトレドのあの土地のあの光景の中で見るとアレじゃなきゃいけない気もする。
不思議なのだが、スペインの絵画的な特徴というのは何となく歪んでいる。エル・グレコが活躍したトレドはカスティーリャのど真ん中だが、カスティーリヤと仲の悪かったアラゴンの、カタルーニャ地方となると、あのダリやらピカソやらガウディを生んだ、芸術的にすごく意欲的な土地だ。どれも個性的だ。中世のこの地方一帯の壁画がバルセロナにある美術館に集められているが、その壁画もかなり変だ。ローマ的な均衡が無視されている。
文芸春秋社の編集者に私が中世美術に興味があるといったら、「いやぁ、なら絶対カタルーニャ美術館行かなきゃダメですよ。変な絵ですよ。みんな指が長いの。馬鹿みたいに長い。なんであそこまで長くなきゃいけないのかってほどすごく変。漫画みたい。」
のちにバルセロナにあるカタルーニャ美術館にいって「ほんとだ・・・・変」と思ったのはいうまでもない。
どうも造形的な感覚が、ローマを中心としたそれとも、フランス、北方といったそれとも違う。まさにキュビズムの雄ピカソを生んだ土地だけあるわい。独創的である。シシリアやナポリとは交流が在った土地なだけに、あっちも変かというとそうでもない。やはりこの土地独特のものだろう。
エル・グレコヴェネチアではパッとしなかったが、トレドの人々は受け入れた。その独特の造形感覚故に時代をものすごく先取りしたようなこの画家の作品が産まれることになった。