バロック

16世紀以降、マニエリズムを経て、バロックへと移行する。自然科学を基礎としたルネッサンス美術からやがて視覚世界は内面へと向かいはじめる。様式の過剰。国際ゴシック様式のような牧歌的なものではない目的を持った様式の過剰さである。
おりしも西方ヨーロッパでは宗教改革があちこちで起きていた。アヴィニヨンから再びローマに教皇庁が戻って以来、ローマでは教皇様の都市開発が進むのである。ローマ司教としての教皇はもともとラテラノにいたので、バチカンはただの郊外の墓地教会に過ぎなかったのだが、本腰いれてバチカンを再建したのはニコラス5世であった。フラアンジェリコの絵画の残るニコラウス5世礼拝堂はその時代の名残である。
かくしてその後住み着いた教皇によってこのバチカン、聖ペテロの教会はどんどん発展していくことになるのだが、歴史を早回しして俯瞰して見ていると、シムシティみたいにローマ時代に発展した都市がやがて衰退し、アヴィニヨン捕囚以降はスラム化したりして再びこの時代にでかいのが建つみたいな、街が成長したり、衰退したり、呼吸するように発展したのが見えたかもしれない。
ルネッサンス期の教皇はとにかくしゃかりきになってバチカン建築&装飾をする。中間管理職の親父が自分の業績をなんとか在職中に残したいみたいに、周りの迷惑省みずやるもんなので、財政は逼迫する。かくして「ローマ教会は腐敗してやがる。免償表なんぞ売って儲けた金で宮殿飾り立てやがって」と、特にローマに近い諸都市以外の北方のゲルマンやアングロサクソンの恨みを買うことになって、宗教改革、つまり「もうローマ教会とは縁切るよ」な運動が盛んになっていくのである。
改革の精神性としては既に托鉢修道会の起きた頃から在ったわけなのだが、王権の拡大、北方の王侯貴族が「ローマと関係を絶つのは色んな意味で益になる」と、宗教改革者達のパトロンとなったことで、事態はまぁその後のしばらくの混乱とプロテスタント諸派の誕生、教会内では反宗教改革運動が生じることとなる。カトリック教会内でいえば、まぁ自ら反省し「ちゃんとしようじゃないか」という人々が多数出はじめるわけである。これ以降、ユリウス2世みたいな破天荒で正直迷惑な面白い教皇は登場しなくなるわけだけど。
そういうわけでトリエント公会議が起き、典礼その他多くの決まりごとが為され、教会内は放置プレイをやめ、もちょっと監視体制を強め、ろくでもない司祭とかが出ないようにしようとか、真面目方向へは向かおうとするのだが、バチカン建築に関しては更に過剰になっていく。「宗教改革者共に俺達がいかにすごいか見せつけてやろうぜ」ってな感じとしか思えん・・・。
バロックのこの時代、教皇の後押しで登場したベルニーニはローマをハウステンボスみたいな劇場型都市に変えようとした。人口10万ほどのこの都市には毎年巡礼が70万人ほど押し寄せる。その巡礼、すなわちお客様をおもてなしするホスピタリティとしての都市。視覚的にもびっくりな壮麗な劇場としての都市計画を考えた。劇場型都市というとヴェネチアもそうだが、ローマのような規模の大きい都市のあちこちの再建にとにかく力を入れ、特にバチカンのサンピエトロの視覚的効果を狙った周辺の改造には力を入れた。有名なあの広場を囲む列柱は彼の作品である。
バロック美術は光と影に着目する。この時代の作家カラヴァッジオが闇に浮かび上がる人々の姿を描いたことで光をより意識するように、ベルニーニも室内装飾では光を意識した建築効果を常に狙っていた。それは自然な光をいかにコントロールして人工的に用いるか?というもので、例えば有名なアヴィラ聖テレジアの法悦のある教会の室内装飾、あの彫刻をいかに劇的に見せるか?といった手法において生かされている。これら光と影という陰影のはっきりとした感覚はやはり宗教改革がもたらした内省が影響しているであろう。当時のローマ・カトリックの人々の内面で「天のいと高きところに栄光、地には平和」な世界が実は非常に不安定なものだと自覚させられたからかもしれない。不安が彼らの上を覆っていただろうとは思う。
バロックの基本形状は楕円にある。正円ではない。その為に中心がぶれる。バロック建築に相対するとどことはなしに身の置き所に困るのはその性だ。中心がないというのは焦点が定まらず、不安定でもあり、結局自らのうちに向かうことになる。祈りの空間としてのバロックはその点では効果的ではあるのかもしれないが、常に不安をかき立てられるってのはなんか嫌だなぁ。
とにかくバロックの形状はボリューム観はある癖にうねうねくねくねしていて、しかも過剰。気持悪い。しかしその形状にずっと相対していると見えるものがあるらしい。バチカン装飾なんかゲームでいえばラスボスがいる宮殿みたいにきもいんだけど、深い祈りの目で見ると上記に書いたように内省的な祈りへと向かう効果があるらしいそうだ。サン・ピエトロで祈ったことがないので判らないのだが、アヴィラ聖テレジアのあるあの小さな教会で祈れば見えてくるかもしれない。「テレジアさんってセクシー♪」な気持しか抱いたことなかったけど、祈りモードに入ったら違うかも。
まぁ、とりあえずローマってのはハウステンボスな都市だってことは行ってみて思った事があるけど。ただしそれはベルニーニのお陰というより、ヴィットリオ・エマヌエーレの性だと思うけど。ヴェネチア広場のあのダサい建築ね。あれはほんと巨大な粗大ごみって感じだけど、巨大過ぎてかえってすがすがしいです。