『時が滲む朝』楊逸 ブログ小説

平野を読んだ勢いでこっちも読み上げた。まぁすごく短い小説なんで。

時が滲む朝

時が滲む朝

うーむ。芥川賞というレッテルが邪魔して、どうもネガティブになってしまうのがこの書の不幸かもしれない。
わたくしは芥川賞の作品を全て読んでるわけでも無く、寧ろ全然読んでないのだが、一応話題になった時にそのテーマが興味深い場合に読む場合がある。まぁつまり賞をとったからというより、賞をとったことによって情報が入って来たから読んだという感じ。昨年の受賞作品は痛々しそうで読む気が起きず、芥川賞をきっかけに過去に読んだ作品というと実は花村萬月平野啓一郎だけだ。それくらい賞とやらに興味がないわたくし的には、この作品を読むきっかけも、「六四天安門事件を体験した作家が日本語で書いた」ということで、あの事件をリアルタイムで体験し、あの運動を支持したであろう当時の中国人留学生の思い出があったからでもあり、そして芥川賞という一定水準に達した作品ですよというお墨付きが一応あるだろうという信頼感からなわけだが。。。。。。失敗であった。文庫で読むか借りるんでよかったづら。
もう芥川賞は信頼しない。お墨付きになりやしない。

楊逸さんにゃぁ申し訳ないが、この作品のレベルは日本語が達者なブロガーの日記だ。

しかし芥川賞というレッテルを取り外すなら、粗削りでも、同時代的な中国人の普通の生活感を感じられて興味深い。その点では光るものはある。六四天安門を扱っているだけに政治的で思想的な方向性、平行して読んでいた平野啓一郎の登場人物達のように重苦しい語りを始めるような口調で、あの高揚と挫折の時代を語っているのを読みたいとか、俯瞰した政治地図を中国側の立場で描いていてトリビア的知識が増えるとかつい期待してしまうのだが、この小説ではそういう気負いと突っ込みが無く、故にまるで現代的な若者が、ブログなどでなにかを描くような感覚で、「天安門」という歴史が書かれているその気楽さこそが案外と面白いかもしれない。物語の持って行き方によっては朝の連続テレビ小説にでもなりそうな日常めいたお話でもあり、それが日本語で書かれているのに、中国の話という、その面白さはある。
唐突に曹操の詩についての言及があったり、意味がよく判らない中国語の四字熟語が出てきたり、変な言い回しがあったり、そういうあたりも翻訳本ではお目にかかれない。注釈も無くごろんと出て来るんだから面食らうが、日本文学も国際的で面白いではないかと思う。長渕剛というモチーフに代表されるような、或いは学生が口にする「愛国」という言葉も、まぁそういう日本人からは判らん価値基準が面白いし、なんか学生が泥臭いのもまたいい感じだ。飛び出た人々の世界に散らばる華僑ネットワークの国境の無さ過言もまた中国だなというか。そういうのが説明も無くごろんごろんと日常の点景であることもこの小説の魅力ではある。翻訳というフィルターが無いからこそ日常感がいい感じにある。

そういう素材が面白い反面、人物の葛藤や描写の掘り下げ感がいまいちであり、つるっとし過ぎていて引っ掛かりがない。プロレタリア小説みたいな重苦しさ感を排除したかったのかもしれないがこれでは読後になにも残らない。あまりにも上澄みだけの人物描写が物足りなさ過ぎたというか。この人がブログでこういう話を書いていたら面白くてアンテナしたかもしれないが、小説という形式に絶え得るかどうか疑問がある。石原慎太郎がただの風俗小説といっていたが、まぁ妥当な評価かもしれない。とはいえ風俗小説も究めたのは優れた作家が沢山いる。

編集さんがぎりぎりと鍛え上げ、また同じこの作品をリニューアルしてもらいたいもんである。それくらい素材は魅力的なんだから。

ところでこれ団塊に受けいいかも。どうなんでしょ?
忘れ去った青春がそこにあるよみたいな。