『半島を出よ』村上龍 背筋が寒い近未来

研究室のK教授が「おもしれ〜」といって勧めてくれた。ブックデザインがカッコいいので、まぁ読んでみようかという気になった。村上龍を読むのは『愛と幻想のファシズム』以来である。(ただし持ち前の天才的記憶力のなさから『愛と幻想のファシズム』の内容はすっかり忘れている。また読んでみるか・・・。)

半島を出よ (上)

半島を出よ (上)

半島を出よ (下)

半島を出よ (下)

読後の感想は・・・・・・漫画じゃね?
・・・という感じだった。上巻と下巻とでかなり印象が違うんだが、上巻の背筋がなんとなく薄ら寒くなっていく感じと、下巻のスラップスティックといってもいいような展開に「なんだこりゃ?」というのが正直な気持ちである。

物語は近未来。まさにそこにある未来図というか、福岡が北朝鮮軍の先鋭部隊に乗っ取られるという設定。日本経済の失速が世界における日本の立場を弱いものにしている状況下、以前よりも力の弱まったアメリカと台頭しつつある中国という大国の狭間で起きた出来事。北の将軍様が「高麗遠征軍」を北朝鮮に対抗する北朝鮮内の反政府分子として偽装し日本に送り込み、福岡市民を人質にする。という設定。日本政府は市街戦になるのを恐れ自衛隊を派遣しない。同盟国アメリカは九州を中国との緩衝地帯とするため、密かに九州の日本からの分断を望んでいる。ゆえに日本からの都合のいい「安保条約」要求には応じない。もとより日本が戦おうとしないのに何故?という感じ。こうした日本政府の弱腰を見越した北朝鮮の戦略だった。
日本政府は「九州」を封鎖する。流通は閉ざされ、医療、食品などの物資が滞るのは目に見えた状況下で、九州の人々は自分達を切捨て、見捨てた日本政府に怒りを覚え、やがて北朝鮮軍兵士達にシンパシーを覚えていく。

あ、最後の記述に関しては、デジャブがあるなぁ。沖縄ね。切り捨てられた沖縄の怒り。ヤマトへの怒り。同じように「東京」を中心とした経済、政治。日本の今の情況はまさに「東京」の思考で為されている。地方など容易く東京によって踏みにじられてしまうのだという、この村上龍の視点は、島に住んでるわたくしも分からなくもないが、その「九州」が奄美のような離島を踏みにじっていたりしないかぁ???と思わなくもない。例えば、佐世保出身の村上龍が台風報道について、「東京が台風に遭ったら全国放送で屁のような台風被害の報道するが、地方が阿鼻叫喚でも報道しないよな〜(大意)」とか書いているのを読んで、笑っちゃいました。「鹿児島ではその鹿児島地方局がも鹿児島県内であるはずの奄美を無視してるんだよ!ボケがっ!」とか言いたくなりましたよ。ついでにその奄美与論島を無・・・(以下略)・・まぁ「周縁」とはそういう宿命を持ったところなようです。

ちなみに、村上龍によると「離島は簡単に制圧できて人質に取れる」らしいっす。怖いです。

閑話休題

この小説が薄ら寒いのは、上巻の日本のおかれた状況。経済の破綻。消費税率のアップとそれに伴う貧困層の増加。失業率が上がり、ホームレスの数が増えていく。銀行は凍結され倒産する企業が相次ぐ。経済のみに頼ってきた日本は世界における発言権を失い、馬鹿にされるような存在となる。というあたりや、北朝鮮軍が日本を制圧した際、銃器ネットデータを手に入れ、個人資産を把握し、それによって資産家(と言っても闇の稼ぎをしていたような輩)の財産を取り上げ、資金としていく辺り。政府による個人情報の管理の甘さが、容易く「敵」に渡ってしまうその恐ろしさというか。
このあたりはなんとはなしにリアルな恐ろしさを感じさせる。
後半の「高麗遠征軍」を全滅させていくアウトローたちの活躍は漫画でしかないが、その漫画的な手段にしか頼れないほどの、日本政府の弱腰と、武力への忌避思考は、微妙にリアルではある。自衛すら出来ない、まさに無防備都市化した国家の有様が描かれている。

まぁ無防備都市などとマジにやってる都市やら島があるけど、自分達が人質にとられて政府を脅されたら、その責任は取ってくれるのかね?とは思いますが。無防備都市なんちゃらなお約束が通じる相手とは限らんから。・・・というように、武を嫌う「平和〜」な人々の弱腰、チキンっぷりに村上龍がムカついているのかどうかは知らないんだが。

で、北朝鮮兵士たちのマジ感と、日本人の弛緩しきった様との対比から、どうしても北朝鮮の兵士達にシンパシーを覚えてしまったり、彼らが日本の「退廃」文化に接したときの戸惑いや、それによって徐々に蝕まれていく心理なんぞは面白かったが、その辺りもっと掘り下げて欲しかった気もする。

結局、物語は社会のマイノリティ、まともな社会生活を営めぬようなサイコパス犯罪者達の手によって解決する。誰もが社会からつまはじきにするだろう少数派、いや、つまはじきにされて当たり前だろそりゃ?な彼らが日本を救うことになるという設定。これはどうなんだ?という辺りに消化不良感が残った。

村上龍というと、昔『限りなき透明に近いブルー』という小説が芥川賞をとったのを覚えている。このとき兄貴が買ってきたんで読んだんだが、乾いた暴力の描写に辟易としたのを覚えている。その乾いた性は中学生には理解不能な世界だったが、ただ基地のある街としてのあの独特の空気は、横浜に住んでいるゆえになんとはなしに知っていた。通っていた中学のあった山手の、その裾野にある本牧にはまだ米軍の住宅があったころの時代だ。

その『限りなき透明に近いブルー』から村上龍は変ってないなぁと読後に思った。そういう意味ではなんかすごいなとは思うけど。青臭さをいまだ持てる親父。