ココ・シャネルのジェンダー

わたくしはジェンダー論を唱えたり、物事を単純化して記号化する思考のフェミは嫌いだと書いた。だが「女性はみんな家にすっこんでろ」的な男尊女卑思考も同じように物事を単純化して記号化するおばかだと思う。当然、もっと嫌いである。
女性性と男性性。この性差は実は歴然だ。わたくしの知る限り、概ねの殿方ははっきり言って弱い。打たれ弱い。自信があるときはすこぶる能力を発するが、自信のないときは使い物にならない。肉体的にも弱い。瞬発力はあるが持久力がない。その点、概ねの女性は比較的強い。こういう差がある関係性の場合、男を立てるほうが世の中うまくいく。男尊女卑を裏返せば、殿方の弱さを受け入れ、うまく使いこなす女性の知恵の結果でもあると思うことがあるのだな。殿方が正当な評価を受け自信をつけたときの働きぶりは、時に無私ともいえる方向まで行くのでこれを使いこなさない手はないのだな。だからまぁ、殿方は立てて大切にしてあげるのがいいと思うよ。(時々は締めてな)
わたくしの知る限りのもっとも強いというかボーダーのない女性というとシャネルだ。昨晩はそういう話を友人としたけど、彼女はすごい。付き合っている男を利用してのし上がってきた。しかし彼女はそれらの男性を利用していただけではなく本気で愛していたようだ。店を出すために出資してくれた男(彼は彼女と付き合っているときに自動車事故で死んでいる)から送られた真珠のネックレスを死ぬまで身につけていた。ロマンチストだ。しかし同時に殿方の持つ文化を貪欲に自分のものとしていた。彼女は男性が履くパンタローネ(ズボンのことな)を女性のエレガントなファッションとして採択したはじめてのデザイナーだ。彼女はよく殿方のジャケットを借りて着ていた。旧態依然のコルセットを付けた女性が女性であるという時代にだ。そうしたボーダーのない発想は女性たちにすこぶる魅力的に映った。彼女は女性たちに積極的に受け入れられる。そして同時に男性の崇拝者をも獲得する。
彼女は女性であることを否定しない。寧ろ女性がどのようにあるべきかを考え続けてきた。エレガンスで尚且つ教養を身につけた女性であること。シャネルはモデルのそういう振る舞いには気を使っていたらしい。きちんとした教育を受けた「良家の子女」をマヌカンとして雇った。しかし既存の概念が押し付ける価値、例えば弱く保護しなくてはならない女性という概念は頭から否定する(シャネルスーツ*1のあのデザインの根底にはそういう思想がある)これはつまり人としての教養を持つこと、自立した個としてあること。それが大切なのだという思想に立脚しているといえるのだな。さすが個人主義おフランス人だけある。(シャネルの考え方はそのままフランス人の個性としても散見は出来るやね。)
個であるということは難しい。個はあらゆるものから影響を受ける。シャネルは当然女性であることから免れえてはいないし、フランス人であることは免れえていないし、また強烈な一種の上昇志向はやはり出自の貧しさからの脱却というものから免れえてはいない。人はその「カテゴリ」から経験によって個性が形作られるということはある。但しそれは複合的であり、またその個人がそのカテゴリのナニに影響を受けているかには、個体差がある。それゆえに単純化したカテゴライズの視点で全てをはかるのは危険だと思う。そもそも、そのカテゴリに対して、果たして全ての人がその定義を共有しているのか?というとそうでもないだろうし。「女性」というと「強い」と思う人と「弱い」と思う人がいるのはその女性性の何を見ているのか?ということだろうし、「左翼」や「サヨク」が全て「反日」かというとそうでもないだろうし。要はカテゴリを考えるときに単純化するのは危険だと、まぁそう思うのではある。

*1:シャネルスーツ■戦後雨後の筍のごとく出現したオートクチュールのデザイナーはほとんど男性だった。クリスチャン・ディオールはニュールックというひじょうにフェミニンなラインのデザインを発表し、それは戦後の耐久生活に飽きた女性たちの間でものすごい評判を生む。ウエストマークの、エレガントなライン。それ以後、女性のボディラインの理想像を探求するようなデザインが続々と生み出されていく。しかし、こうした風潮は女性の肉体を男性の欲望的視点で規定付けてしまうという前時代的なものとしてシャネルの目には映ったようだ。確かに「ニュールック」を着たかったら女性はウエストをダイエットしなければならない。ましてジャック・ファトといったデザイナーの服はボディラインが魅力的でない女性にとってはその服の魅力は引き出せないような代物だと思う。当時、シャネルは戦時中のナチスとの将校との付き合いを批判されて、それにうんざりしていたのか仕事からも手を引きスイスの別荘に蟄居していた。しかし、この男性が支配するファッションギョーカイの風潮に頭にきていたらしく、突然、どんな女性でも、年齢を問わず、体型を問わずエレガントに着こなせるシャネルスーツを1950年代半ばに発表する。これは当時賛否を呼んだ。たしかに当時の感覚ではフェミニンとは言いがたい。当然のごとくヨーロッパでの評判は散々だったのだが、アメリカはニューヨークで働くオフィスレディを中心に評判が高まっていく。働く女性たちはこぞってこのシャネルスーツを評価し、そしてそれは自立した女性の服の原型ともなった。