レッテル貼りと記号

先日から、キリスト教サヨクとか「司祭萌え」とか「マリみて」について書いてきたが、それらについて他者が持つイメージと現実にはギャップがあることはお分かりいただけたと思う。とにかく人はレッテルを貼るのが好きである。わたくしの場合は女であるレッテル、芸術家であるレッテル、おばさんであるレッテル、カトリック信者であるレッテルなどが貼られるのだな。それはそのままその通りであるのだが同時に、貼られる時にはびみょ〜にむかつくときがある。カトリック信者だから聖なる感じかにょ?女性だから屁理屈をこねないでおしとやかなのかにょ?んなわけないよな。
よく聞くのが「教会は人に躓く」つまり、キリスト教にはいい人がたくさんいると期待している人が多いんだが、実は単に社会にある共同体の一つに過ぎないわけで範形的に社会とまったく同じでいい人もいれば嫌なヤツもいる。馬鹿もいれば聡明な人もいる。むかつくやつもいれば、やたらいいやつもいる。そういうただの現実を受け付けないのは単なるユートピア思想で、それは実際この世に存在しない、彼岸のものであることが理解できないだけなのだ。こういう思考では「キリスト教徒=いい人」というレッテル張りが行われているという構造ですね。
私はフェミニズムが嫌いである。人間という動物に性差があるのが当然であるが、同時に精神性においての可能性にはボーダーはない。性差によって受け継ぐ男女差の精神性も持つと同時に、肉体には拠らない精神性も存在する。(場合によってはその肉体のボーダーを完全に飛び越えている人もいる「性同一障害」などといわれてしまっているが、「障害」はないよなぁ)しかし何故か多くのフェミニストは権利を主張するために女(もしくは男)であることを逆説的にレッテル貼りしてしまう人が多い。物事を類型的に見るために、そこにある人のあるがままを無視して、女性(あるいは男性)という記号化された視点を通じてしか物事を見ない。だからあまり共感できないのだな。中にはそういうのを完全に克服した優れた人もいるんだろうが、概ねは女性、男性、という類に分けて考えるために、自ずとボーダーを作って視点で個物を把握してしまうようだ。
フェミニストだけでなく、人は、学歴とか、職業とか、年齢とか、性別とか、そのようなカテゴリ・記号に人を分類して、その記号によってその人をプロファイルしようとする傾向は強い。この人はカトリック信者だからこうであるとか、こういう学校を出ているからこうであるとか、女だからこうであるとか、目の前にいるその人自身のあるがままの個性を無視してその類型に当てはめて安心する。こういうのは日常あちこちで見られるものであり、例えば犯罪のプロファイルや状況証拠から固めていくようなモノなどこういう類型的なものから行われていくわけだ。薔薇の名前のウィリアムの推論もこのような類型的な事柄を前提として推理している。イレギュラーなものの存在はまず除外する。それによって対象を絞り込む。これはある程度の成果はある。しかし最終的な判断においてそれを過信しすぎると場合によっては冤罪を産む可能性もある。だから素人の中途半端なプロファイルや判断は危険だと思うにょ。オウム松本サリン事件のときにマスコミがこぞって被害者の女性の旦那さんを状況証拠から犯人だと思い込んで、ああだこうだやっていたけど、アレは酷いなぁと思っておりました。
とにかく、誰かとコミュニケートするとき、記号化はその人と対峙する時の思考としては単なる怠惰だよなぁ。と思うのだな。わたくし自身はとにかくこういう記号化を押し付けられることには我慢ならないので、そういう観察結果に出会うと激しくむかつくときがありますね。そのもの自身を見ずして、そのカテゴリのイメージで物事の結果を測るような視点に出会うと、むかつくし、お馬鹿だと思ったりするですよ。つまりカテゴライズする時点でその人は相手を個人としてみていない。ある類や種(ある団体)の一部としてしか見ないというまこと失礼な行為をしていることになる。
女性なのだから地図が読めないとか、んな〜わけない。40過ぎて独身なのはどうよ?とか、よけいなお世話だ。カトリック信者なのに馬鹿を連発するなとか、どうもすみません。まぁこういう記号化されるもので唯一、お得なのは「芸術家」のレッテルだな。これは便利だ。昼と夜が逆転していても「あの人が芸術家だから」だらしのない格好で家に引きこもっていても「あの人は芸術家だから」部屋がすこぶる散らかっていても「あの人は芸術家だから」人様と少しずれていても「あの人は芸術家だから」いい歳こいて家でぶらぶらしていたり激しくビンボーでも「あの人は芸術家だから」何故か肯定的に受け止めてくれる。これが「オタク」だったらどうであろうか?まずもってご近所から「危険人物」と警戒されるであろう。芸術家も単なる芸術オタクに過ぎないだけなのに、「芸術」というレッテル効果によって何故か昇華されてしまう。世の中のオタクさんたちは芸術家を名乗るといいいかもよ。
閑話休題。とにかく記号化されてしまうとその人となりがぼやけてしまったりするので、何の知識も持たず、カテゴリ行為も行わず、個物とまず相対する。これが重要。