本日はまた学校の講義。新幹線でだらだらっといって来たよ。
こういう時に地震が来たら嫌だな。東海地震。帰れなくなるよ。

今日の講義はシャネルでした。このシャネルというおばはんはなかなかすごい。以前も書いたかもしれないけど、女を武器にしてのし上がってきたが、そのくせ品がある。100年以上も前に生まれ、1971年に80代で没している。女性の人権運動などが盛んな、つまり女性の地位がまだまだだった時代に、オトコばかりのクチュリエールギョーカイに殴り込みをかけ、自らのスタイルを発し続けることで殿方が押し付ける女性像を破壊し続けた(クリスチャン・ディオールなんかは彼女からすると邪道だった)女性の服を女性の立場から考え続けた人だった。その生涯は恋多き女性でもあったが、しかし仕事をし続け死ぬまで鋏を手放さなかった。
わたくしは昨今のフェミニズムとかジェンダーとか嫌いだが、それは要するに他人の意識などを言葉で変えようというやり方がどうも自分的に好かない。他人の意識を変えようとか、決まりごとを変えようとするその言葉数の多いなかにどこか他者への甘えすら感じる。相手を変える前に自らがそれに相応する努力をしているか?と問いかけたくなる人も多い。女性が全て平等に参加できることを理想とする前に、それに自らがふさわしい能力を兼ね備えていることの方が重要だろうよ。だからまぁ、過去の優れた女性達はそういうことを言うまえに自身が既に動いていますね。行いで示してきた。現代の一線で働く女性もほとんどがそうだ。抽象論を吐く前に動いている。出版ギョーカイなど女性が多いがすごくよく働くし、切れ者が多い。偉いよ。
シャネルのごとき直接的な行いで服装の意義まで変えてしまうような人は手放しで尊敬する。生き様そのものがフェミな人よりもずっと自立している。男性など眼中にもないほどのパワフルさで服飾ギョーカイに君臨し、尚且つ女性であることをやめなかった。そういう生き様のほうがずっとジェンダー的に解放されて映るのですね。
フランス人はしかしおしゃれな人が多い。そのおしゃれの極意はシンプルさにある。シャネルのファッションは実はシンプルだ。彼女自身黒をよく身に纏う。彼女の着こなしは1930年代の彼女の写真を見ても現代に通じる。そこもすごいですよ。しかし女性固有の優美とエレガンスを決して失うことのない彼女のスタイルを真似したいものだが・・・鏡を見るとまぁ世の中には分相応という言葉があるなぁと思うだけでございます。

というわけで、今日は生徒達にエレガントで尚且つパワフルな女性について語ってきたという按配。彼女達にはいい女になって欲しいなぁ。

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今日はすごくつかれたのでハンセン病の話はまた今度。
明日もロータリークラブの会合とかいうのに出るので、疲れそうだ。「ロータリークラブ」ってよく見る名前だけどなんとなく怪しそうなので、目撃しにいってみたくて野次馬的に参加することにした。メーソンとかじゃないよね。なんだろう。商工会議所みたいなものか?