『L'INCAL-アンカル』ホドロフスキー/メビウス 80年代SF映画に影響を与えた超名作

昨年暮れに驚くべき名作が出版された。偉大なるホドロフスキーメビウスの『アンカル』である。わたくしはこれを青葉台の本屋で発見して卒倒しそうになりましたですよ。世間から大層疎くなっていたのでまさかこんなすばらしいことが世の中で起きていたとは!

なんでも近年、フランスのBD(ベーデー、バンドデシネの略)が注目されておるそうで大層喜ばしいことである。

『アンカル』はこれ↓

メビウスは一昨年来日して話題になってた、本名ジャン・ジローというフランスの漫画家である。1960年代から活躍、西部劇『ブルーべりー』で評判となる。なんせ巧い。色彩が感覚が超美麗。デッサン力ありすぎ。想像力に富んだ創造力の世界が緻密すぎという破格に素晴らしい漫画家なので、漫画先進国の我が国の漫画家にも多大な影響を与えた。大友克洋は初期のマイナーっぽい絵柄が変化するほどの影響受けたし、宮崎駿もかなり影響を受けたらしい。

・・・という伝説の漫画家さんなんであるが、日本ではその作品を見ることがなかなか適わなかった。フランス語の壁が大きかった上に、難解とかマニアックすぎて一部のファンが知ってるだけのマイナー存在だったからだと思う。

メビウスの絵柄は『タンタン』的でもあり、ヘビーメタル誌的な成人漫画、それに加えてカイ・ニールセンやデュラック、もしくはビアズレーなどの欧州の世紀末のイラストレーターに通じるような色彩と画面構成という印象。絵がへたくそな、もしくは大量生産型お約束記号に溢れた漫画(ディズニー系とか萌え系とか)なぞは読みたくないという日本では視覚的に生き辛いマイナー嗜好のわたくしにとっては超ありがたやな存在である。目に超麗しい。

わかんないと思う人は以下のサイトでお勉強してみてください。

メビウス・ラビリンス
http://moebius.exblog.jp/1491491/

なんちゅう美しい絵だ!!!!

で。『L'INCAL』

名作ではあるがはじめて読んだ。有名なので幾つかの絵は知っていたのだが、漫画としてはじめて読んだ。嬉しい。嬉しいけど・・・

・・・難解だった。

二回読んで、まだ理解していない。

お話は、ふとしたことから神秘的な超生命体「アンカル」というシロモノを手にすることになった冴えない駄目探偵がアンカルを巡る闘争に巻き込まれ、しまいには混乱した世界を救う事態になっていくという話。なんじゃそりゃ?

しかも、日本の親切な漫画にだれ切った身には辛いほどに台詞は凝縮され、展開は早く、前提となる世界知識は「そこは推測してね」的に語られてない。

1ページにおける台詞量は尾田栄一郎の『ONE PIECE』に匹敵するが、突っ込みとボケばかりで台詞が埋め尽くされる尾田作品と違って、アンカル漫画の台詞では物語の重要な根幹が次々と語られているんで全然流し読みが出来ん。こんなに気が抜けん漫画は珍しい。

アンカルの世界には様々に敵対する勢力が登場するのだが、その敵対する人たちがあっさりと敵対するのをやめてしまったり・・というか1コマであっさりと味方同士になるなよとか、まぁ物語の前提以前のBD的お約束に慣れないとなかなかつっかかる。解説対談で藤原カムイ氏が「3回読んだ」と言っていたが確かに2回ぐらい読んだだけでは理解できないのが困る。

更に、70年代的神秘主義に彩られていて、あーグノーシス病だよ君たちは、フィリップ・K・ディックもなーんとなくそーだけどよ、みたいなそーいう陰陽なタオイズムというかインド思想のごとき東洋思想折衷というか、シュタイナー的精神的進化論にやられまくった神秘主義的お約束な内容にはちっと吹いたりもするが、当時はこれが真剣に面白かったので、まぁそこは触れないお約束で。(まぁ、なんであの時代の人はこぞってこの手のニューエイジにやられてるんだろうかねとは常々思うんだが)

ちなみにこの漫画、『フィフスエレメント』を見た人はデジャブ観を覚えると思うが、あの映画自体、メビウス先生が噛んでるので当然である。ただ、この漫画の解説ではじめて知ったんだが、この漫画の出版社が映画会社を『パクりだー』と訴えているようで。メビウス先生がメビウス先生を訴えてるみたいなと評論家さんが書いてたが、確かに変な光景である。

フィフス・エレメント [DVD]

フィフス・エレメント [DVD]

リュック・ベッソンの『フィフス・エレメント』はバンドデシネ的で最高であるよ。是非観るように。

メビウスはこれに先んじて実は『ブレードランナー』の制作に加わらないかと誘いを受けて断ったらしい。これを後に悔やんでいたそうだが、いやもったいない。そのブレードランナーもなんとなくメビウス的世界が炸裂していて、どうもかなり影響を与えたようだ。

ちなみに原作者ホドロフスキーメビウスはあのくそ長いSF小説デューン砂の惑星』の映画化をもくろんでいたらしいんだがシナリオが14時間とか馬鹿みたいな長さになったので諦めたらしい。ああ、もったいない。。。。。

『逆転世界』クリストファー・プリースト 超へんてこな世界が萌える

ツイッターで愛・蔵太氏が『異星人の郷』について呟いていらしたのを読み、なんでも中世のドイツの村に異星人がどうたらという設定で、中世!ムッハー!な私の琴線にいたく触れたので、先日仕事帰りの本屋でそれを探すべく本屋のハヤカワ創元社棚に突進したはいいが、該当書籍は何故か下巻が二冊。仕方がないので年末に出たメビウスセンセの『アンカル』をゲット。それとなんか面白いのないかなぁと探したところで見つけたのがこれ。

逆転世界 (創元SF文庫)

逆転世界 (創元SF文庫)

タイトルがいい。
東京創元社のSF棚は他と比して漢字率が高いんだが、バラードの『時間都市』とか『結晶世界』を髣髴とさせるネーミングと伝統的本格SFの表紙画っぽい感じに思わず反射的に買ってしまった。東京創元社さんは釣りのツボをよく知っているようだ。

で、まぁまさにそのバラードの初期の短編的な変な世界である。J・G・バラードといえば、永遠に上下と左右に広がっていく巨大建造物からなる世界とか、壁に記憶された音の掃除人が出てくる話とか時間を知ることが犯罪になってしまう話とか、増殖する彫刻とか、なんか変なアイディア満載で、わたくしの幻想妄想をいたく刺激する素晴らしい作家である。

バラードはとにかくシュールな世界を書くのが巧かった。フィリップ・K・ディックの『逆回りの世界』とか、時間が突然なくなっていくというホーガンの『時間泥棒』もこれ系か。

わたくしはSFのことは実はよく判らないんで、ハードなSFファンがベーシックに読んでいるお約束のSFはあまり読んだことがない。つまり幻想小説の類の延長として読んでるんだな。なのでこれらの作品がどのような位置にあるのかは知らないんだが、なななななんだこの傑作は!?といたく読了後に興奮してしまいましたよ。

鉄道軌道上を移動している可動式都市「地球市」。この都市の住人達は年齢や年月をマイルで数えている。そしてギルド員以外の多くの市民達外界を知らない完結した閉ざされた世界である。彼らは都市外に出ることは出来ない。

この都市の外にはわずかな村落と荒野が広がっている。都市のギルド員達は「最適線」に追いつくため数マイルずつ都市を北へと移動させるという事業に終始している。都市内では女子の出生率が低く、都市外の原住民から女性を調達してくるのだが原住民にそれが原因で怨まれている。

主人公、ヘルワード・マンは成人を迎えると共に「未来測量ギルド」の一員となるが、彼が外界で目にしたものは・・・。

・・・てな話である。

なんで「逆転」世界なのかを書くとネタバレになるんで書かないが、簡単な数学的知識が発端になった世界なんだなと。そんなのアリなのか?とは思うが、まぁSFなので。ただ逆転に次ぐ逆転というこの物語構成とオチにはしてやられたなと。

しかし、この加藤直之氏の手による表紙イラストもいい。この小説全般的に激しく重苦しい。初期のバラードも同様であったが、とにかく抑えたような筆致で淡々と書いている。そうしたイメージがしっかりマッチしている。SFはこういうべたなイラストがいい。

最近「たったひとつの冴えたやりかた」というのがいいよなどと勧められたんだが、表紙画と中のイラストが少女マンガなので著しく読むのが萎えた。

ビジュアルイメージというのは引きずられるんで、よく考えて欲しいなとは思うが、もし内容と合っているんだったら、たぶん私には全然合わない小説なのかもしれん。SFを扱った少女マンガは好きなんだが、少女マンガ的SFは好きくない。それは漫画にして読ませてくれなどとついつい思うもんで。おなじ理由でラノベも好きではない。勧められて10ページ以上読めたためしがない。何故か私の脳にはそのような欠陥があるのでいつも困る。ある特定のジャンルが楽しめないのは甘いものが駄目とか、寿司が食えないとか、パスタが食えないとか並に損してるような気がする。なんか寂しいような。

で、久しぶりに重苦しいSFを読んでいたく気をよくしたので、今度は同じように漢字が詰まっている東京創元社の『時間封鎖』というのを買ってきた。きっとバラードに釣られるのが読むだろうというマーケッティングの元為されたネーミングだろうからはずさないと思うんだがどうだろうか?

ところでこの『逆転世界』もともとサンリオ文庫で出されていたんだね。サンリオ文庫はなんかしらんが読めば先ず当たる。ハズレがない。日本じゃあまり読まれてないだろーなー、でもほんとはすごいんです、みたいなのを拾ってくるのが得意な変なレーベルだった。これも拾われていたということで、サンリオ文庫ってマジ侮れない。

サンリオ文庫全集』とか出して欲しいぐらいだよ。

『醜聞の作法』佐藤亜紀 近代から人間は進歩していない

元旦早々、書棚にある堆積された文庫本を整理していたらルソーの『ジュリ・新エロイーズ』が出てきた。一巻目を読んでなんじゃこりゃぁ?と思って放置していたのだな。スコラ学の雄アベラールって、勇ましい神学文書書くもんでカコイイ!と、エチエンヌ・ジルソンの『アベラールとエロイーズ』を読み、更にうひょぉ!となった勢いで買ったはいいが、ただの甘ったるい言葉が並ぶ恋愛書簡に辟易としてなんでこんなのを当時の仏蘭西人は読んでいたんだ?とほっぽり出していた。アベラール様全然カンケーないし。

さて、昨日ウンベルト・エーコの『バウドリーノ』の書評を書いたがエーコの作品は舞台が中世。その中世においての「情報」がどのように生み出され、また扱われたのか?というテキストの問題が中心的テーマだったのうなどとあれこれ妄想していたわけだが、年末に出版された佐藤亜紀の作品もこれまた近代のフランス革命前夜における出版物の有様を中心にして書かれたという、この時点で、相変わらず読者を選ぶような主題っぷりに、これまた妄想をあれこれしてしまったという次第。

醜聞の作法 (100周年書き下ろし)

醜聞の作法 (100周年書き下ろし)

実はこの作品、発売前に既に読了していた。何故かというと、表紙のお仕事をさせていただいたからである。

仕事をした本は既にもう主観的に好意的バイアスがかかるので書評など書くにはあまり適さないのだが、あんまりにもタイムリーネタ過ぎて、ゲラ読んだときにナニかいいたくてたまらず発売前に書評書くのもなんだし、我慢していたら発売時期に今度は仕事が忙しくなって結局今頃書いている。

編集者さんから「表紙の絵はフラゴナールの接吻にしたかったんですけど、そういう絵描けますかね?」というおフランスの大画伯に挑戦しろという攻撃的な依頼をされて、受けて立とうじゃないかと燃え上がってしまったという次第。フラゴナールってぇのはロココなエッチな親父画家で、筆致はとにかく達者。まぁ・・・アクリル絵具で書けるような代物でもないんだが。ブックデザイナーの岩郷氏のお陰でとにかくカッコいいデザインにあがった。

物語に登場するいたいけな女性とその思い人のささやかな接吻光景のはずが、女性の顔つきが挑戦的なのは私の性格がおよそかわいげがない性である。お許しあれ。

この作品の為に作家を交えた打ち合わせをしたのだが、作家の抱いているイマジネーションを最大に引き出すのがわれわれの仕事なので、果たしてご満足いただけたのか

閑話休題

さて、中世欧州と違い、近代欧州はなによりも印刷術の発展と共に大きくその社会は変容していった。大きな事件といえばやはり宗教改革だが、このとき多くのローマカトリック批判のビラが刷られ、大衆の教会批判意識が高まった。

そしてこの物語の舞台となる啓蒙主義の時代。思想家たちは多くの出版物、それもお堅いのから下世話なものまであらゆる出版物が流通し、大衆が読書を愉しみとして親しみはじめるようになった。中世の写本がごくごく少ない発行部数しか流通できなかったのに対し、多くの大衆にまでいきわたるような印刷物の流通がやがてフランス革命というものを生み出すのである。書かれたものが大衆を啓発し、意識を高めていった時代でもある。

つまりメディアの変容が大衆意識の変革をもたらした時代であった。

この小説ではまさにそうした時代に多く読まれた地下出版が主題であり、作品中にはその作品が入れ子のように紹介されている。

で、それがなにかというと、所謂「ゴシップ」である。「醜聞」な。ある女性の苦境を救うために意図的に為された「実話にもとずくと思われる小説」この小説はエントリ冒頭の『新エロイーズ』のように書簡形式で書かれている。当時の流行の形式である。

この小説を大衆はこぞって読み漁り、うら若き女性を食い物にする糞じじいへの怒りをあらわにし、いったいモデルは誰なのか?と詮索し、挙句、何故か二次作品まで登場するとかなんとか・・・。

いや、これ読んでマンマ今のネット社会とおなじじゃんかいな?!というのが最初の印象。人間はほんまに進歩せんなぁと。

何故、醜聞の「作法」なのかは読んでのお楽しみということで。

この作品についての突っ込んだ解釈はもっとディープに突っ込める某評論家にお任せしたいのう・・なんせ底本としてこれは読んどけというロバート・ダーントンの『革命前夜の地下出版』も読んでないしよ。

これな↓

革命前夜の地下出版 (岩波モダンクラシックス)

革命前夜の地下出版 (岩波モダンクラシックス)

しかし、なんというか、アベラールとエロイーズにしても、これらの地下出版物にしても、そして今の様々にネットに流れていく流言にしてもだ、大衆の下世話ネタ好きってのは治らんもんだな。

アベラール様の偉大なところはスコラのあの素晴らしく勇ましく攻撃的な神学論文にあるんだが彼のあの難解な普遍論争の文書を読んだ人はあんまりいないだろう。わたくしも途中で寝た。しかしエロイーズとの愛の物語、その書簡集は仏蘭西人に永らく愛され読まれ続けた。わたくしも夢中になって読んださ。しょせん下世話な大衆根性なのだ。悪いか?

あの革命の大天使サンジュスト君もへんてこなポルノまがいのファンタジー小説書いてるしよ。大衆のエロ力を舐めるなというか。いやはや。うはは。そいやハセガー漫画でナポレオンも恋愛小説書いたのに受けなくて腐ってたなぁ。

こうした恋愛がらみのゴシップ、醜聞だけではなく、不確実であるが大衆には好まれるような「真実」がダダ漏れに流されていくことで世論は啓蒙され、やがて国家の根幹を揺るがすことになる。近代の変容はかようにして起きた。

現代にあって、インターネットという新たなメディアが登場し我々は前時代にない情報社会に放り込まれている。これらがいずれの日か社会を、或いは国家というものをどのように変革させていくのか?生きている間にそれを目撃することになるのか?それは判らない。

エーコの『バウドリーノ』にしても、佐藤亜紀の『醜聞の作法』にしても、歴史の中に連綿と続くメディアと大衆、或いはなんらの権力との関係を描いているという点で、WikiLeaksに翻弄された2010年に読むべき書としてはまことにタイムリーであったなと。まぁ今のところそのような所感である。

も一回読み返したらまたなんか発見があるかもしれない。

ところで佐藤亜紀のこの小説のお陰で、ルソー先生の『新エロイーズ』を読むお作法を習ったような気がしたので書棚の四次元から発掘されたそれを読もうかと悩んでいる。でも4巻もあるんだよな・・・・。

『バウドリーノ』ウンベルト・エーコ 中世から人間は進歩していない

元旦だ。
昨年はツイッタにはまってブログを放置しまくった。その間、世間様では様々な事件が起きていた。尖閣諸島で中国様があやしからん行為に及び、日中両国が国家間でナニか事なかれ的に済まそうとしたところ、証拠ビデオが流出し国民の怒り爆発、双方の国家的面子がやばいことにとか、Wikileaksだかなんだかいうアサンジ君の世界規模の告発サイトが問題になったり、まぁ情報が容易くネット上を駆け巡り、国家と情報という問題を突きつけられた年でもあった。
ゆえにわたくし的には2010年の文字は「暑」ではなく「書」じゃね?などと思ったりしてしまうのであるが、そんな折、タイムリーに「書かれたもの」すなはち、メディアというものを考えさせられる小説が二つほど登場した。
一つは暮れに出た佐藤亜紀の『醜聞の作法』そしてもう一つがウンベルト・エーコの『バウドリーノ』である。どちらも舞台は過去。近代と中世のヨーロッパではあるが。

佐藤亜紀の小説に関しては別エントリを立ち上げて書こうと思うのでここではエーコの小説について書く。

バウドリーノ(上)

バウドリーノ(上)

エーコは中世美学などの研究をしていて、これはもうまさに彼の守備範囲そのマンマの小説、中世ヲタなら知っているあらゆる中世に存在したへんてこなシロモノの羅列、展示場状態。中世の宇宙観から、世界観、プレスタージョン伝説やアーサー王伝説にも連なる聖杯伝説、その他聖遺物にまつわる数々の伝承、山の長老の暗殺団、柱頭行者、地の果てに存在するであろう怪物じみた人類まで登場するという豪華キャストである。更にはニケアコンスタンチノープル信条の成立に関するもろもろの事柄やら異端思想(勿論、景教も登場)。挙句、TO図*)まで図で載せてくれるほどのサービス振りには泣けてくるという按配。

*TO図
中世、西方欧州の世界地図。Oを世界とし、その世界はTの形をした地中海で区切られている。上部は東方、つまりアジアであり、下部の北サイドにヨーロッパ、ミナミサイドにアフリカが存在する。この世界の中心はエルサレムであり、西方キリスト教徒がどのように世界を考えていたか判る。で、イスラム教徒によって分断された東のそのはるか彼方にははぐれたキリスト教徒の王国、つまりプレスタージョンの王国があると信じられていた。
また、欧州から離れれば離れるほど人類は奇妙な形状をしていると信じられていて、アジアの果ての地(インドとか中国辺りかの?)には足で陰を作って寝転ぶスキヤボデスとか一つ目の巨人とかが徘徊してると考えられていた。自分の土地から遠くはなれるほど怪物がいると考えたわけだが、このなんとも失礼な発想は欧州人だけではない。中国人も同じようなことを考えていた(参照『山海経』)のでおあいこである。

で、この小説が面白いのは「中世オタが涎たらすネタだらけ」ではない。

当時のメディアは書簡であった。書簡は多くの人に閲覧され、それは写しとられ、更に多くの人が目にする。それらの書簡に書かれたことは、多くの人の噂になる。旅をする商人や職人が街道の徒然でその話をする。当時のアカデミズムの場でもあった修道院にはそのような写し取られた「書簡」や「書物」が集積される。また、写し取るとき正確に写し取られるというわけでもなく、そこでは「政治的思惑」によって意図的に不正確になっているものもある。

あやしげな奇跡物語も、聖人譚も、魅力的な神話や伝承も当時の人々にとってはそれは半ば現実世界のことでもあり、権力者達はそれら迷信じみたものを信じていなくても、権威付けの為の素材であったり、戦争や侵略の口実、己の正義の為の補強材料として大いに利用していたというその光景を描き出したのがバウドリーノの前半の物語であり、後半はその物語世界に翻弄される冒険物語になっていく。

この物語の面白さは、紡ぎだしていく情報が既成事実化されていく光景と、既成事実化されたが為にその渦中に飲み込まれてしまった主人公達という、つまり我々が今まさにネットというバーチャル世界で常に体験していることを、中世という舞台でスライドして見せたということでもあるだろう。ガセネタを信じてRTしてしまったり(それは先日のわたくしだ!)、それが一人歩きしていつの間にか「真実化」してるなんてのはよくあること。

こうも情報の洪水に晒されていると終いには疑り深くなる。我々の知る「情報」は果たして真実なのか?それはなんらの意図を以て為された作られた真実ではないのか?ウィキリークスは「作られた情報」を忌避しようとする我々の情報欲望に応えて登場したメディアではあるが、そのウィキリークスの情報すら「なんらかの意図を以て流された」のでは?と妄想たくましくするものも登場した。

そのWikiLeaksに関してウンベルトエーコがコメントしている記事があった。
▼Not such wicked leaks
http://www.presseurop.eu/en/content/article/414871-not-such-wicked-leaks

英語なんで、英語脳がない私には大雑把にしか判らないが興味深い。

最先端の技術の結果が再び過去の技術を呼び戻すとかあれこれ言ってるのだが、「歴史」のお勉強するのが嫌いなオカルト野郎がいく神秘主義本屋の棚にある本はあらゆる古い本の焼き直しに過ぎないんだけどオカルト君たちはそれを無批判に信じてるんだよねー。ダンブラウンが成功したのはこういう馬鹿が・・・以下略(当方に英語力がないため大意)的な話などは『バウドリーノ』を読解するポインツなんじゃないか?と思った次第。

「歴史」というのは、物語を紡ぎだす。塩野七生は歴史家に「あんたのは歴史じゃない」といわれたらしいがまぁしょうがないだろうなぁ。歴史的事実というのは藪の中のものであり、「真実」というのは取り扱いが難しい。情報においてもまた然り。本当のことを語ることは誰もできないんじゃないかと。その点で主人公バウドリーノは大変に正直者である。自ら嘘つきだと告白しているからねぇ。自分は嘘つきだというクレタ人か?

バウドリーノの物語は、中世の中に存在した様々な伝承の集積という点では真実である。当時の中世人が果たしてそれを真実だと思っていたか判らないがそこで語られる世界はなんとも楽しげで、幻想文学好きなわたくし的にはわくわくしてしまうのである。

まー、とにかく中世とか知らなくても冒険小説としても面白いのがエーコセンセのすごいところだな。『薔薇の名前』よりとっつき易いと思うので、エーコ読んでみたいけど中世神学とかわかんないしコムズっぽい気がしてやだと思って敬遠していた方はこれを機会に読んでみるといいと思うの。

ハセガーに騙されたわけだが

先日の記事の長谷川哲也氏のブログは釣りだったようです。

http://mekauma.blog89.fc2.com/blog-entry-529.html

動揺して、正式に打ち切り発表でたら嘆願書でも出すかとか、別の出版社に泣きつこうかとか色々妄想してしまいましたが、まったくの嘘というかエイプリルフールだったのかよ!!!と。。。。_| ̄|○

なんか、担当へんしゅーさんが反応みてみようかとか思ったんですかね?心臓に悪い冗談はやめていただきたいものですが、まぁそれよりも続いてくれるということの方が嬉しいので、不問に処す!

なんちて。

なんせあそこまで壊れて気の狂った汗臭いおっさんたちがくんずほぐれつしてる漫画は珍しいのと、同じぐらい汗臭くてむさくるしいオヤジ達がくんずほぐれつしてる某作家の作品との共通項から、わたくしの挿画の仕事のイメージトレーニングには欠かせないガジェットなので、なくなったら困る。仕事が出来ない。

なので、まぁ永遠に続いて欲しいぐらいです。

なにはともあれよかったとです。

え?『ナポレオン〜獅子の時代』が大変なことに????

いやもうブログサボりまくってまして、済みません。ウンベルト・エーコの『バウドリーノ』読んだので書評書きたいとか、いち早く佐藤亜紀の『醜聞の作法』の書評書くかなとか、サミュエル・R・ディレイニーの短編を家の4次元書棚で発掘して萌えたとか、介護日記でも書いてみるかなとか色々あるんですが、何故かずっと仕事が忙しく文章脳にならないので完全に放置してました。

が、本日超ショックなニュースが流れてきたので書く。

詳細は以下に。
長谷川哲也 日記
http://mekauma.blog89.fc2.com/blog-entry-528.html#comment2167

上記の日記を読むと、どーも長谷川哲也氏の『ナポレオン〜獅子の時代』がとりあえず終了らしい。新章に入るはずだったのがそのあとはないみたいです。

ショックである。

どういう漫画かというと、これね↓

ナポレオン 1―獅子の時代 (ヤングキングコミックス)

ナポレオン 1―獅子の時代 (ヤングキングコミックス)

思えば佐藤賢一氏のフランス革命の挿絵仕事をしているとき、煮詰まるとこの漫画読んで元気貰ってたんですよね。なんせほとんど男ばかりが暑苦しく革命してるサトケン小説の登場人物の汗臭さ、漢臭さをもっとも手早く脳内に視覚化させる為にはハセガーテイストが最適化されていたのですよ。イメージトレーニングに最良。つまりわたくしにとってこの漫画はサトケン仕事のときの座右の書でございました。

もうね、作品が進むごとにどんどんと壊れていくおっさんたちの暑苦しい感じが大層宜しゅうございましたのに。

戦争を美しくなく泥まみれにぐちゃぐちゃとどこかどうしようもない感じに描くというあたりも大層素晴らしかったんですが、どーしてこの素晴らしい作品が・・・・。これ完結されないと国家的損失ぞ!

いずれどこかで再開してくれないかなぁ。

コアなファンがけっこういたと思うんですよねぇ。。。

参照↓
http://togetter.com/li/81435
ツイッター上の阿鼻叫喚

私の周りにもファンは多いのでがんばっていつか再開して欲しいと思いますです。。。
しくしくしく。

ええと少年画報社さんの気が変わるかもしれないので皆さん今からでも遅くはない。漫画を買いましょう。世界史のお勉強にもなりますよ。

島のミニコミ誌を作ったから宣伝するよ

与論島ミニコミ誌です。

いいから、買え。

いや、失礼。はじめから本音で飛ばしてしまいましたが、夏にうじうじうじうじとトロピカルに煌めく海にも行かず、窓の外に聞こえる観光客の嬌声も無視し、不健康に引きこもり、体重がそこはかとなく増えながらもパソに向かってずっとやっていたお仕事がこのミニコミ誌の作成だったのですね。

与論島は小さい島で産業は農業漁業,そして観光業でなんとか食っている小さくて面積は杉並区ぐらい、人口5000人台の共同体です。過疎化に悩み高齢化に悩む我々の島ですが、我々住人たちが自分たちで外に向かって情報発信し,島の事を知ってもらいたいというよくありがちな・・いや違った、けなげに生き残ろうという地方自治体の涙ぐましい努力の一つとしてこういう情報誌を立ち上げた次第ですよ。

与論島沖縄本島が一番近く、風景も風土も沖縄っぽくて言葉や伝統もほとんど沖縄っぽいのに、沖縄県でなく鹿児島県。なのでなんとなく沖縄ブームでもガン無視、しかも「ヨロン」などと書くもんで「それどこの外国?」「パスポートいるの?」などと聞かれる始末なちいこい島。かつては日本の最南端というブームもあったのでその時代の人は知ってたりしますが,今は知らない人が多い島ですよ。

このミニコミ誌「かなしゃ」は島の観光局ががんばって発信している情報と被らない、そのお手伝い的な、つまり観光局やガイドブック情報とは異なる隙間家具みたいな情報を拾って、島に来た人がホテルでなんとなく読むもんないから読んでみよかな?とか、ああ、島ってこんな感じだったよねみたいなものとか、なんかうちの島のまったりとした空気みたいなものをかたちにしてみたいというそんなのがコンセプトです。

集まった編集者は皆、雑誌を作るのは素人。発行人のイタリアンレストラン「アマン」の主人、長崎歳さんとお慶さんご夫妻の声かけで集まった島の有志たちです。編集長にはベテランイラストレーターで料理の本も出しているもとくにこさん。編集者は島のおしゃれなカフェ「海カフェ」を営む阿由葉えり弥さん。で、不肖わたくし、あんとに庵がデザインディレクションなんぞをさせていただき、糞暑い夏の間侃々諤々と、島んちゅの竹盛窪さんなどにも相談に乗っていただきながら、第一号を何とか出す運びとなりました。

発行人からのご挨拶はこちら。

コンテンツはこんな感じです。

あー、こんなのじゃわかりませんね。まぁ島の事をうだうだ紹介したり島のご飯の特集だったりです。わたくしも密かに執筆したりしてますがどれかは内緒だ。

執筆協力は遥か彼方のイギリス在住のあかねさん、イラスト協力に島在住の大学からの友人のアーティスト河野祐子さん。更に奄美についての本なども書いておられる実はこの世界のプロの喜山荘一さんからアドバイスをもらったり、いろいろな方にお世話になりました。
雑誌スペックはこんな

オールカラー、A5サイズ、表、裏表紙を含めて32ページ
値段は500円(税込み)

マジ。ミニこみ。
ご購入くださるなどというとんでもなく奇特でたいへんに珍しい方は下記にご連絡ください。「あんとに庵のブログで読んだから送れ」とかなんとかファックスとかメールとかしてみてくださいです。

発行元よろんよろん
TEL&FAX 0997-97-4422
eMail fuente@lares.dti.ne.jp

お支払いは本誌とともに振込用紙をお送り致します。送料は無料。お得。

よろしくです。
これからまた無謀にも二号とか三号とか出すつもりなんで「こんなの読みたい」とか「なんだよこれ?デザイン最悪」とか、いろいろご指導ご鞭撻いただけたらうれしいです。


かなしゃブログをそのうち立ち上げたいですな。

あ、書き忘れたが、この「かなしゃ」は地方自治体とか特定の団体とか全然、まったく関係なく勝手に立ち上がった、よーするにNPOとか言うんですかね?そこまで立派ではありませんが、そういう感じっぽい存在なので、皆様の声援がくじけずやり続ける原動力になりますですので、よろしゅうです。