虐殺の光景

チベット絡みで、法輪功のページにぶち当たって、なんか怖い話を沢山読んでしまった。
チベット問題は国家と民族、グローバリズムとナショナル、マジョリティとマイノリティ、というような世界のあちこちで今見られる紛争の一つなわけなんだが、地理的にも歴史的にも近い東アジアの出来事は身近に感じられるのだが、どうしてもアフリカといった遠い大陸の現状は想像がつかない。スーダンダルフール問題、ルワンダ・・アフリカのあちこちで内乱が続いていることの情景が今一つつかめないでいた。

たまたま友人が、翻訳した本を献本してくれた。それがシエラレオネという国で起きた内戦の光景の本だった。

戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった

戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった

シエラレオネで起きた内乱に巻き込まれたある少年の証言である。
12歳の時に戦争に巻き込まれ、少年兵として政府軍で銃をとり、15歳まで前線で戦闘に参加し続けた。15歳の時にユニセフの機関に救出され、その後の内戦の激化によって国外に脱出、アメリカで養母の元、大学に進学する。この物語では内戦で混乱したシエラレオネから脱出し、国境を越えたところで終わる。
リアルな体験通じてみたアフリカの小国シエラレオネの内戦。ある日突然、戦争がやって来る。友人達と遊ぶ為に集落を離れた時、反乱軍兵士達がやって来て彼らの家に襲いかかった。語り手イシメールと友人達は留守ゆえに命は助かるが、国内難民化する。住む場所もなく、目的もなく集落から集落へと放浪する子供たちに対し、他の集落の人々は暖かかったり酷い態度をとられたり様々である。放浪する子供たちに慣れすぎ、そして養う余裕すらないがゆえでもあり、またこうした難民化した少年たちが飢えるあまりに暴徒化したり少年兵として人々を傷つけたりするから警戒されるのだ。ある集落では縛られ、靴を奪われ裸足で放り出される。
反乱兵たちが他の集落に襲いかかる光景を目にする。反乱軍の兵士達は、単に銃弾と食料を略奪する為だけに、その村の村民達を虐殺し、家々に火を放つ。あとには無人の村が残るだけである。彼らには兵站という概念はない。食物のあるトコから奪って移動して行くのみである。
彷徨い続けた揚げ句、友人の一人が衰弱し命を落とす。どこにも受け入れてもらえない子供たち。そして、旅果てにたどり着くは政府軍の前線基地であり、彼らはそこで拾われ少年兵として鍛えられる。
気がつくと、一人前に銃をとり、反乱軍兵士達を撃ち続ける。親を殺した憎い敵だ!という伍長の言葉に突き動かされ、殺すか殺されるかという単純な世界で生きのび続ける。イシメールにとって休みの時にジュリアス・シーザーを読み続ける伍長がいまや父でもあり、神でもある。命じるままに動く兵士となって、反乱兵たちー自分と同じ少年たちもいるーを殺し続けるのだ。恐怖は配給されるドラッグで緩和され、常に薬漬けの高揚した精神の中で、銃だけが自分を守るものとなる。それはあたかもあの佐藤亜紀が書いた『ミノタウロス』の世界のようだ。己の意志で参加したわけでもない戦争の中にほおりこまれ、善悪も理念もない、ただ己が生存する為だけに行動する、戦争の作り出した怪物である子供たち。
これね↓
ミノタウロス

ミノタウロス


で、15歳となった時、彼はユニセフの職員に前線から連れ出される。戦争地域で戦争の犬となった子供たちを矯正するリハビリセンターに入居することになる。唐突にこんな世界に連れ込まれた彼は戸惑う。「民間人」を蔑視し、敵対的な目で職員達を見る。反政府の兵士であった少年たちの一団が送り込まれた時施設内は戦闘状態と化した。イシメール達にとって、彼らは敵であり殺さねばならない存在であり、彼らにとって、イシメール達は敵であり殺さねばならないという単純な公式だからである。仲裁に出たユニセフ職員や憲兵達を巻き込んだ死闘となり、慣れ親しんだ骸が施設の中に転がる。それが彼の日常ゆえに。

最終的にリハビリは成功し、彼はこうして手記を綴っている。
しかし彼のように救い出された子供の影には数多の多くの少年兵たちがいる。それは多くのアフリカという土地に存在しているのであろう。そして戦争をしている当の本人達すらその理念など判ってないんじゃないかというようなエンドレスの死の光景。
それが今のダルフールなどで起きていることなのだろうと思う。

丁度、先日こういう本を読み終えた。虐殺の光景の物語。

虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

あちこちで評判が良かったんで、まぁ読んでみることにした。実は表紙を見て、ラノベのごとき漫画臭さに一抹の不安を覚えた。マッチョ系ライトノベルというか、サイバーパンク大友克洋なにほひといいますか、お前ブレードランナー何度も見たクチだろみたいな、お里が知れる感覚。
読み終えて、その印象はさほど外れてもいなかったが、思った以上にかなりまぁ面白かった。粗削りであるし、正直小説の完成度としては、日本人作家が陥るつまらなさのセオリーにはまっていたり・・つまり、登場人物が会話で語り過ぎというか、うんちく垂れ過ぎ。ミステリーなんかによくあるんだが「よくしゃべるなこの犯人」ってヤツね。どうも日本の作家は蘊蓄をひけらかせたいのか、あるいは情景や描写で表現せず、直接的な言葉で思想を語るので、小説を読んでいるはずなのに誰かのブログ記事を読んでいる気分に陥り、ブクマで[あとで読む]などと付けたくなるわけだがー残念ながらこの小説も、虐殺言語というシロモノの不気味さを説明しすぎていてすごい素材を台なしにしてしまっている。残念である。
しかしSF的な面白さというか、人造筋肉で出来た機械とか、ナノテクノロジーとバイオテクノロジーに溢れ返った世界の描写が独特で面白い。世界で起きるあちこちの小さな紛争地域で見られる「虐殺」の影に存在する男の痕跡を追い続けるという設定もいい。正直、最後まで影を負い続け、本人との直接的な対話などなかった方がもっと面白かったんではあるまいか?その方がより不気味であったようにも思える。『ブレード・ランナー』でいえばデッカードレプリカント達を追いつめていくようなあの緊迫感ね。

この小説のテーマはそういうわけで語られすぎた言葉でよく判らなくなってしまったが、主人公が背負っている贖罪的な感覚、それは上記のシエラレオネの少年兵ーあるいは佐藤亜紀の『ミノタウロス』もそうだがーそれら理由などないかのような戦争とは違っていて、なにやら己の殺しの意味を延々うじうじと悩んでいる。思弁的であり内省的である。
そういえばこれ↓

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)

これもまた人が人を裁いていくことの意味、あるいは人が人の運命を決定づけるというかそういうことを延々うじうじやってるような小説だったが、こっちの主人公鈴原は『虐殺器官』の主人公と違う文法を所持しているはずが・・・・以下略 まぁつまり激しくエゴイズムな主人公がいてそやつが日本をよろしくやるという話である。マチズモでナショナルなお話である。それと対極なのが『虐殺器官』の主人公で、母のトラウマを抱えているという設定。一時期はやったエヴァとか(よく知らない)FFVIIスーパーサイヤ人みたいな頭の主人公(名前忘れた)系かよ。なんだが、その主人公の後ろ向きな思索っぷりのお陰で、丁度以前読んだジェフリーフォードの『白い果実』のごとき幻想性を感じなくもない仕上がりになっている。
これね↓
白い果実

白い果実

以前書評書いた
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20080104

虐殺器官』が一人称で語られているせいだからなのかもしれないが、主人公の精神の彷徨い感と、そして視覚的に面白いような世界設定が、ジェフリーフォード的なモノに通じるといいますか。多分。説明など省き、あくまでも主人公の視点で観た解釈だけにとどめ、説明的なあれも読者の想像に任せるような部分がもっとあったら、より面白くなっただろうなというか、キングオブ幻想SFなんて位置に入れたくなるだけに惜しい。

で、まぁここんとこチベット問題で虐殺的な何事かを考える機会が多く、揚げ句、小説までもがそういうネタのが多いな。
ジェフリーフォードをあげたが上記のの続編を読んだんで今度はそれの書評書きます。