『虹色のトロツキー』安彦良和 団塊革命家の見た泥沼の満州
uumin3さんのところで安彦さんが学生運動家でガッコで暴れて処分を受けていたという話が出ていた。ああ、アムロみたいなヤツだったんだなぁなどと感想を持った。
○uumin3の日記
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20081110#p1
■安彦良和さんのこと
なんでも、弘前大学に教員としていた頃、学生運動に関わり、逮捕され、学校に処分を受けてそれでまたひと暴れして去っていった。uumin3さんの話はその時、講師として大学にいらした教授の回顧なのだけど、その教授が回顧し観想を一言述べるさまもまた安彦的な世界だなと思った次第。どういう環境で彼のあの独特の世界観が育まれたのか片鱗を見た気がした。
彼の描く漫画はどれも主人公が戦っている。戦記モノが多い。更に主人公の多くは怒りを溜めている。肩の力が入りすぎていて、こういう男のそばにいると疲れるだろうな〜と思うような人が多い。アムロなどはその典型だ。付き合う男がああいうガキは嫌だが、自分の子供だったらああいうガキであって欲しいかもしれない。
怒りの対象は、様々だが、結局は戦いに赴かねばならない自分の運命的な理不尽さ、行かずにはいられないそれであったり、つまりまぁ「戦う」ということがテーマであるが、それへの屈折した心情を表すのはうまいなぁと感心する。ストレートに戦わない。屈折しまくっているあたりが深さを与えてるんだと思う。
安彦の漫画は読んだことがある中から分類すると『アリオン』や『ナムジ』に代表される神話ファンタジーモノ、『ジャンヌ』『イエス』『我が名はネロ』といった古典歴史『虹色のトロツキー』のような近代史のような歴史モノ、『クルドの星』『韃靼タイフーン』というような現代?モノ、そして『ガンダム』・・こちらはまぁアニメの漫画化なんで異質とはいえるが、なんとなく全作品に共通するエートスはある。
ここに挙げたどの作品も全部なんかしら戦っていた。イエスとネロ漫画は剣世界ではなく、権謀術数だったり、革命的言動者の闘争めいたものではあるが、なにがしかとの戦いに置かれたものの人生譚といっていいかも。
安彦さんというのはつくづく闘ってる人だなと思った。
丁度、先日宮崎駿のことをNHKでやっていたのだが、彼も『風の谷のナウシカ』や『紅の豚』に見られるような兵器とか軍ヲタ的な飛ぶものへの美とか、期せずして戦いに巻き込まれたもののサガなどを書いていて、それが子供の頃に読んだ戦記モノの物語絵に影響されていたという話を読んで、なるほどなと思った。
宮崎駿は戦中生まれ。幼い頃に戦争を見ている。60年安保世代はその年齢のが多い。
一般的というか彼らから少し離れ、全体感としての印象だが60年安保世代にしても、70年代安保世代にしても闘争的だなと感じるときがある。平和といいながら闘争的なのだ。敵を作らずには気がすまないような闘争心や、闘争的な言論。そうしたものはこれらの世代の原風景にあったのか。
我々の子供の頃のアニメも戦ってるのは多いし、現代のものだってそうだ。なので別にこの世代に限らないんじゃと思うが、戦争の残滓が明確に残る戦記モノとはやはり異質ではあるかもしれない。団塊の世代はその点で子供の頃に触れていたものが戦時下にあったものとかも多かっただろうし、実は「戦争を知らない」戦後世代に入らないんじゃないかと思ったりもする。
で、安彦さんの作品でお薦めなのというとこれ↓
- 作者: 安彦良和
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2000/03/01
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満州建国とその後にまつわる戦記モノというか、このストーリーに関してはずいぶん昔にくまりんさんがまとめていたのが秀逸なので紹介しておく。
○くまりんが見てた PartIII
http://d.hatena.ne.jp/kumarin/20030621/p1
■安彦良和「虹色のトロツキー」ー戦争は強いものにも弱いものにも襲いかかる
安彦がキーパーソンとしてトロツキーを持ち出してきたあたりがミソだなというか、マルキストでもどっちかというとトロツキストなのかとこの漫画を読んだときに思ったことがある。いわゆるその後の代々木的なマルキスト達とかとちょっと違う。かなり闘争的である。そのうちチェゲバラの伝記でも書くんじゃないか?と思ったりするが、もう書いていたりして。
尤もトロツキーを書いた漫画ではなく、トロツキーは出てこない。寧ろ石原莞爾や辻政信といった陸軍の頭脳派や妖怪的存在をかなり良く描いている。恥ずかしながら彼の漫画で始めて石原莞爾を知り、こんな存在がいたのかと興味を持った。
似たような時代設定で描かれた漫画というとかわぐちかいじの『ジパング』がある。こちらも石原莞爾や辻政信は出てくる。
- 作者: かわぐちかいじ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/01/20
- メディア: コミック
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安彦のトロツキーは読んでいて大変に息苦しいのだが、あの時代のあの空気とはきっとこんなんだったのかもなぁ・・と思わせるリアリズムを感じてしまう。勿論、フィクションであり、更にリアリティったってその場を知るわけもないし、ほんとのところはわからないのだが。
特に泥とほこりにまみれたような戦場でのラストの物悲しさは秀逸だ。
どちらも同世代で戦争というものの持つ愚かさを書いてはいるんだろうが、なんとなくスタンスの違いを感じる。安保世代のことには詳しくないのでその差は判らないが、かわぐちは一貫してアメリカに代表される外国の脅威に着目しているのだが、安彦の場合は主体は常に主人公にあるし、戦争へと向かわざるを得なかった理不尽さ、あるいは様々な事象の矛盾などを描いているあたりでリアリティを感じる。善悪がかわぐちほどには明快でもない。かわぐちは反米的というかナショナリスト的な印象があるが、安彦はそちらに対するこだわりは表現にはあまり出てこない。
寧ろ「闘争」というものが一貫してあるんではないか。闘争と挫折というものが描かれていくのはやはりuumin3さんが紹介していた教授のエピソードに見えるような体験的なものがあるのかもしれない。
個人的にはかなりの名作として位置しているので興味持った方は読んでほしいなと思うのです。
ところでセンソーものというと、長谷川さんのナポレオンの第10巻も出たよ。
- 作者: 長谷川哲也
- 出版社/メーカー: 少年画報社
- 発売日: 2008/09/29
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戦争をロマン主義的に描かない長谷川漫画。大義もない。ただそこに闘いがあるから戦うんだみたいな漢世界。それも少年的闘争熱の持ち方でなく、闘犬的といいますか。
今回も変態的でクリーチャーな将校達が暴れています。いや、すげー。ナポレオン配下の将校達がどんどん『ベルセルク』の使徒化しているんだが大丈夫だろうか?これヨーロッパでも売ってるらしいんですが、ご本人も心配していたが、史実ではなくフィクション化させてしまってるのも多いんでどう受け止められているのか興味深い。
オージュローなんぞは結構お洒落だったらしいんだがここじゃ常に上半身裸の野蛮人だもんな。
しかし、この10巻を探し当てるまで苦労しましたよ。本屋さんにないんだよ。少年画報社はあまり置いてないんだね。しくしくしく。