本日のチベット 『ダライ・ラマの自伝』は面白いよ

本日のちべヲチ。
バトル画像は、気が向いたらまた作るけど、今んとこくたびれ中。

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以前から読みたいと思っていた『ダライラマ自伝』を読書中。

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

以前某K社の編集さんが読んですこぶる面白いと勧められていた。読もうと思いつつ、あとで買う状態になっていたのを、まぁこんなことが起きたので、ちゃんと読もうと、早速ぽちっとなと注文したのが届いたのだな。他にも勧められていた沖縄の密貿易の女実業家の話とか、アメリカの格差社会の話とか、大野さんの新刊のアーチスト本とかその手のがどさっと届いた。なんせネット買いだと、本の手触り感覚で買えないんで、情報命になりますよ。

で、『ダライ・ラマ自伝』
こいつが滅法面白い。

なんせつい最近まで仏教の神権政治が行われていた国。チベットというと、山奥の辺鄙な場所の代名詞。村上龍の小説『愛と幻想のファシズム』でも埼玉のどっかの街の形容に「埼玉のチベット」などと使っていた。とにかく知られざる秘境的な存在だったわけで。

話はダライラマの幼少期から始まり、ラサで過ごした少年時代青年時代、多くの僧侶に囲まれて、活仏として教育を受けていくその過程が書かれている。ベルトリッチ監督の『ラストエンペラー』はこれに着想されたんじゃあるまいか?というような絵巻物的な光景が綴られていく。ダライ・ラマ自身の筆致が非常にビジュアル的だというのもあるが、とにかく描写が細かく面白い。宝物殿で見つけた機械類をいじくり回す少年時代のダライ・ラマ。イギリスからの進物という辺りが時代を感じる。兵隊ごっこが好きで、自分で作った飛行機や兵隊などで、お付の人たちと戦争ごっこをしている。僧侶が戦争ごっこというのは眉をしかめられるのだろうがそこはおおらかに子供に接する周りの人々がいたようだ。ぎびしい修業のさなかにもおおらかさを失わない健全な教育を受けたようだ。

貧しいが、ダライ・ラマを慕うチベットの民衆の光景も書かれる。それは大変に素朴な慕い方のようだ。日本の皇室を慕うありようとはどこか異質で、それはたとえばタイなどで未だ王様を慕う人々と同じような光景である。タイ人に王様のことを批判したら怒られるんである。島には奥さんがタイ人というご夫婦がいるんだが、旦那の方がタイのお札で遊んでいたら(たぶんニコニコさせるあれだな)、奥さんに怒られたらしい「王様になんてことするのよー。」とか。その慕い方は強権的な、畏れのようなものではなく、もっとおおらかに暖かい関係性がある。なにか神聖な守護者のような。ダライ・ラマとはチベット人にとってそういう存在なのである。
故においそれと外を見てはいけないとか、顔を見せるとすぐ拝まれてしまうとか、まぁ子供にとっては戸惑うことも多かったようだ。

チベットの民は貧しい。しょうもない盗みを働くようなそんな民にもダライ・ラマの目は優しい。成長し、チベットの歴史が作り出したひずみの中で苦しめられている民衆の声を聞く機会を持っていく中で、大衆の為に行う政治ということを考えはじめる。

そして、中国共産党の侵略によって、その王朝絵巻的な世界は一変する。
「解放」と称して侵略してくる人民解放軍。そのやり方は、まるで抗日運動の物語のようで、日本に侵略された中国がいかばかりに大変だったかという物語にあるようなアレである。しかもそれ以上の残虐な光景まである。自治を認めながら、実質ナニも認めない。

北京で毛沢東と会見したダライ・ラママルクス主義を理解しようと勤める。確かに人民が平等に平和である社会が来るなら、チベットの民は救われるであろう。神権政治が長すぎて生じたひずみがただされるのではないか?と、中国政府と上手くやっていく方向を探ろうとする。仏教とマルクス主義を両立させるにはどうしたらいいのかなどと思索する。しかし毛沢東は会見の最後に「あなたの態度はとてもいい。しかし宗教は毒だ。第一に、人口を減少させる。なぜなら僧侶と尼僧は独身でいなくてはならないし、第二に、宗教は物質的進歩を無視するからだ」とダライ・ラマに告げる。これを聞いて一気に暗たんたる気持ちになった。毛はこの数日の会見でチベットというものを、ダライ・ラマという存在をなに一つ理解しようとしなかった。「あなたは結局ダルマ(法)の破壊者なのですね」という暗い気持ちの中で帰路につくことになる。近代化と宗教は必ずしも相反しないのだというダライ・ラマの思いは通じなかった。

宗教に関してあれほどまでに中国が偏執的に弾圧する根のところはわたくしも判らない。この毛の言葉は典型的な宗教嫌いであり、宗教に対する警戒あるいは侮蔑と取れるものがある。迷信的なものからほど遠い孔子儒教集団が嫌われたのとも異質である。秦の始皇帝のごとき判りやすい理由もない。宗教団体が反乱の温床だからというような歴史的な事象だけではない、この宗教嫌いは何ナノだろうか?と思わなくもないが。

チベットはその後、侵略者によって苦しめられていく。はじめに結ばれた自治の取り決めなど簡単に無視され、寺は破壊され、僧侶達は虐待を受け、チベット人は反宗教的な教育を押し付けられることに抵抗し、ゲリラなどが立ち上がる。もともと折衝をよしとしない民族だったがために、戦闘というものを嫌っていた民族だった。兵士は低く見られていた。そんな社会で、戦闘に立ち上がる人々が登場するというのはどれだけのことだっただろうか。

中共が侵略した時、多くの諸外国はチベットに背を向けた。交流のあったイギリスもインドも誰も助けてはくれなかった。この時、もし諸外国が介入していたらどうなっていただろうか?と考えるのは、ifでしかない。ただチベットが独立国として存続する機会はこの時しかなかっただろう。今となっては、独立は却って混乱する。アフガニスタン化しかねない。だからダライ・ラマは「高度な自治」という中国政府の傘下にありながら、独自の伝統を守ることが可能な社会を望んでいるわけなのだが。

今読書は、ちょうどダライ・ラマがインドに亡命した辺りである。多くの難民がインドに押し寄せているところである。これがやがて自治政府が出来ていくまでの物語が続くのだろう。

ダライ・ラマ14世の先代、ダライ・ラマ13世はこれらのことを予見していたのかこんな言葉を残していた。

チベットは、宗教、政府の両方が内外から攻撃を受けるであろう。もしわれわれみずから自国を守らないなら、ダライとパンチェン・ラマ、父と子、すべての尊厳すべき宗教指導者達はこの国から姿を消し、無名のものとなってしまうであろう。僧も僧院も絶滅されるだろう。法の支配は弱まり、政府官僚の土地、財産は没収されるだろう。彼らは己の敵に奉仕させられ、物ごいのように国を彷徨うことになろう。すべてのものが塗炭の苦しみに喘ぎ、恐怖にさらされ、昼も夜も苦悩に重い足を曳きずってゆくだろう。(p70)

先代の13世は世界大戦の混乱期を見ていた人であった。非暴力の精神の国で防衛を必要とすると考え、軍事力を強化しようと改革したとか、近代化を進めようと発電機や印刷機などの近代技術を導入しようとしたようだ。彼の死によってそれらの改革は中止され、引き継がれなかった。

14世は、そうした暴力に暴力で対抗するは結局更なる暴力を招く現状を見てきた。残念ながら13世の時の改革が受け継がれなかったチベットは圧倒的に軍事力では劣る。そのような状況では暴力で対抗しても事態は悪化するだけである。故に中庸の道を探りはじめた。現実問題として、確かにそれしかないのが今のチベットの状況ではある。漢族の恐怖で以て民衆を縛る方法論は通用しないということを、ずっと中国に問い続けて来たわけなのだが。毛のように未だ理解していないのだろうか。