本日のチベット 『ダライ・ラマ自伝』続き。

ちべヲチ。
昨日の続き。『ダライ・ラマの自伝』読み終え。

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)

あのあとの物語は難民化したチベットの民のこと、チベットに残されたチベットの民のことなど。
インドに逃げたチベットの人々の苦労は並々ならぬものだったようだ。なんせ高地で寒いトコに住んでいたのがいきなり熱帯である。伝染病に罹って亡くなる方が多かった。その死亡率たるや5人に一人とか、信じられない数字である。どれだけ悲劇的な状況に置かれていたのか象徴的な数字である。

また、チベットに残された人々の消息は断片的にダライの元に入るが、悲惨なニュースしかない。虐待に継ぐ虐待。イデオロギー教育が為され、チベットの固有の文化は急速に失われんとしていく。大量の寺院は破壊され、多くの修道僧、尼僧達が追い出され、虐待され、辱めを受けている。仏像などをはじめ、聖なる寺院の様々な聖具は溶かされ、無きものとなる。チベット仏教は単なる観光文化としての価値しか見いだされず、宗教国家としてのチベット人が共有していた精神性は完全に破壊されようとしている。

うーん。なんだ。この光景はアレだ。おフランス革命なあれみたいだな。
フランスには多くの教会があるが結構な数の教会や修道院が廃虚となっている。観光物件となってるようなのもあるが、他のものに転用されているものもある。まぁもともと馬鹿みたいに数が多かっただろうから仕方ないにしても、使われている教会の内部も酷い。あらゆる装飾がはぎ取られ、破壊の限りを尽くしたあとが今も残る。教会に納められていた多くの聖画像は美術館へ送られ、空しい空間だけが広がっている教会も多い。ある教区では聖画像が無いんで注文したいがその予算もないという哀れな状況を聞いた。そうした聖画像は教会にあって宗教の道具であることこそが意味を成すものであり、そのように観光的な視点で観られるのはそれを描いた画家も屈辱だろう。かつてルーブル美術館をそうした美術品の墓場だと表した美術評論家がいたが。まぁチベットでもそんなふうに中共無神論者からすると意味ない仏像などを簡単にぶっ壊してしまうわけだ。
フランスのサルコジが中国を批判しておるようだが、中国はもしかしたらそういうおフランス革命を参考にしたかも知れんぞ。教会財産を没収し、まずあらゆる文化遺産は国有なんであるとかなんとか。しかも政教分離はいいんだが、やりすぎで、パブリックな場には一切の宗教的なるものを排除するあまりに、修道士、修道女達の修道服の着用すら認めない。宗教施設内ではいいけどみたいな。こういう微妙な圧力ある社会で、いきなり政教一致脳のイスラム移民がやってきたりするのだからこれまた混乱するわけだ。
こういう現象を抱えたおフランスが、文化虐殺をする中国を批判するってのもなんだかなぁとは思うものの、まぁフランスの場合、先ず、自分自身がその宗教の民であったわけで、民族が自分で決定した結果ではある。また移民との衝突も、先住民のフランス文化が先ず前提にあるところに入って行くわけなので、チベットのように先住民の文化をあとから来たヤツが排除するのとはわけが違う。自己決定はそこにはない。自分で選び取っていくのではない押し付けがそこにある。だから問題なんだと。まぁそういうことではある。
ただ、主観的な中国人には「おまいらの歴史とおんなじだろが!そうやらないと改革出来んだろ?」とか言われちゃうかもです。でも文化大革命で破壊しまくった道観とか直して、こんな馬鹿なことしなきゃよかったと反省してるんだからねぇ・・・。

で、話は戻るが、これら中国人の暴虐の限りを記している時のダライの筆致は時に感情が乱れるようで、怒りすら感じなくもない。それでも、ダライ・ラマは中国人の個人としての人間性と、それらの破壊に走る要素や嘘をいう性質とを分離してみようとしているし、また、共産主義という概念そのものを否定しない。間違った行いに、あるいは理解こそが、問題だと考える。非常に理性的な分析をしている。
亡命後、ダライラマは多くの宗教者と話し、また世界を見て歩くことになる。
どうもカトリックの修道僧とは気が合うらしく、霊的な共通性を見いだしたとか、発見しています。確かにかなり共通するものがあるとは思いますね。おそらく正教会にも共通性を見いだすと思います。それと修道士達が真面目なのにすごく驚いている。そうなのか?それと社会福祉活動を積極的に行っている修道士や修道女を知り、うちの僧達にはそういう発想がないです。などといたく反省している。まぁそもそも社会構造が違っていたんだからしょうがないのだと思うけど。

日本にやって来て、伝統的なるものと近代化とが同居して成功した素晴らしい例だ!とか感動しています。まぁ日本でもかつての伝統性というのは失われつつあるんですが、ダライ・ラマにはそう見えたらしい。あと、街が清潔なのに驚いている。チベットはかなり駄目なようです。旅行記などでもそういう辺りが指摘されている。

この辺りの世界びっくり仰天具合に素直な視点があり、そして霊的に高い人の持つある種のニュートラルな安定性が、その観察眼にあるのだなと思う。学ぶことをやめない。そして力になってくれた人々への感謝を消して忘れない。

にしてもダライ・ラマ毛沢東と会談したのは19歳。亡命したのが24歳。こんな若さで一国の、民の命運を背負うというのはすごく過酷なことである。その経験が今のダライ・ラマのあのカリスマを作ったとも言えるが。

そういえば、教皇ヨハネ・パウロ2世にあった時、同じ境遇ゆえにかなり親近感を感じたらしい。共産主義国ソビエト連邦に蹂躙されてきた歴史を生き抜いたポーランド出身の宗教指導者ヨハネ・パウロ2世ダライ・ラマ14世は共通することが多いだろう。そのポーランドが、チベット問題を批判して北京五輪の開会式には出ないよ。と言ったらしいが、さもありなんと思う。スターリン主義的な共産主義国家は許せんだろうなぁというか。悪夢がよみがえるのだろうなと。

そういえば、こんなニュースも。

▼中国政府に同調 宗教団体からダライラマ批判相次ぐ 
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080329/chn0803291923004-n1.htm
【北京=矢板明夫】3月中旬のチベット騒乱以後、中国各地で宗教関係者による会議、集会が次々と開かれている。いずれも中国政府の主張と唱和する内容で、仏教、キリスト教イスラム教、道教などの指導者が相次いで、“自発的”にチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を批判し始めた。
 中国メディアの報道などによると、宗教関係者による集会は各地で急増している。仏教聖地の山西省五台山では23日、約1000人の僧尼が集会を開き、「チベット独立反対」などを訴え、ダライ・ラマを批判した。山東省、甘粛省などでは、政府の呼びかけで、宗教リーダーらによる同様の懇談会が開かれた。
 河北省石家荘市のカトリック教愛国会の郭克昌副主席は「祖国を分裂し団結を破壊するダライ集団の大罪を、私たちは怒りを込めて非難する」と同市のホームページにつづった。ローマ法王ベネディクト16世は19日、チベット騒乱について「神がそれぞれに対話と寛容の道を選ぶ勇気を与えるよう祈る」と語っているが、カトリック教徒の郭氏は、融和を求める法王の言葉よりも、中国政府の強硬意見に賛同している。
 中国の宗教関係者は過去にも、政府の宣伝塔の役を担っており、1990年代末に当局が気功集団「法輪功」を取り締まった際、各宗教団体は団結して「反法輪功」の大キャンペーンを行った。政府の支配下にある各教団の動きは、騒乱が他宗教に飛び火しないための当局による工作の一環とみられる。

中国様叩きならどんどんニュースする産経だが、まぁいいや。

今度は宗教組織を味方に付けてみようということか?それとも各宗教組織的にチキンハートバクバク状態で思わず表明か?
にしてもカトリック愛国教会かぁ。教皇に反抗的で中共様言いなりの方ね。地下教会の方は絶対賛成してないと思うぞ。だいたい「主席」ってなんだ?カトリックにそんな身分はない。司教じゃないのか?愛国教会ってほとんど中共様の下部組織なんだな。バチカンが何度批判しても聞いちゃくれない中共様の勝手組織。いやはや。イスラムも一部だろうなぁ。ウイグルとかトルキスタンの人々は絶対むかついている。というかその辺りも中共様の鬼門だし。

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ところで、中共様が何故チベットを手放さないかの理由の一つ

チベットには核施設がある。

・・・という辺りもかなり重要なポインツか?
ダライラマチベットからあらゆる兵器廃絶したい。核処理施設廃絶したいと主張してるしな。