施食会

本日は我が家の墓参りであった。
檀家になってる寺の施食会があったのでそれに出た。祖母の代わりにに祖父の卒塔婆を設置しに行くのだな。施食ってのはよくわかんないけどご先祖様にご飯を奉げる、「餉」という行為をするものらしい。
こういう法要ってのは派手にやるようで、えらく沢山の坊さんが並んで読経しておりました。


しかし見たところ、これはまるで背面ミサだな。第二バチカン公会議以前のミサ。先ず長い。二時間ぐらいえんえんやってました。説教も長かったけど。正座してたんで足がしびれたぞ。大衆は坊さん達が唱える有難そうなわけのわからん祈りの言葉をひたすら聴いている。聖歌隊よろしく信徒代表みたいなおば様方が唱をするのがこれまた宮崎駿の映画でも想像しちゃいそうな音調。広いお寺のお堂の中で低音の抑揚のない坊様のお経の唱和を聞きながら、盆用の御飾りが風に揺られているのを見ていると「日本の夏だなぁ。」となんだか和んで眠くなってしまいました。

仏教の様々な様式も萌え要素が高い。坊さんのコスプレも渋い。『ファンシイダンス』を引き合いに出すまでもなく、坊さん達の所作は無駄がなく、聖なるストイシズムに色気を感じたりなんかしますよ。禅宗ならではの美学だなぁ。と、惚れ惚れと眺めてしまいました。カトリックの坊さんのコスもかなりよいですが最近は派手で嫌とか言って着ない人が増えてつまらん。坊主の黒衣の衣装ほどカッコいいものはない。よく見るとその辺のあんちゃん風のにーちゃんも坊主衣装を着ると知的にきりりとして見えるよな。耶蘇の坊主もあのローマンカラーのシャツは腹が目立つだけでかっこ悪いけど、スータンとか修道服着るといきなりかっこよく見えるよね。

で、本日は偉い坊様は真っ赤な派手派手なお召しをつけ、侍者的な沢山の坊様は一様に黄金色というか渋い黄土色のお召しを着ておられた。なんか意味があるのかな。そういや寺の装飾も赤、白、紫、緑、黄金(黄色)とまるでカトリック典礼色みたいですね。


日本のカトリック教会は典礼改革といってミサを日本人に馴染みやすい形に〜などといって、なんだかへんな日本語を使うわ、典礼を簡略化するわ。単に手抜きをしているだけなんとちゃうか?実は第二バチカン以前のミサやら光景のほうが日本の宗教的な原風景に近い。

因みに読経は文語だった。仏教でも祈りの言葉は文語であるようだ。


仏教のお坊さんは語りがうまいですね。
なんというか古典落語を聴いているような語り口調。カトリックの坊さんも古典落語を研究するべし。