久しぶりに故郷の教会に行く

久しぶりに東京の母教会に行った。下記のごとく、まぁギョーカイ関係者のオフをしたからだ。皆でともにミサに与り、あとは宴会。正しい主日の過ごし方であるよ。イエスの食卓に招かれたあとは、宴会だよな。カトリックほど享楽的なシューキョーもないやね。プロテストされて当然だよな。

ところで既に教籍はこの教会にはないにもかかわらず、いきなり奉納係をやらされたぞ。誰もおらんのか?
なんでも、年配の方に頼んだら祭壇でこけて大変なことに!という事件があって以来、なんとなく若そうなのに頼んでいるとかで、見渡したところ早くいらしている律儀で真面目な方はほとんどお年寄り。わたくしだって、ま・ここっとさんや、Luciaさんたちと待ち合わせてなきゃぎりぎり到着か、もしくはミサバックれだよ。
そういうわけで、若くもないが足はまぁまだ丈夫なわたくしはミササボりまくった明けのミサでいきなり目立つ奉納係などやらされてしまったのだ。
奉納やミサのお手伝いをしていたのはわたくしの同輩。洗礼をともにした盟友なので断りきれなかったのだな。
典礼の所作というのはほんとは大切である。
岡野玲子の漫画に『ファンシィダンス』というのがある。

ファンシィダンス (4) (小学館文庫)

ファンシィダンス (4) (小学館文庫)

書影が何故か4巻しかないんで4巻。

身も蓋もなく言えば、禅宗の寺の跡継ぎのお軽いぼんが、お山に篭って修行し一人前の坊主となるという話。いかにも80年代バブルテイストで今となってはすこぶる恥ずかしい漫画であるが、坊さん修行のアナザーカントリーになりそな世界が垣間見れるという按配。

そこでの勤行は何百年もの間に洗練された型があり、形的に美の世界である。美は真に通じるという古今東西伝統宗教にあるような幽玄世界。コロリと素人を騙す神秘の奥義である。視覚的にも聴覚的にも煉られている世界がある。新興宗教がつまらないのは練りが足りんからだ。言葉だけでごまかそうとしてると底がすぐ割れる。あと千年練って来い。

そゆわけで、この漫画では仏事の儀典的なものが美麗に描かれているんだが、カトリックのミサというのも本来そういうシロモノだったのだが昨今は、ローマカトリック社会主義化が進んで、簡略になり、すげーつまらなくなってしまい、だらけきった空気である。精神的な張りが足りんよな。
私のごときえへらえへらした奉納係でいいのか?と思うので、『ファンシイダンス』の陽平君が40巻の般若経を掲げて進むがごとく緊張してみるふりをした。でも所詮だらけきったローマカトリック人間なので持続しなかったよ。