有朋自遠方來 不亦樂乎


朋あり、遠方より来たる。また楽しからずや。

論語の有名なこの一節、同じ学を志す友人が尋ね来て、歓ぶという一節。まぁ同じような趣味とか同じようなものが好きとか話が通じるような価値を共有してるとか、そういう人と話したり飲んだりするのは誰でも楽しい。なかなか会えないそういう人が遠くから訪ねてきたりしてくれるならもっと嬉しい。それは古今東西を通じてある人間の普遍の思いでござりましょうな。

さて、昨日は、そげな孔子センセも喜ぶような状況、つまり遠方からのお客さんたちと東京の我が故郷たる母教会に集いましたよ。総勢8人(うち子供一人含む)という大所帯になりやした。
そのうちお二人は遠方も遠方。お一人は神戸。お一人はフランスという遠方(わたくしもよく考えたら島在住なんで遠方状態か?)どちらとも実は初めてお会いするわけでしたが、まぁしばらくするとなんだか旧知の方たちという感じで盛り上がったのは、同じギョーカイつながりという価値を共有してるからですね。また楽しからずやですな。

神戸からいらしたLuciaさんは、足がお悪く車椅子生活なのですが、ご自分で車を運転し、果敢にも神戸から車で上京というすこぶるパワー溢れるルネッサンス美術の学者先生でした。そのパワフルぶりに驚きました。車を改造し、ご自分が運転しやすいように工夫がされていたり、他者の手を借りずともあちこちへ行かれるというか、わたくしなんかよりずっと精力的に活動しております。

おフランスから帰省でお帰りになられていたま・ここっとさんとはブログ上でアホ話したり、議論したり、まぁ文字上でのみのお付き合いでしたが、なんとなくそんなネット付き合いが長かったせいではじめてという感じが全然しませんでしたね。なんとなくわたくしと似てるなぁ・・・と、失礼ながら思った。ま・ここっとさんも髪型ファンキー系だしな。んで、可愛らしいご友人のKさんとともに尋ねてきてくださったのだな。色々お話させていただいたんだが、楽しかったづらです。遠い所を長い時間拘束して申し訳なかったづら。いつか今度はこちらから尋ねたいものです。グレーの猫の実物が見たい。


それから母教会のJさんとか、首都友達のSさん一家とか、賑やかになりました。いつも帰ってくるとなんとなく会うんですが、会うと「あ〜帰ってきたな」と実感。嬉しくなりますね。また遊ぼう。


ところで、冒頭の論語、全部記すとこういうの。↓

子曰 
學而時習之 不亦説乎 
有朋自遠方來 不亦樂乎
人不知而不慍 不亦君子乎

現代風に訳すと

センセがいうことには
学んでることを時に復習したりするのって色々判って楽しいよ。
あと、そうして頑張ってると同じような学を学ぶ朋輩が遠くからやってきて、お話したりするのがこれまた楽しいよ。
そういう風にしっかり学び頑張っていたりすればたとえ人に認めてもらえなくても、これを不満に思ったりはしないのが、君子って人なわけですよ。

・・ってなぐらいの意味。試験に出るときには間に受けないで、ちゃんと訳したの読んでくらはい。

最後の君子には到達できないけど、それはともかく、同種の道・・・今回の場合は、抹香臭い分野道ではあるが・・・を行く朋輩・・つっても先輩さん達だったりするが・・とナニかを語らうというのは楽しいもんです。
前ふりがいらず、説明するまでもない。そういうのは先日も高崎で愉しんだけど、まぁマイノリティな抹香臭いギョーカイ人との交流はそれなりに楽しいもんです。

それぞれが己の人生の春秋というか、艱難なり、修羅なりを抱えていたりはするんでしょうが、我がギョーカイが宗教なだけにそういうなんらの大なり小なりなものを乗り越えながら、皆さん今がある。そういう人々の「今」と一期一会のように出会い、愉しむこともまた道也。ということなのでしょう。けしてコムズな話をしたりするわけでもないし、抹香臭い話というわけでもなく、ごくふつーの、とりとめもない話や、時に馬鹿話も含め、ともに過ごす時間が大切というか。
キリスト教は関係性の宗教なんですが、人と人との出会いの中で色々学ぶことがあります。

不亦樂乎。

◆◆

ところで、Luciaさんがご自身の著作をお土産に下さったのですが、システィーナ礼拝堂についてのすごい文献。

システィーナ礼拝堂天井画―イメージとなった神の慈悲

システィーナ礼拝堂天井画―イメージとなった神の慈悲

帰ってから少し読みましたが、綿密な調査に基づいた研究。これが5000円以内でってのがお安杉。ミケランジェロの天井画の制作に到るまでの閉経とか制作の題材とかについてこれでもかってなぐらいしつこく書かれていて、注釈も多く、ミケランジェロ天井画本決定版ってな印象です。

惣領冬実さんにお勧めしたい一冊ですな。

なんせ惣領さんの『チェーザレ』第二巻で、システィーナ礼拝堂の1490年ごろの光景がでてくるんですが、この時代まだミケランジェロはこの礼拝堂の仕事をしていない。そういうわけで惣領さんがかなり調査が大変だったの巻末で記しておられた。漫画家さんも大変である。

だが、天上部分に近いルネッタに既に預言者像が描かれていたり、祭壇のある正面での聖母戴冠像の大きさとか、どうなのかな?的に謎だったのですが、Lucia先生のこの著作で色々判って面白かったですよ。色々な説があったようで、惣領さんも色々な説を採択し、オリジナルに再現してみた模様。その努力も大変そうですね。まぁその辺りって楽しい作業でもあるとは思います。
でも、出来れば側面に描かれたペルジーノの絵を変にトリミングして描くのはやめような。え〜?!とか思っちゃった・・・。

チェーザレ 破壊の創造者(2) (KCデラックス)

チェーザレ 破壊の創造者(2) (KCデラックス)

続きの巻が読みたいんだが、編集さんに忘れられているかも・・・。