過激な恋愛論3ヨーロッパの結婚観と恋愛観

ええと、恋愛論についての続き。
小谷野敦先生の論考にあったキリスト教社会の結婚観とかについて、アナール学派の本がすっころがっていたので少し読んでみました。藤原書店。高いよ。

女の歴史〈1〉古代1

女の歴史〈1〉古代1

↑これの中世偏ね
あとこんなのとか。

図説 快楽の中世史

図説 快楽の中世史

一夫一婦制がどのように施行されていったのか、社会的な視点でとかはまだ丹念に読んでいないんで判りませんが、教会が結婚制度に積極的に介入していった状況についてどうであったかがちょいと判りました。
秘跡としての結婚
中世の、上流階級、すなわちある程度の財産を所有するもの同士の結婚は本人達の意志に関わらず、家同士の結婚でした。これはもう日本でもわりと近代までそうだったり、下手すると、どこぞの会社の社長の子供とかは未だにそういうのがまかり通っていたりするかもしれませんが、とにかくこの時代、女性は一定の財産を持って婚姻に向う。そしてそれは概ね政治的判断によって相手が決められたりするのですが、その相手の家と気まずくなると、勝手に離婚させ、別の家との結びつきで他の人と結婚させられたりというのがまかり通っていたわけです。そういえば、ルネッサンス教皇、ボルジアのアレッサンドル6世なんか、自分の「姪」であるルクレツィアをそのような扱いしておりましたね。(ちなみにチェーザレ君は妹萌えだったという噂が)
ルネッサンス期以前の中世はもっとそれが堂々と行われておりまして、しかも4歳で嫁がされるとか、色々女性にとっては激しい苦痛となる状況があったわけです。聖書にあらゆる根拠を見いだす教会としてはこれを看破出来ず、婚姻を秘跡とし容易く離縁させられないように縛りつけたわけです。そして婚姻は7歳以下のものには禁じるとしたとのこと。制度としての結婚はこのようにして教会に組み込まれたものの実は教会婚が法的に必須となったのは実は17世紀だったそうですよ。
ところで中世社会においては「結婚」「性愛」「恋愛」は必ずしも一致するものではなく、特に「結婚」は上記のように上流階級においては戦略の一つであったわけです。その点庶民においてはどちらかというと自由があり、或る程度当人同士の自由意志が存在したようです。つまり「恋愛」の要素が介入してくる。もっとも男性が暴力的に女性を婚姻関係に持っていくという光景もあったらしいですけど。しかし上流階級の女性の自由意志はなく。結婚が嫌なら、修道院に逃げ込むしかなかったのですね。中世の物語にはたびたびそういう女性が登場しますね。
●恋愛と性愛
さて「恋愛」ですが、いわば男女間の精神的な要素の部分においては、上記の結婚という制度に関わらず、キリスト教圏においては世俗と聖域との二つの価値観が存在していたようです。
聖域は当然のように「性愛」を恋愛も含め罪深いとみなしました。これは初期キリスト教、つまりパウロの影響も大きいのですが、これらの背景には実は当時のローマ社会の思想が大きく影響していたそうです。ローマにおいてストア派が登場し結婚を聖なるものとし、快楽の探究は忌避すべきだという考えが生じます。その背景には快楽主義の流行があったわけなのですが、この快楽主義の性で嬰児殺し、堕胎、避妊が流行し、少子化の危機を迎えてしまったのです。その為、ローマ社会においては結婚と子作りが称賛され「独身者」は罰せられるということまで起きたようです。生殖は歓迎されるが快楽の探究は忌避されていくというその後の構造はこの時代に発しているようです。
このような考えに影響を受けたといわれるパウロの場合は来たるべき終末のために身を綺麗にしておこうということで、これから結婚しようとする男女に結婚を勧めなかったのですが、中世ともなるとそういう背景は忘れられ、とにかく夫婦間の性ですら罪深いとする僧侶達が多くいたようです。フグッチョとか罪を犯さない性交に関する考察をちまちま書く変な坊さんが登場する。アルベルトゥス・マグヌスもトンでも「性」を語ったりしておりますしね。
転じて俗世間では宮廷風恋愛が流行し、また夫婦間の性も健康的に行うもので、必要なものだとみなしていたようです。ことに医者などは健康のための性を勧めていたりします。「妊娠には女性の快楽が重要なので女性をそのように導く指南書」としてアラブ人の医学者アヴィケンナの「医学規範」などが読まれたりしていたわけです。
宮廷風の恋愛も、不倫姦通なんでもありで、多くの俗謡が書かれたりしました。「薔薇物語」は有名ですね。「恋」は世俗においては自由に悦ぶものとして存在していたわけです。
●教会
まぁ教会に関して言うなれば、カトリック教会もプロテスタントに負けず劣らず厳しいというかそれ以上だったりしたわけです。ですのでプロテスタントカトリックという宗教的道徳の比較で話すならばほとんど大差ないだろということになりますが、世俗の対応は聖と俗に別れた世界を持つカトリックの場合は、いいかげん君率が異常に高くなるという按配でしょうね。「坊主がまた抹香臭いこといってるよ。へらへらへら」なんて扱いだったりもしたでしょうね。
●一夫一婦制
これの起源についてはもちょっと調べないと判らないんですが、この制度、実は限られた男女を公平に分配する共産主義的な制度ではありますね。モテ男、モテ女を結婚に縛ることによって、非モテにも相手が回ってくるチャンスが増えるわけです。一妻多夫や一夫多妻の場合はモテ度が高い人に集中するわけですから非モテな人の率が異常に増えることになります。実力社会のリバタリズム的結婚制度でございますね。非モテの敵制度といえるでしょう。
同じことが容易く離婚の出来る社会にも言えます。人妻、人夫が欲しいなら離婚させちまえばいいんだ。ということに倫理の縛りがなければどんどん離婚する社会になり、これまた負け犬率が高くなりそうですね。
まぁ結婚倫理面における離婚自由化、不倫自由化、多婚っての要求する人は実は脳裏に具体的相手がいたりして、実際もんもんと悩んでいる人なんだろうけど。。。制度化はやはり混乱や、今以上の不平等を生むと思いますね。