過激な恋愛論

某巨大掲示板のニュース速報+板はその日の話題のニュースを知るのに便利でタマに見に行く。そこにこんなスレッドが。(すぐ落ちるのでURLは記さない)

1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ 投稿日:2006/03/27(月) 23:02:50 ID:???0
・なぜ自由に恋愛できなくなってしまったのか。東大非常勤講師の小谷野敦さんに、その
 理由と対策を聞いた。

 ■「恋愛は誰にでもできる」という幻想を捨てよ、と複数の著書で書いています。
 小谷野 人間には遺伝や環境によって形成された、能力の差があります。だから努力した
 からといって、誰もが東大に入れるわけではないし、マラソン選手になれるわけでもない。
 これと同じように、いくら努力しても恋愛ができない人はできない。
 他人と意志疎通を図るために、言葉をしゃべったり文字を書くことは大抵の人ができます。
 けれど恋愛にはもう少し高度なテクニックが必要。
 そもそも「全員が恋愛をする」という考えが広まったのは近代に入ってからのこと。徳川時代には
 恋愛なんてしない人の方が多かったんですから。

 よく雑誌に書いてある「こうすればモテる」という記事はみんなウソだということを、もっと多くの人が
 知るべきです。お金儲けのために幻想を与えているにすぎません。
 ある大学で話をした際「テレビドラマなど見て、大学では楽しい恋愛ができると思っているかも
 しれないが、それは幻想。できない人は本当にできない」と言いました。すると、私の話を熱心に
 聞いていたあまり美人ではない女子学生が悲しそうに下を向いてしまった。皆、現実を知らされていない。

 ■今後、恋愛はどうなっていくと考えていますか。
 小谷野 寿命が伸びて、人生70年、80年時代になっているので、終身結婚制度は崩壊すると
 思います。「一生、1人だけを好きでい続ける」なんて無理でしょう。もてる人は何度も結婚する
 もてない男女はますます苦境に立たされるようになるはずです。
 今、社会全体に自由競争が広がっています。大学も銀行もメーカーもつぶれる危機に瀕して
 いて、現につぶれたところもある。恋愛も、これまでの「結婚」に保護された制度から自由競争に
 移行せざるを得ない。(一部略。>>2-10につづく)
2 名前:名無しさん@6周年 投稿日:2006/03/27(月) 23:03:09 id:rvMgijpu0

4 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ 投稿日:2006/03/27(月) 23:03:21 ID:???0
(つづき)
 ■著作の題名にもなった「もてない男」はどうしたらいいでしょうか。
 小谷野 過激なことを言うようですが、人妻の性を解放して一妻多夫制にすればいい。
 昔は妊娠の問題がありましたが、今は避妊技術が発達したので、この問題はあまりないと
 思います。道徳的懸念さえ振り払ってしまえば「もてない男」はかなり救われる。民法には
 「不貞は離婚の理由になる」と書いてありますが、これは夫が容認すればクリアできます。
 男性側も若い女性ばかり見ずに、40代女性の魅力に気づくべきです。

 問題になりそうなのは同性間の、この場合は女性同士の嫉妬です。女性週刊誌を見ると
 「不倫上がり」「略奪愛」「魔性の女」など、もてない女性の嫉妬心をあおるような語句ばかりが
 並んでいます。私はこれまで顧みられていなかった、もてない人々の気持ちを代弁する立場に
 立った主張をしてきました。でも、嫉妬をむき出しにした女性誌やワイドショーを見ると「果たして
 もてない人の味方になるのが良いことなのか」と迷ってしまいます。

 姦通(不倫)に対する考え方は、同じキリスト教の欧米諸国でも分かれています。カトリック
 離婚を認めませんが姦通に寛容。だからフランスは不倫に寛容です。米国のクリントン前大統領の
 スキャンダルが起きた際、フランスでは女性の法務大臣が「大人の男女が合意でした行為を
 とがめるのはファシズムだ」と言ったほどです。
 一方、プロテスタントの米国は、離婚はOKだが姦通に厳しい。日本は英米の恋愛思想を
 取り入れたので、不倫に対して厳しい見方をするのです(>>3-10につづく)
5 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ 投稿日:2006/03/27(月) 23:03:36 ID:???0
(つづき)
 ■未婚者や学生の恋愛についてはどう考えていますか。
 小谷野 大学の寮制度をもっと充実させ、男女共同の寮にすれば機会が増えるでしょう。
 自宅から通っていると相手ができにくい。私がいま教えている大学は遠距離通学の学生が
 多いうえ、アルバイトで忙しい。下宿できるか否かは実家の経済力にかかっていますから、
 お金持ちの方が恋愛のチャンスも多いことになってしまう。不公平です。

 最近、問題だと感じるのはセクハラ概念が広がりすぎていること。恋愛の初期段階には、
 相手の気持ちが分からないため、少し押してみて自分とつき合う気があるかどうか、探る
 必要があります。ストーカーにならないために、私は3回押してダメなら諦めるべきと思います。
 けれど、押された相手が嫌だと感じたらセクハラと見なされるなら、これすらできません。普通の
 人々にとって恋愛は、ますます困難になっているんです。(一部略)

わー。かげき。(棒読み)
で、元ネタを見に行くと・・・・・・

【お詫び】

「年収と非婚の知られざる関係」の第4回「『誰でも恋愛できる』という幻想を捨てよ」は、掲載を取りやめさせていただきます。本記事は、日経ビジネスAssocie 2003年10月21日号に掲載した記事を元に再編集したものです。今回、再編集するのに必要な手続きに不備がありました。

読者のみなさま、コメントを頂戴したみなさまには、お詫びを申し上げます。
http://nikkeibp.jp/style/biz/skillup/marriage/060324_4th/index.html

・・・・・・・・・消されていた。

日経ビジネス』ってちゃんとした雑誌かと思っていたら、ギャグな理屈も載せるおちゃめな雑誌だったとは。『SPA!』かと思っちゃったよ。
どうやらコメント苦情が大量に寄せられたらしい。かなり笑える。
◆◆
さて、まぁこの年齢にもなって独女な私はさしずめ「もてない婦女」に分類されるんであろうが、余計なお世話である前に、もてりゃいいかというと好きでもない男につきまとわれたりする方がもっと嫌なので、もてない方が気楽でよいなどと思う。もてないことや恋愛できんことがダメダメだという価値基準がそもそもおかしい。私の場合更に「好みの殿方がそもそもほとんどいない」という自分自身の理由による自業自得も加味されるので、正直、諦めてはいる。
しかしだ・・・・・・

姦通(不倫)に対する考え方は、同じキリスト教の欧米諸国でも分かれています。カトリック
 離婚を認めませんが姦通に寛容。だからフランスは不倫に寛容です。米国のクリントン前大統領の
 スキャンダルが起きた際、フランスでは女性の法務大臣が「大人の男女が合意でした行為を
 とがめるのはファシズムだ」と言ったほどです。
 一方、プロテスタントの米国は、離婚はOKだが姦通に厳しい。日本は英米の恋愛思想を
 取り入れたので、不倫に対して厳しい見方をするのです

↑これって?かなりおかしくないか?
具体的にどうって言えないが、フランスの場合も離婚率高いと思うけど。宗教婚しない人が増えているらしいし、イタリアに関しては結婚前の同棲当り前だし。それが「カトリックだから」という理由に繋がるのかねぇ。まぁもともといいかげんなのがカトリックだけど。

そもそもカトリックの結婚は「秘跡」の範囲に入り、神が二人を併せた。とまぁ神の介入があり、その二人が造る家族という共同体を共に同胞愛でもって運営していくという死ぬまでかかって成し遂げる秘跡だと考えられている。ここでの「愛」はエロスの愛ではなく、フィリオ。すなわち「友愛」であり「同胞愛」であるわけで、「不倫」=姦通はその共同体を崩壊させる、つまり「他者のものを奪う」という「大罪」に値するわけで、カトリックでも「姦通」は大変に罪深いということは認識させられているはずである。「大罪」ってのは下手すら「破門」やぞ。ただしカトリック圏の人々ってのは、民族的性格から言って手前勝手なのが多いので、「告解すりゃいいやんけ」などというアホアホなへ理屈をこねるのが得意とか、ぬけぬけと戒律を破っても平然としていられるほどに面の皮が厚いというに過ぎないんでないか?
もっとも、アーサー王伝説に見られるような「人妻にささげる騎士の愛」などという文化もあるからな〜。ダンテはベアトリーチェに捧げていたし。ペトラルカもボッカチオもそういう妻ではない「捧げる対象の女」という存在を持っていた。でも、それはあくまでも精神敵愛ではあった。

で、いったいどんな変な奴がこれ書いているのかと思ったら・・・
http://www.nichibun.ac.jp/research/staff2/koyano_atsushi.html

・・・・・・・・・・・・・・こんなおっさんには言われたくないな。
●皆さまの反応

7 名前:名無しさん@6周年 投稿日:2006/03/27(月) 23:05:31 ID:6SOuu1Qy0
とんでもない釣り針ですな( ゚д゚)y-~
9 名前:名無しさん@6周年 投稿日:2006/03/27(月) 23:06:14 id:Acbd2ttz0
俺負け組みでいいよ
22 名前:名無しさん@6周年 投稿日:2006/03/27(月) 23:13:33 id:bzr80GEY0
わけのわからんこというな!
くそが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
47 名前:名無しさん@6周年 投稿日:2006/03/27(月) 23:18:29 ID:2MFnIHox0
こんなのバカニュースに移せ!!!
53 名前:名無しさん@6周年 投稿日:2006/03/27(月) 23:19:10 id:X5xxG/ym0
脳内嫁が12人いる俺には関係ない話だな
95 名前:名無しさん@6周年 メェル:age 投稿日:2006/03/27(月) 23:25:27 id:egMaH7u/O




チャラチャラしてんじゃねぇよ

以下、反論等が延々続く。
◆◆
そういえば多夫多妻制という文化ってないかも。

Karposさんがベネディクト16世のなんと「恋愛論」を訳しておられるのでご紹介。
http://d.hatena.ne.jp/karpos/20060313
http://d.hatena.ne.jp/karpos/20060314/p1
http://d.hatena.ne.jp/karpos/20060315/p1
http://d.hatena.ne.jp/karpos/20060316/p1
http://d.hatena.ne.jp/karpos/20060317/p2
http://d.hatena.ne.jp/karpos/20060320/p1
http://d.hatena.ne.jp/karpos/20060328/p1

べね16式といえば、保守で強面で非常にそういう方面には無理解そうに見えるんだが意外である。

それはもともと身体と魂によってなされた人間の組成からくる。身体と魂がその深い一致のなかに出会う時、人間はまったくそれ自身になれる。この一致に至るとき、エロスの挑戦に打ち勝つことができる。もし人間がただ精神だけに息づくなら、また、ただ動物的なものとして身体を拒否するなら、精神と身体はその尊厳を両方とも失う。精神を否定し、物質のように考え、身体を排除すべき現実と考えるなら、人間は同じくその広さを失う。エピキュリアンGassendiはDescartesに祝福の気持ちを込めて「おぉ魂よ!」と言った。Descartesはそれに対して「おぉ身体よ!」と言い返したと言う。しかし、ただ精神だけが、あるいは身体だけが(人を)愛するわけではないだろう。人間が、人が、統合された被造物に属するところの身体と魂として、愛するのだ。その二つが、まことにひとつの一致のなかに基礎づけられるとき、人間は完全にそれそのものになる。この方法によってのみ、その広さに辿りつくまで、愛?エロス?が成熟することができる。

今日、これまで身体性を敵視してきた過去のキリスト教を非難することがあるのは珍しくない。実際、それに陥る傾向はいつもある。しかし、私たちが見ているような身体に熱狂する今日のあり方は偽りである。単に「セックス」に堕落させられたエロスは商売になっている。それは単なる「もの」で、それを買ったり売ったりすることができる。その上、人間も商売になってしまっている。実際のところ、それは人間の身体に対して、正しい解答ではない。また人間は、身体やセクシュアリティを単なる人間の一部だと見なしている。そして、計算高い方法で使用し、搾取する。一方では、それは人間の自由性の場として考えない、他方では、何かしら自分なりの方法で、面白く、無意な次元にそそのかす。私たちは結局、私たちの存在の自由性に統合することなく、私たちの在りようの絶対性を生き生きと表現することもない人間身体の破壊という現状の目の前にいる。その身体はただ純粋生命(バイオロジー)という領域に隔離されたようなところにあるだけだ。身体の高揚の現われは素早く身体性への憎しみへと変容する。それとは逆に、キリスト者の信仰はいつも、人間は、一次元でまた二次元的に、ある一つの存在と見なしてきた、その存在において、精神と物質がそれぞれ相互浸透し、こうしてこれら二つが、一つの新しい威厳という経験をかたちづくるのである。そう、たしかに、エロスは私たちを神に向う「恍惚」へ上げたいと望む。私たちを私たち自身を超えるところに導く。しかし、だから、昇る道、手放し、清め、癒される道が求められるのである。

なんとも美しい「愛」に対する考察であろうか。
他者へのエロスの愛は、昇華された美しいものとしてあるはず。
これらの地上の愛への理解がこんなに深いべね16はもしかしたら地上の愛をかつて体験したことがあったのか?朴念仁じゃ聖職者はつとまらんよな。悩み抱えて来る人が沢山いるわけで。師匠濱ちゃんは激しく朴念仁ではあるが、地上の愛についての理解は意外とあったりする。自分自身は神に捧げた身の上ゆえに自発的朴念仁なわけであるが、かつてまだ世俗にあった時は「好きな人がいた」らしく、その手の「愛」に対する切実な思いというのを理解していたりする。だから軽んじたりはしない。
また、立場上、「離婚」問題を扱うために、多くの夫婦の悩みを聞いてきたためか異常に耳年増である。結婚した夫婦の危機において「そもそもが結婚の秘跡が成立し得てないカップルが増えてきた」と言っていたことがある。自分が愛されることには貪欲であるが、自分自身は与えようとしない愛は一方的でそれは「男女が共同で成立させる秘跡」としての呈を為し得ていない。ということだろう。共同生活は相手を受け入れることからはじまる。自分自身の協力者としてのパートナーではない。相手に対する協力者でなくてはならないわけで。
その点でまた「エロス」の「愛」も我々がささげる「神への愛」同様、パートナーへの謙遜が重要になるんじゃあるまいか?自分を理解してもらう前に相手を理解するのが必要だと。師匠がうちの妹の結婚に際して行った勉強会でわたくしも(なぜか同席していたので)学んだわけだ。ストーカーするやつってのは自分は理解してもらいたいが相手のことは理解しようとしない典型だな。
しかし正直、小野野氏の恋愛論より役に立ったぞ。我が妹夫婦は師匠濱ちゃんのかなり具体的な訓戒のお陰で多くの危機を乗り越えてきたといっておる。
結婚以前に、恋愛という関係性においても、これは同様である。もし「もてない」と思うならばそれは非常に自己中な愛を好きになった相手に押し付けていないか?一方的だとドン引きされる方が多くなる。引き際のいい奴は意外ともてたりするし。ただ「セクシー」「イケメン」なだけでは長続きしないだろうしね。少なくとも女性が男性を好きになる時というのは、なにげに見せた思いやりとか優しさだったりする。実はたいして相手のこと考えていないのに妙にマメな奴がもてるとかもそういう理由だろうなぁ。優しいふりとか思いやりのあるふりが出来るとか。
因みに「男性にもてる女」のことはよく判らん。それが判っていたら今ごろ結婚しているはずだ罠。