『クワトロ・ラガッツィ』若桑みどり

分厚くて手が疲れるこの書ももうすぐ読み終わる。まぁ暇だからな。

クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国

クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国

若桑センセといえばエコロジー。。じゃなかった、イコロジーでマニエリズムでアナロジーな研究家で尚且つジェンダーでフェミな怖いおばはんで有名だが、我が義姉も大学時代この先生に師事し、その授業、たいそう面白しな按配で、まぁとにかく強烈な言動が印象的なおばはんである。ローマにおける塩野さん、中国における中野美代子さん、と三人揃って強面おばさん三すくみだな。ちなみにケルトの鶴岡さんはこわもておばさん度に関しては不明。この強面おばさん三巨頭のあとを追う世代では佐藤亜紀さんが自分的には候補。他はまだ思い当たらぬ。

それくらい興味深い若桑さんだが、残念ながらWIKIでは何故か項目がない。何故だ?

で、四人の若造物語『クワトロ・ラガッツィ』
てんしょうけんおうしょうねんしせつ・・・ええと「天正遣欧少年使節」ね。覚えられないね。略して「天正少年使節」に絡む歴史のお話なんですが、若桑センセが彼らに萌えだったとは知らなかった。

この分厚い本が彼らを逐一追っているというとそうではなくむしろ彼らを送り出した日本の当時の歴史、彼らを受け入れたヨーロッパの歴史、その遥かに離れた同時代の世界を描くこと、そして関わった権力者達の権謀術数の様々な様子を浮き彫りにしていくという感じで、イコロジーもマニエラもない。いやすごい。ほんとに専門分野そっちのけで、とにかくこの時代を書きたかったんだなという鼻息の荒さが伝わってくるだけに非常に重厚な内容になっている。

なんせこの前に読んでいたのが稀代のキリスト教嫌い、いやローマ以外の価値嫌いの塩野さんの書だっただけに、その温度差にまず慣れるのに苦労した。若桑センセは塩野さん同様クリスチャンではないがキリスト教美術萌えなので、カトリックびいきといってもよい。なもんでこの時代の切支丹史における日本の歴史家の、或いは日本人のキリスト教嫌いの態度から来る偏見がいかに酷いか微妙に怒りながら筆を進めているので、ちょっとドン引きしてしまった。
「ちょっと、あーた、カトリック側の資料が護教的で役に立たないって、その資料を価値なき者と看做すってのはどうよ?そもそもカトリック側の人間が護教的なの当たり前でしょ!!!」(超意訳)
・・・などという按配。(^^;うひゃぁ。
そのうえイタリアルネッサンスびいきなので、スペインやポルトガル人にはちょっと手厳しい。「あの人たちは侵略主義的で征服主義者だからダメダメ!」ってな感じ。
この時代の切支丹やその周辺事情についての多くの資料を残した高名なフロイスに対する一定の保留の態度は面白い。しかし「迫害の原因を作った一因はコエリョポルトガル人)の馬鹿の性よ。」と、まぁ手厳しいのはすごいなぁ。
とはいえ、様々な資料、一次資料から多くの歴史家の書いたものを全て目を通し、それらを比較しながら丹念に「その時、ナニがあったのか?」を浮き彫りにしていく方法論やその体力には恐れいった。

この書の登場人物は、天正遣欧少年使節の4人だけではない。寧ろ彼らは脇役であり、中心となったのは、戦国の大名達、織田信長豊臣秀吉、そして彼らと駆け引きをし続けた宣教師。ことにイエズス会士、それもイタリア人ヴァリニャーノやオルガンティーノ、フロイスコエリョといった面々、或いは切支丹大名達、多くの民衆、のちに殉教者となった人々、それが為に列聖された人々、切支丹を快く思わなかった僧侶達や公家、そして天皇家。海の向こうはイタリアのバチカン官僚の聖職者達やスペイン王たちといった群像も登場する。それら全ての人々の思惑が、若桑さんの趣味的な多少の好悪の評価はあるとしても、その行為における善悪の判断ではなく、彼らが彼らなりのそれぞれの道理で動いた結果、或いは弱さゆえに引き起こされてしまった、歴史的な結論、悲劇としての「切支丹迫害」への道行きが描かれている。

施政者には施政者なりの道理があり、例えば(若桑さんはあまり好きじゃないみたいだが)秀吉が何故、キリシタン禁制と迫害に至ったかの必然はきちんと書かれている。

未だによくあちこちで散見する「イエズス会は侵略者だった」「ローマカトリックは日本を植民地化しようとしていた」という一般的評価の真実が実はどうであったかも記している。それは永らく多くの権力が争い荒廃化した日本を治め、中央集権化させるための政策の一環としての、造られた評価だったというあたり、へぇ。と思った。(そういう疑念を引き起こしたのは短慮なスペイン馬鹿コエリョの性もあるが)、そもそもスペインにとって日本は植民地化する、統治するほどの魅力はまったくない土地だったという評価。つまり資源もなく、尚且つ治めるにはあまりにも混乱し、そして何よりも高度な文明を持つこれらの民を治めるのは無理だっただろうという。なるほど。

秀吉は、政治を中央集権化するに当たって、多くの「潜在的な敵」となるであろう存在を次々に粛清していった。そしてキリシタン達もその中央集権化に当たっては潜在的脅威になるであろうと看做されたのは、何故かということも細かく書かれている。

純粋なものはこうした歴史の非情さの中で傷ついていく。施政者だけではなく、このような純粋な信仰者への記述も丹念に若桑さんは行っている。それゆえにこの書はまったく手にしていて疲れ果てるような分厚さになったわけで。いやはや。


まぁ、色々思うところはあった。

同じイエズス会士でもイタリア人とスペイン人の他文化に出くわしたときの温度差の違い。日本、或いは中国の文明を高く評価したイタリア人ヴァリニャーノの目線はそのままかつてはローマという帝国を築き上げた子孫の末裔でもあり、異教的なものを再発見したルネッサンス人である。それゆえに、まったく異文化に存在する高い精神性を看破したのは当然だったかもしれない。ましてやその当時のイタリアの置かれた現状。スペインやフランス、神聖ローマ帝国といった大国の王達に翻弄されて生きているイタリアの人々が、日本の戦国の、数多の王の駆け引きとエンドレスな戦乱の状況に、安定した大国の元でぬくぬくと育ったスペイン人には見抜くこと適わぬナニゴトかを見ていただろうと想像する。まぁ、スペインハプスブルグ嫌いなわたくし的には、ついついイタリアびいきしてしまうけど、若桑さんもたぶんにそういうとこあると思うので、この評価が全てとは思わぬが。


あと、イエズス会の足を引っ張りまくったフランシスコ会の馬鹿っぷりの記述をもっと読みたかったのだがその辺りの突込みが少なくて不満。その代わり当時の仏教思想の女性蔑視ぶりを延々書きなぐっている辺り、流石フェミおばさんだなと・・・。その「仏教の女性蔑視がいかに酷いか」の箇所読みながら、脳裏に中世のキリスト教神学者の女性に対する酷い評価を思い浮かべておりましたです。

利休周辺に切支丹が異常に多く集っていたってのは印象的。まぁ利休が切支丹であったとかそういうことは書いてはいないが、精神世界としての共通項とか、祭儀としての茶の湯とミサにはかなり通じるものがある。話が合う人々って感じだったのかね。利休が実は切支丹だったっていうのだと更に面白いけど、その発想は漫画的過ぎるか。
◆◆
そういえば昨日は日本の殉教者の日だったようで。わたくしは何故か2月6日の今日がそうなのだと思い込んでいたんだけど、単に26という数字がそう連想していただけかいな?

この書でもそれら殉教者の悲劇が書かれている。
権力者の犠牲となった人々と単純化するのは容易いし、或いは信教の自由を訴える格好の材料にするのも容易い。(まぁ、そもそも異端審問なんぞやっていたローマ・カトリックがこの件を持ち出して「信教の自由」などと訴えていたら滑稽だけど)だからこの物語はなんかそういう方向に頭が行かない。以前、これらの物語を迫害の、圧制の被害者として捉えぬのか?と疑問されたことがあったけど。信仰の物語としてはそういう方向には行かない。それは処刑された当事者達が見せた光景が物語っている。

この事件はこの時代、西欧で衝撃をもって伝えられたという。ローマ時代の迫害が今あるのか?と。またそれはパラレルにイエスの最期を連想もさせる。彼らの物語はたしかにあまりにも悲しい。彼らは粛々と運命を受け入れ死をむかえ、処刑者達を怨むことなく、死んでいった。


そして彼らは死して語り継がれ、聖人、或いは副者となった。

ただ、その影には「転び」と呼ばれる信仰に挫折したものが数多くいた。また隠れ、生きながらえ信仰を伝えた多くの者達がいた。「殉教」などという栄光の陰に生きて苦しみぬいた人々もいたのだということは記憶しておきたい。彼らの殉教の物語は信仰の強弱などの物語でもないとは思う。
ただそういう悲劇的なことがあったのだと。