世界の数の数え方

フランス語といえば。。中学のときの学校の必須科目であった。ギョーセイ学園とか言うところの教科書を使っていた。「えとわーるなんちゃら」とかおフランス語で書かれたいかめしい表紙がちょっとかっこよかったが、もとより横文字が表音文字がゆえにすこぶる苦手であったわたくしは、英語はおろかこのフランス語もぜんぜん駄目駄目であった。(10段階で3ぐらい。)文章は漢字という表形文字じゃないと理解できないのだ。だから漢文の成績はよかったが、アルファベットなこの国の言葉は頭に入らなかった。しかも先生の発音があきらかに日本語なのでもっと覚えられない。「ぶざべ」などとひらがなで発音されてもなぁ・・。まぁ「車をぼあっちゅ〜るなどという国の言葉など恥ずかしくて覚えられるかよ。」と、すこぶる失礼な印象を抱いたことのあるおフランス語です。因みにフランス語の発音は小指を立ててフランソア・モレシャンなつもりになって発音するとおフランス人に通じます。まともに発音すると日本語になって通じません(←実験済み)
で、石原さんがおフランス人を怒らせた話題が最近ニュースをにぎわせています。

仏語問題で訴訟、石原知事は「文句は仏政府へ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050715-00000317-yom-soci 

やっぱりあの間抜けっぽい「ぼあっちゅ〜る」とかが嫌いなのかと思ったらそうではないらしい。怒ったおフランス人は「訴訟」という手段を以て、石原さんに殴りこみに出ました。確かに石原さんの言うところの「フランス語は数が数えられないから国際言語としてどうよ?」という発言、ムカつくのも無理ないですね。いくら日本男児として「ぼあっちゅ〜る」が恥ずかしくても、あのロジカルさを大切にするおフランス人が日本人より数学が駄目駄目とは思えません。
しかし翻って、本当にフランス語ってそんなに数数えられないか?と、調べてみました。
フランス語の数の数え方、昔、習いましたが確かに厄介だったですね。
ソース「世界の言語の数体系」
http://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/numberj.html

フランス語の数
1 un  アン 1
2 deux ドゥ 2
3 trois トロワ 3
4 quatre カトル 4
5 cinq サンク 5
6 six スィス 6
7 sept セット 7
8 huit ユイット 8
9 neuf ヌフ 9
10 dix ディス 10
11 onze オンズ 11
12 douze ドゥーズ 12
13 treize トレーズ 13
14 quatorze カトルズ 14
15 quinze カーンズ 15
16 seize セーズ 16
17 dix-sept ディセット 10 + 7
18 dix-huit ディズュイット 10 + 8
19 dix-neuf ディズヌフ 10 + 9
20 vingt ヴァン 20
30 trente トラント 30
40 quarante カラント 40
50 cinquante サンカント 50
60 soixante ソワサント 60
70 soixante-dix ソワサント・ディス 60 + 10
80 quatre-vingts カトル・ヴァン 4 × 20*
90 quatre-vingt-dix カトル・ヴァン・ディス 4 × 20 + 10

60からいきなり20進法に変わっているよ。80がいきなり20が4個???お隣のドイツもイタリアも十進法で「あはつぃっひ」とか「おったんた」とかいうじょ。やっぱりカエルの食いすぎでおかしくなったのと違うか?とかモンティパイソン並みの失礼な妄想が頭をよぎります。
どうも、この現象は中世に使われていた古いケルト辺りの数え方が最後のほうだけ残っちゃったみたいです。もともとケルトの数の数え方は20進法だったようです。バスク語も20進法。ロマンス語圏とかケルト語圏とか、ガリアの地は20進法で物事を見ていたんですね。これは面白い。マヤ文明も20進法を採択しています。これは何か天文学的な起源でもあるんでしょうか?一説によれば手と足の指を合わせた数え方であり、ひじょうに身体性に基づいた数え方であるというコトではありますが、ストーンヘンジを持つケルトとピラミッドを持つマヤの文明に共通する何かとかあるかも・・とト本な妄想を抱きたくなりますね。
さて、ラテン語の数の数え方はI,II,III,IV,V,VI,VII,VIII,IX,Xとあるように数字に引き算などが入っています。このラテン数字で計算しまくってあのローマ帝国を築き上げたわけで、なにもアラビア数字的数え方が一番というのもどうなんでしょうね。ローマ人も身体性や人間の身体工学を大切にしたので、その伝統を引き継ぐフィレンツェルネッサンス人は建築の一単位に「ブラッチョ」などという腕の長さを基準とした値を用いていました。ゴシック建築はこの値を用いていないからダサダサとかフィレンツェ辺りの人は馬鹿にしていたみたいですが、国際的基準の単位ではないと近代の建築家パラーディオは採択しませんでした。しかし建築の水準を結果として考えるならゴシックもルネッサンスもパラーディオの作品もそれぞれ文化水準は優れていると思うのですね。ようは固有性の問題です。

石原知事はフランス語について、「例えば91は『4つの20と11』と数える」
と複雑さを紹介。「かつては外交官の公用語として幅を効かせたが、科学技術の討
論の際には非常にやっかいなため、だんだん使われなくなった」と語った。

 さらに、「私はフランスの言語にも文化にも愛着があり、尊敬している」として、
「イギリスは12進法を10進法に統一した。中国も漢字を簡略化した。言葉は生
きている。それが文化であり、そういう努力がなされないことが非常に残念」と述
べた。

当初問題となった石原さんの「数を数えられないから国際的でない」というのはどういう状態を前提にしているかにもよりますが「10進法が主流の数学の中で、確かに20進法が混在しているフランス語はなんかおかしいよ。」と思うのは無理もないとは思います。彼がその場で歴史の違いからくる数のカウントに対する概念を文化的な土壌で指摘していたらあの理性的なおフランス人も「なるほど」と思ったでしょうが、文脈がどうも悪すぎたようです。説明不足に加えた口の悪さは石原都知事の得意とするところですが、説明不足というのはあきらかに他を卑下してみている傲慢さから来るもので、もう自己厨の靖国問題を自分の宗教観的価値でしか見ることが出来ない隣国の政治家等と同じレベルに成り下がっています。
上記の着眼点は面白いだけに、少しそれがどういうコトは深く考えて発言したほうがいいのではないかと。あと「努力が為されない」などというのは日本固有の文化を他国に分かってもらいたい彼の立場からするとダブルスタンダードな気もします。他国の固有の文化にも敬意を払うのが当然だろうと思うのですね。同じことを指摘するのでもものの言い方や話の持っていきかたでも180度変わる場合があると思いますが、固有の文化を「努力がなされない」というのは一種のグローバリズムで私がもっとも嫌いな発想ではあります。
■・・・で、ほんとにおフランス人は数学が駄目なの?
ぐりちゃんからも指摘が来ましたが、言語の成り立ちがいくら10進法と20進法が混在しているからといって、例えば慣習的に80を★★とか90を●★▼とか無茶苦茶な表記で表す言語を用いている民族がそのようにダイレクトに記号を数字と一致させ認識しているなら、なんの支障もないわけです。
ところでわたくしは因数分解がすごく苦手です。数学というか代数の成績はすごく悪かった。10段階で2ぐらい。図学に関しては先に直感で回答が分かるので成績はよかったんですが、代数はだめでした。何故ならa2-b2=(a+b)(a-b)とかa2+2ab+b2=(a+b)2などというお約束のそのお約束がいちいちどのようにそうであるか?ということをやらないと先に進めないからなのですね。だからいつも混乱してしまうのです。
おフランス語において「80は4×20という言語成り立ちじゃねーか。計算大変じゃね?」とか疑問に思うタイプというのは因数分解でも同じように「なんでこの数式をこんな風にするんだ?」とかいちいちつっかかりそうです。だからお約束であることに躓いてるというのは形而上的な思考が苦手なんじゃないかと思うわけです。自分がそうだからほんとにそう思いますよ。アベラール様のあの有名なブルネッロがどうたらとかソクラテスがどうたらとかいう論文を3ヶ月かけて読んで未だよく分かってない非ロジカルなわたくしには形而上なコトはとても駄目駄目です。だから、おフランス人の言語は数を数えられないという石原さんの思考は寧ろ数学が苦手な人の思考なんじゃないか?などと思っちゃったりします。
「ぼあっちゅ〜る」が日本男児的にはなんとなく恥ずかしいという、ちょっとアホ臭い感覚論でも唱えるならまだ分かりますが、やはりあのフランス語に対する評価は言いがかりとしか思えんとですよ。おフランス人の文化を省みると寧ろロジックなものにどっぷりなわけで、数学的なものに向いてると思うしね。なんせゴシックはユークリッド幾何学の導入によって発達したんですぜい。偉大なる数学者も沢山いたですよ。13世紀のパリ大学行ってもまれてきたほうがいいかも。更にはカロリングルネッサンスから勉強したほうがいいと思いますです。
でもまぁ、数の歴史や、度量衡の文化の差など、色々考えさせられたネタではありましたね。その点では面白い話でした。