『薔薇の名前』ウンベルト・エーコ 鰤ネタにつられてみる

ええと、鰤さんからトラバが来ていて、それでコメ欄に書こうと思ったのに何故かわがパソでは書き込めないという、もしかしたら悪霊の仕業か?!な妨害・・いや、単に鰤さんとこのブログの仕様とわがパソの相性が悪いらしいので、返事がてらエントリを書くことにした。

なんせ『薔薇の名前』ネタである。返事書かなくてどうする?というかあきらかに釣ってるだろ?鰤ちゃん。クマー!

○鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
http://d.hatena.ne.jp/Britty/20090203/p1
■お笑い作家としてのウンベルト・エーコ

エーコがお笑いであることに異論はない。
まぁ西洋中世史を解体しお笑いとして再構築したというか、中世的なるモノのパロディというか、こういう手法はジェームス・ジョイスの系譜でもあるのだが、いかんせんジョイス、英語文体なんて英語人間しか判らないネタでやるもんでわたくしにはさっぱり面白さなんぞ判るわけもなく10ページ読んでやめましたよ。きっと英語人間には馬鹿みたいに笑えるんだろうな。『ユリシ−ズ』。

しかしエーコの場合はキリスト教圏の文化史的な身近なネタなのでなんと判りやすい。確かに鰤さんがいう通り、モンティ・パイソンの『ホーリィ・グレイル』と同じような感じはあります。

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前』の下地にあるのは古典的ミステリ、コナン・ドイル。(更に007シリーズのイアン・フレミングも加味されてるらしいが、イアン・フレミングを読んだことがないのでそれがどうなってるのかよく判らない)まぁ記号論が古典的ミステリと親和性が高いのはなんとなく判る。なんか記号論ってそんなことやってるような感じの学問だよなぁというか、よく判らないからそんな風に見てるだけなんだけど。

中世哲学的な記号、スコラ的な記号。馴染みのない日本人にとってはそれでどうも挫折してしまうのであるが、あの13世紀から14世紀あたりのスコラ神学あたりをうろうろしていると、エーコが目くらまし的に散りばめたシロモノに当然ながら大量に出くわすが、そのスコラ学そのものが、聖書解釈から導き出した神学大系の迷宮であり、そこではまさにエーコが描くプロセス、断片と再構築の繰り返しであったり、或いは中世の「寓意*」による「言語」という流行といっていいような手法(あの時代はなんでも寓意にするよな〜。寓意すりゃいいってもんじゃないけどするよな〜)それをああもカリカチュアライズ出来てしまう技に感心してしまうという按配。

*)鰤さんも言及しているが、オリゲネスが言う聖書の読み方「クワドリカ」は聖書を読むときに、逐語(字義)的、寓意(寓諭)的、転義(道徳)的、神秘的なアプローチを言う。推理小説に神秘的なぁ・・

ある意味中世キリスト教史はそこに携わっていた本人達は至極真面目なのだが、真面目なだけに、お笑い的なナニかがあって、初期フランシスコ会の書き物とか、なんじゃこりゃ?というような馬鹿ネタがすごく多い。「兄弟ジネプロが、病人に食べさせようと豚の足を切り取ったこと」「兄弟ジネプロが,自らを卑しめるため,シーソーをして遊びほうけたこと」なんて、読むと漫才のような話が載っているテキストが修道会で(真面目??に)読まれている。

その一例↓

フランチェスコがマッセオと旅に出た時、フィレンツェシエナ、アレッツオに通じる三叉路に差しかかりました。
「父よ、どの道を行きますか」とマッセオ、
「神の望まれる道だ」とフランチェスコ
「神のみ旨がどうして分かりますか」
「教えてあげよう、従順の名において命じる、三叉路のまんなかで子供のように、止めろと言うまでぐるぐる回りなさい」
マッセオは目を回しても何回も倒れたりしながら止めろと言われるまで従順にぐるぐる回りました。
「止まれ、動くな」マッセオが止まると  
「顔はどっちを向いているか」
シエナです」
「今日はシエナの方へ行くのが神のみ旨です」
(『聖フランチェスコの小さき花』第11章 聖フランチェスコが、進むべき道を見つけさせようとして、フラテ・マッセオにぐるぐる回りをさせられたこと)

・・・・これをわたくしは読まされましたよ。一応、在俗のフランシスカンなもんで。

ま、つまり、中世というのは、今、我々が近代というフィルターを通して知っている中世よりはるかに豊かでもあり、笑いもあったと、そう思えるのです。そしてその不当な中世というものへのエーコなりの思いもあったのではないか?とか勝手に想像してみたりしてしまいます。その辺りはやはりイタリア人的な立場の、モデルノへと移行した時代のイタリアが置かれてしまった立場的なものというのも根底にあるのかもなーと意地悪くも思ってみたり。

さて、エーコは、日本では書籍の表紙画に使われていて、本書でも登場する写本、『リエバナのベァトゥス』についての論文を出していたようで、それは翻訳されていないので読めないんですが、読んでみたいと思っています。ヒントはそこにあると思われなのですが、何故かフランス語で書かれている本なんで読めないんだよ。くそ。フランコ・マリア・リッチ社の馬鹿。(実は持ってるんだけど、絵本に成り下がっている)

ちなみにわたくしは、ブルネッロという馬についての名を当てるウィリアムには、相当、にやっとします。アベラール様・・・・萌え。(ウィリアムって、アベラール様とシャーロック・ホームズ足して割ったみたいだよな)

とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽

とめどなく笑う―イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽

↑鰤さんにはこれを紹介しておく

ついでにこの書評したときに今回の内容と同じようなこと以前書いていた。_| ̄|○
忘れるんだよ。脳のハードディスクが少ないから。

■イエスは笑われたか?
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20060209/1139452718