『フェルマーの最終定理』サイモン・シン 懸賞が今年締め切りだった数学最大の謎

わたくしは数字脳がない。ゆえにインド人ってなんかすごいと常々思っている。
そういうわたくしでも面白く読める、イギリスのインド人移民であるサイモン・シンという著者が書いた数学ドラマ史。

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

これはうちの教授が貸してくれたんだが、そもそも数学世界には近づかないようにしていたので、本当に読めるのか疑問だった。しかし著者はその難解な数学世界、ほとんど変な人しかいないんじゃないか?的な世界を、数学脳皆無なわたくしにもわかりやすく説明してくれる。それもたかが数学の歴史をこれほどドラマティコに書かれては「面白い」としか言えないではないか。

フェルマーの最終定理」はフェルマーというおっさんが17世紀に書いた落書きに端を発する。彼は『算術』という書の空白に

「n が3以上のとき、一つの n 冪を二つの n 冪の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」

・・などと書き残したのだが、これがその後の数学者たちの頭を悩まし続けるのであった。私なら悩まないがそこに数式あれば解きたがるのが数学者である。以来、様々な学者がぶつかっては玉砕していった。中には懸賞金まで出すやつも現れる。

で、今年の9月13日「最終定理」に関するその賞金が締め切られた。「フェルマーの予想を証明したものに10万マルクのを出す」という懸賞は1908年に出されている。その懸賞は1997年、みごと証明を果たしたアンドリュー・ワイルズが手にした。

そこに到るまでの紆余曲折と数多くの数学者たちのもやもやのドラマがこの本である。

しかし、数学者というのはどうにもわけのわからない数式に没頭し、少しでも齟齬あらばその業績はゼロであり、真理はひとつしかないような世界で、数をひたすら探求している。ストイックな人種である。それはまるで、神学者のようでもあり、実際、中世から近世の数学者に聖職者も多い。(フランシスカンが意外と活躍している)
そのストイックな性癖は遡ること、ピュタゴラスにはじまるが、ピュタゴラスは「無理数」を認めず、それを口にした弟子を溺死させたとか、そういうエピソードに、どうにも神学史のあの異端宣告に近いメンタルを見てしまうんだが。
ピュタゴラス教団が秘密結社だったように、数学者達も秘密主義が多く、フェルマーが後世の数学者達を何夜も徹夜させたのもこの秘密主義的な文化ゆえのことでもあり、これまた、フェルマーというおっさんがかなり意地悪親父で、あちこちの数学者に意地悪な問題を出してはほくそ笑んでいたらしいというから、まぁ、あの世で350年もの間世界中の数学者が苦しんでいるのを見てさぞかし幸せだったかもしれない。

これらフェルマーに関わった数学者のなかには日本人もいる。谷山豊と志村五郎がのちのワイルスの証明への道「谷山・志村予想」を作る。かなり重要な位置にいたというのは驚きだ。

しかしまったく無縁の数学世界のギョーカイ用語。「虚数」「無理数」というあたりはともかく「友愛数」とか、「社交数」とか微妙にかわいい数もあるのは知らなかったですよ。どういうネーミングだ?

数学はなんのヤクにもたたないことをやり続ける学問という側面もある(いや、のちには実際に様々な技術等の場面で応用されていくものもあるのでまったくとは言いがたいが)それでも、フェルマーの定理が証明されたからといってどうなんだ?というようなそんなシロモノに10歳のときから取り付かれた男が、最後に証明して見せたドラマは、かなり熱かったりもする。

まぁ絵なんぞもかなり役立たずだが・・・・。