中絶に絡んだ事件でカトリック司教の判断に賛否

なんか、はてなブクマ集めてたこれ↓

▼9歳少女が継父にレイプされ妊娠 → 大司教「強姦よりも中絶のほうが大罪だろ・・・宗教的に考えて」ーニュー速クオリティ
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51265349.html
1 すずめちゃん(dion軍)2009/03/13(金) 04:28:18.19 id:i78qVybu ?PLT(12002) ポイント特典
9歳少女中絶問題関係者ら破門 教会の冷酷な対処に非難噴出

ペルナンブコ州で五日、妊娠が発覚した九歳の少女に中絶処置を施し「教会法に背いた」たとして、
関係者らに破門を言い渡したジョゼー・カルドーゾ・ソブリーニョ大司教レシフェ・オリンダ教区)への非難が集中している。

 少女は、同居の継父(二三)に強姦されて双子を妊娠。二月末、腹痛を訴える少女を母親が病院に連れて行ったことから妊娠が発覚した。

 既に妊娠十五週目に入っており、身体が未発達な低年齢での妊娠は子宮破裂などの危険もあることから、
親や担当医師らの判断で中絶手術が施された。

 カトリック教では、中絶は自動的に破門。教会法に則って、母親ら関係者を破門した大司教は、
「強姦は大罪だが、中絶はそれに勝る大罪」とし、しかるべき処分とのコメントをしている。

 一方、ある女性保護団体の代表は、「一人の少女の命が宗教的思想より劣るとは言語道断」と大司教を激しく非難。

 手術を行なったアマウリー・デ・メデイロス総合保険センターのファッチマ・マイア所長も、
「性的暴力から女性を守るのは当然」とし、破門処分を受けたことについても「全く後悔していない」と話している。

 被害者の権利を無視した今回の教会側の処分は、世論のさらなる反発を招くことが予想される。

 なお、少女の継父は、三年間に渡って性的虐待を繰り返したほか、
身体に障害を持つ少女の姉(一四)にも性的虐待を加えたとして、六日逮捕された。


ニュース記事はこちらにも↓

▼9歳少女に中絶、医師「破門」に…ブラジルで大論争 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090315-OYT1T00155.htm

なんじゃこりゃ?[これはひどい]カトリック教会ですね。と言いたくなるニュースですな。ブラジルでの話なようです。
みごとにはてなブクマカーさんにボコにされています。カトリック氏ね!カルト!屑!的に罵倒の嵐('A`)
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090315-OYT1T00155.htm


さて「大罪」というジャンルで括るなら、継子に対する強姦も堕胎行為も同じように大罪である。どっちも重篤な罪があるとされる。
しかし教会法では、世俗的な暴力と、堕胎というものを分けてあり、前者には事情による情状酌量的余地が示されるのだが、堕胎行為を行ったものは有無を言わさず「破門」扱いとなる。それを以て司教はどうやら優劣をつけたような言い方をしているようだ。
なんでこんなに「堕胎」の厳しいのか謎。それぐらいどーやらカトリック教会は堕胎が嫌いである。何故かと考えるだに、子供というのは神から授かるもので人はそれを与っているに過ぎないと考えるからなんだが。つまり誰の所有物でもない個として存在すると考えるから故なんだけど。つまり殺人と強姦と比してるというか。でもまぁこういうケースではそんな正論を原理的に押し付けられても。。ってつい考えたくなるのは自然ではある。だから上記の2ちゃんねるスレのダイジェストのように一部のネラーさんやはてなブクマカーさん達がぶっ叩きたくなるのも無理はないと思う。(むしろダイジェストに中絶容認しないぞ。教会判断仕方なしみたいな意見が多かったのには驚き)

わたくしはこのスキャンダラスな事件を前に司教が口にした「強姦より中絶の方が重い」発言自体を庇う気は無いし、カトリック教会のこの偏狭ぶりは世俗から非難されて当然だろうなとは思うが、しかしいったん赦せば、堕胎天国的な方向へと向かいがちな人間の性情などを鑑みると、こんくらい頑固じじいな組織は必要だと思う。うっとおしくてやな頑固じじいが必要な時もある。片隅に置いとけって感じで。

まぁ関係者達もカトリック教徒なら「こうした実情故に堕胎したのだ。しかしこれから生まれようとする人は殺した。故にそれについては罪はある。赦せ」とかなんとか頑固爺の教会と話合いぐらいして破門措置を解けばいいと思う。そもそも母体が危ない場合のこうした措置自体はナニがなんでも駄目とは言わない。やっちゃったらとりあえず「自動的に」破門になってしまうが、こういう場合、聖職者に告解するなど、まぁしかるべき手続きを経てギョーカイ用語的に「和解する」コトで破門は解かれる。世俗の罪に対するシロモノとは違うので、刑法的なモノで考えてしまうと誤解するものではあります。それ以前に「こういうケースで堕胎せざるを得ない」とか教会に相談していたのか。カトリックってのは表向きのことと裏向きのことと分けて考える、建前と本音的にグレーゾーンを残すような(こずるい)性質があるんで。ナニがなんでも駄目とか突っぱねるようなところでもない。この辺りは某所で指摘されていたな。

ところで、日本ではいつの時代からはじまったか判らぬ水子供養という概念があり、ちょい昔の女性は腹の中に生じた命に対して責任を感じていた。やむなく命を産み落とせなかった悔いをそのような形で慰めた。カトリックの堕胎概念というのはそうした小さな命への母の持つ直感的なナニかを大切にしようというところにある。で、このような酷いケースで尚且つ母体が危ないような事例でも、人間の命に優劣はつけられない。そういうコトの証しではあるのだが、しかし俗な世界の概念では、この場合は「母」を助けるのが情として正しいと判断する。それは間違ってはいない。わたくしもそう判断するだろう。しかしそれによって失った命の責任は持とうよということではある。ただし、この場合はどーもそれすらも後味が悪く難し過ぎる事例ではあるのだが。

ほんとに関係者達は気の毒だなとは思う。破門ということが何故このように公にされたのか、司教ももっといい説明のしようはないものかとは思う。コレでは大層頭ごなし的で、わたくしでも頭に来る。ただ、メディアは常に教会への批判材料を探し回っているので、司教がほんとはどういう文脈でどのように語ったのだろうか?という疑念はちょいと残る。
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この事件の根底にあるのは、有名無実化している教会存在にある。
カトリック教会が堕胎に厳しいことぐらいみんな知っている。ローマカトリック世界では自明の事柄である。しかし関係者達はそういう教会などそもそも無視しているわけで、破門されても無視していればいいだけで、げんに関係者も「だからどうした?」的反応。一貫している。メディアのみがカトリックの頑固っぷりを問題にしている。よっぽど教会を俗化方向に変えたいようで、この手のリベラルマスメディアの傲慢ぶりってのも実はわたくしはどうよ?と思う。

あと、ブラジルの社会事情が見えないこともあり、教会がココまで強情なのはなんでか?とかもありますな。保守過ぎる頑迷な屑聖職者とかもいそうだけど、いい加減過ぎるラテンでたがの外れたカトリック信者も多過ぎる気もする。