阪神淡路大震災から10年・奇跡のイエス像・津波統計の謎

父は神戸出身。忘れもしない10年前、父がパニックを起こして私をたたき起こしに来たのを今も覚えています。父が子供のころ親しんだ光景、よく遊んだ神社や教会がすごいことになっている映像がテレビから流れてきて、呆然としていましたね。
さて、週刊新潮のグラビアページを見ていたら「奇跡のイエス像」というものが出ていた。なんじゃそりゃ?と思って説明を読む。

神戸市長田区海運町にある「カトリック鷹取教会」震災当時11時間に
わたって猛火に襲われたが、このキリスト像の背後で火は消え、聖堂
が焼け残った。(週刊新潮1月20日「震災10年ー復興と傷跡」)

おお!そりゃ奇跡だ。チビタベッキアのマリアよりすごいぞ。
このキリスト像、どうも評判になったらしくマスコミの取材が殺到したらしい。取材を受けた神父曰く「震災から1年は奇跡のキリスト像という取材があちこちから入り、たいへんでした」大きな災害があると神仏に頼りたくなったり、超自然現象に意味を求めたりする人間心理についてはスマトラ津波のマレーシアやアメリカの例を見ても分かるとおり。
で、前にも取り上げたこれ↓

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0501/19/news085.html

このサイトの分析がおかしい。しかし「キリスト教徒は迷信深い」というコトがあちこちのブログで参考に書かれていた。元資料の各国比によると

マレーシア47%(イスラム50%・仏教・儒教
中国   28%(宗教人口は一億人 仏教、儒教道教
インド  27%(ヒンズー・イスラム・シーク)      
イタリア  6% (カトリック
フランス  5% (カトリック
日本    5%(神道・仏教)
オランダ  5%(カトリックプロテスタント
デンマーク 4%(プロテスタント

・・・・・・・・・・・キリスト教徒は「神の仕業」だと全然思ってないのが多い。教皇のおひざもとのイタリアたるや、どういうこっちゃ?あの記事では日本のみが実用主義的と分析されていたが、イタリア、フランス、オランダ、デンマークはどうなんだ?キリスト教ではアメリカの福音派の人々のみが50%と異常な数字をはじき出しているだけなのだ。福音派キリスト教でもごく一部の教派だ。しかしあの分析の文章では・・・
・「キリスト教」は神の仕業と信じている。(キリスト教には多数の教派がある)
・日本人は実用主義である。
と、どちらかを印象付けたいような書きっぷり。んで、案の定、ほとんどのブロガーがだまされて「キリスト教徒はアホや。」と書いているのには苦笑してしまいました。無理もない、あれ読んだ瞬間は、わたくし自身もアホや思いましたからね。リンクされている統計表を見て????????となったわけです。しかし、いったいあのひん曲がった分析の目的はナンだったのか、今も分からず不気味である。

で、話を戻すが「奇跡のイエス像」これについてコメントを求められた司祭は「火を止めたのは人々の力ですよ」と、マスコミが鼻息荒く、奇跡を求めるのに対し、ずいぶんと醒めた視点。もともと長い教会史の中でも、奇跡については神学者や聖域の人間は醒めた人が多い。大衆が奇跡を求め、支えてきた。その運動が盛んになり継続され続けると教会も重い腰を上げ、奇跡の認定をする。そういうコトの繰り返しであった。あまりに熱狂的な状況に仕方なしにという感じである。
この神父が特別プラグマティクスというわけではないんだろうけど、キリスト教徒ではない人々やマスコミが騒ぎたて、キリスト教徒のしかも神父が奇跡をなんとなく認めていないという光景。面白いと思いましたね。わたくし自身は宗教というのはアホ呼ばわりされても、電波と呼ばれても、この手の希望的な奇跡はご都合主義的に認めたほうがいいと思うので、この神父とは気が合わないだろうなぁとは思いましたけどね。