ナチスと教会

人権保護法案がらみでルター派マルティン・ニーメラー牧師の以下の言葉がよく引用されているのを見かける。

なぜナチスを阻止できなかったのか−マルチン・ニーメラー牧師の告白−

 

ナチス共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく
自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。次にナチス
社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかった
から何も行動にでなかった。

それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたび
にいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。それから
ナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、
そのときはすでにおそかった。

                ( 丸山真男 『現代政治の思想と行動』 未来社

この言葉に「ちょいと待てよ。」と待ったをかけたのが愛蔵太さんで以下のエントリでその検証を行っている。

マルチン・ニーメラーが本当に言ったことと、リベラルな人の嘘
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050910#p2

訳語が間違っているという。
つまり最後の一文「教会を攻撃した」という文は誤訳であり、その誤用がリベラリストの間で一人歩きをし始めているというのである。
そもそもが丸山真男という人は戦後のマルクス主義者や社会主義者に人気がある方のようで、また日本の進歩的プロテスタント信者にも人気があるようで、学者なども彼の著作をよく引用をしているようだ。カトリックなうえにへたれノンポリなわたくしはこんな方の存在は知らなかったよ。丸山真男氏は反ファシズムの思想家であり、その思想背景には内村鑑三の無教会派に属した南原繁に師事した経歴がある。
師匠の経歴はこれ↓

http://www.tabiken.com/history/doc/N/N270L100.HTM
南原繁 なんばらしげる

アジア 日本 AD1889 明治時代

 1889〜1974年(明治22〜昭和49)大正・昭和時代の政治学者。香川県生まれ。
東京大学政治学を小野塚喜平次について学び,卒業後,内務省に入り,社会
保険その他に努力,富山県射水郡長をつとめたが退職。1921年(大正10),東
帝国大学助教授となり,渡欧して政治学を学び,1925年,教授となり,政治
学を講ずる。彼は内村鑑三の影響を受けた無教会派プロテスタントで,自由主
義的立場を堅持してゆずらず,丸山真男らを育成するとともに,1943年『国家
と宗教』を刊行して,ナチズムへの批判を展開し,1945年(昭和20)3月,東京
大学法学部長となり,太平洋戦争の終戦工作にも尽力した。1945年(昭和20)
12月,東京帝国大学総長となり,占領下において学問の自由と独立をとき,そ
の講演集は愛国的でフィヒテを思わせるものがあり,吉田首相と対立している。
彼は護憲の立場を貫ぬき,東大総長後は学士院院長となり,日本政治学会の理
事長ともなっている。著書に『南原繁著作集』(岩波書店)10巻がある。

丸山真男氏自身も相当な経歴の持ち主のようだが、まとまった経歴がなかったので掲載はしない。しかしざっと見る限りリベラルな人々に敬意を以て取り上げられる率の高い、左翼の重鎮の方であるようだ。

さて、愛蔵太さんが批判する文は「ファシズムに対抗し迫害を受けたルター派の教会」という認識でニーメラーの言葉が語られている構図である。ニーメラー自身はUボートの艦長という面白い経歴の持ち主でもあり、そういう立場でありながらも反ナチス運動を自らの教会で展開しようとして弾圧され、収容所に送られたというなかなか気骨のある人物として語られています。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8008/MartinNiemller/MartinNiemller.htm
マルチン=ニーメラー 
Niemöller,Martin 
[生] 1892.1.14. リップシュタット 
[没] 1984.3.6. ウィースバーデン 
   
ドイツのルター派神学者。第1次世界大戦に従軍し,潜水艦長として活躍。ウェスト
ファリアのミュンスター大学で神学を修め,1924〜30年同大学学内伝道にたずさわり,
31〜39年ベルリン・ダーレムのルター派教会牧師となる。ヒトラーの教会支配に対す
る抵抗運動の指導者として活躍し,牧師緊急同盟の結成を呼びかけ,告白教会の形成,
バルメン宣言の成立にあずかって力があったが,逮捕されて,ダハウの強制収容所に
送られる (1937) 。第2次世界大戦後解放されて,平和運動ドイツ統一運動に尽力。
ドイツ福音主義教会評議員,同外務局長。世界教会協議会会員。主著『Uボートから
講壇へ』 Vom U-boot zur Kanzel (34) ,『イエス・キリストは主なり』 Herr ist Jesus Christus (46) 。 
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つまりナチスとしては「反政府運動を教会を利用して展開する反独分子」としてニーメラーを逮捕したようですね。寧ろこのとき教会の多くの人々は沈黙したことは批判されても仕方がないのであるが、今やその主体がいつの間にかニーメラー自身でなく教会であるという構図に違和感を持ったというのが愛・蔵太さんの主張だろう。

さて、ではその教会の戦争責任であるが、現代の教会はファシズムの暴力に抵抗しなかったというコトで謝罪をしたり自己批判をしたりしている。しかし政教分離を教会が望むのであるならば、当時の信者達はどのように判断しなければならなかっただろうか?世俗の権力のほうがあきらかに強く、教会が組織的に反政府に向かうならばそれは既に教会の範疇を越えてしまうことになるジレンマを抱える。しかも同じ教派同士が戦っていたのが当時のヨーロッパの戦争でもある。教会ができるのは政府への直接の批判ではなく個人の良心に任せる、遠回りに平和を訴えるしかなかっただろう。現代と違い、戦争が手段として正当化されている時代にそれはどれだけ有効だったのだろうか?当時のその国の国民でないわたくしには分からない。

日本に於いてもかつて迫害があった。第2次世界大戦下の奄美大島におけるカトリック信者に対する陸軍の迫害である。これの発端は天皇制批判を行った一信徒の言葉からであるが元々奄美諸島は戦略の重要拠点であり不安要素を極力排除したいという状況に加え、この地の陸軍士官は中央と違いキリスト教に対し無知であった。中央政府キリスト教徒には手を出さないという判断をしていたが、しかし敵性国の宗教でもあり警戒はしていた。末期ともなると現場の判断によってカトリックプロテスタントの宣教師達が多く収容所に入れられた。私の所属する教会の神父たちも収容所に送られたという記録が残っている。このように末期の時代はかなり困難な立場であったが、奄美のようにただカトリックキリスト教)信者であるというだけで公的に迫害が起きたのはひじょうに少ない。一部の教派(プロテスタントのホーリネスなど)に於いて良心的兵役拒否を行った存在があり、彼らはそれが理由で当局に睨まれ、弾圧されたという。

フランス人のフランシスコ会神学者エロワ・ルクレールも収容所送りを経験した一人だが、
彼はフランシスコ会であるからとか、カトリックの教職者であるからという理由で収容所に送られたわけではない。

ところで昨日、在世フランシスコ会の集会だったのだが、都市国家同士で戦っていた時代にそれらの平和調停に奔走したといわれる師父フランシスコに倣い、在世のフランシスカンたちは兵役の拒絶を義務付けられていた。「剣をとってはならない」という会則があったのだ。しかし近年その会則は「自らの防衛を行わねばいけないやむをえない場合を除き」という一文が加わったのだ。14世紀のドミニコ会神学者トマス・アクイナスはやはり防衛のためのやむをえない戦争を是認していたが、フランシスコ会は是認していなかった。しかし近年にそれらが緩和されたというのはどういう意味があるのだろうか?在俗のフランシスコ会員の中には徴用され軍隊に行かざるを得ないものもいるであろう。そういう人々への配慮が必要になったのか?しかし在俗のフランシスコ会員たる我々には平和をまず祈る義務が課せられている。剣を取らざるをえないというのは最悪の選択結果であると認識はしておかねばならない。最悪の選択結果を行使せなばならないことを自覚したうえで剣を取る。そういう覚悟をする必要があるというコトだろう。しかしそれはフランシスカンでなくとも、カトリック教徒でなくとも、キリスト教徒でなくとも、多くの人々が抱くものだと思う。概ねの市民は戦争など望んではいないだろう。

にしても、過ぎた事例を反省するのは大切だが、かといって安全な立場から過去の人を裁いたり、歴史を誤まって認識したり、自分に都合のいいように誤用するのはよろしくないよ。などとは思う。