ピエロ・デ・ラ・フランチェスカ

眠れなかったので、時代を次世代に。
ピエロ・デ・ラ・フランチェスカの絵は感情がまったく押さえ込まれた絵画の代表作かもしれない。静かな祈りの絵であるはずなのだが、それを通り越した冷静な理性の絵画という感じ。
もともと数学や光学に興味のあったピエロは遠近法による精密で正確な絵画を造りあげようとしていた。アルベルティによって体系付けられた遠近法は、フィレンツェ絵画を大きくかえるのだが、遠近法オタクが沢山登場する。有名なのはウッチェロで。彼はなぜか遠近法をやるにあたって、自然物や人馬などに応用していた。風景などドーデもいいのか、プラートの壁画のステパノ伝の背景の建物などいいかげんである。そして生きている存在やら、生物やらを幾何的に置き換えるのではなはだ不思議な描写の絵を残すことになる。だから後の人にキュビズムの走りだなどといわれている。色彩感覚に到ってはなんだか変わっていて個性的なのだが、もしかしたら色弱だったかもしれない。色弱の画家というと意外に思われるが実は多い。グレーや中間色に敏感になるらしいと聞いた。現代作家で有名なのはルル・ピカソか。
それに比べるとピエロの絵はもっと理性的に遠近法を用いている。人物描写も丁寧でリアルである。キリストの鞭打ちの絵では人物の配置から建物の構造まできちんと図面を起こせるほどである。彼の絵を描く目的は、図面に忠実な画像であった。だからメンタルな部分というのはあまり感じない。後の美術史家に受けがいいのはこのクールさからかもしれない。彼の絵もあまり語らない。が、それは理性の持つ静けさだからだろう。学者の絵画である。
何故か初期ルネッサンスの中では抜群のデッサン力と描写力なのだが、フィレンツェで活躍した話をあまり聞かない。彼の出身地のサンセポルクロとか、アレッツォ、ウルビーノで活躍していたようだ。どうもフィレンツェ人には受けは良くなかったようだ。フィレンツェではボッティチェッリのような甘い絵の方が好まれた。ボッティチェッリはアカデミーなどに出入りして知的な画家と思われてはいるが私はどーもただのミーハー君だったんじゃないか?と思っている。後に流行りものになったサボナローラに心酔してからは激しくエキセントリックな絵を描いていてどん引きしてしまう。その豹変っぷりがこれまたすごいけど。なんとなく藤田嗣治の晩年を思い出させるエキセントリックさである。う〜ん。宗教に走るとみんな理性的でなくなるのか?などと思いたくもなってしまうが、霊性の違いもあるかも。サボナローラの信仰も激しかったので影響を受けたボッティチェリがああなるのも自然だが、藤田の信仰はどんな霊性だったんだろうか?
しかしピエロはずっと一貫していて変わっていない。静かで、マリアは少し気難しそうな表情をしていたり、掴み所がない。独自の表現なので後代には継承した人があまりいないんじゃないかと思うけど、彼こそ正当なマザッチオの系譜だったと思う。信仰的というより光学の実験的な絵だった。