アンジェリコ

アンジェリコドミニコ会の修道僧である。リッピがカルメルならアンジェリコはドミニコ。フランシスコ会にはどうも著名な画僧はいない。何故かいないね。カルメル会は後年改革があり、アヴィラ聖テレジアや十字架の聖ヨハネに連なるような神秘主義的な霊性のイメージ、そしておよそリッピとはかけ離れたような厳格なイメージの修道会となっていくのだが、それは改革派の跣足カルメル会のイメージだな。リッピの時代は寧ろ牧歌的なイメージで売り出していたらしいよ。ドミニコ会はアンジェリコを出すような修道会なのでその後も絵画教育には力を入れていたようで。ステンドグラス作家なんかもいる。そういえば日本にいるカンペンティール神父もドミニコ会だな。彼も美術系の学校を変遷しステンドグラスの技術を身につけ、自ら版画を作成していたりする。いいなぁドミニコ会
ドミニコ会は異端審問のイメージで悪い修道会だなどと言っていたりする人もいるが、そういう奴はアンジェリコの絵を鑑賞する資格なしだ。アレはドミニコ会霊性から出現した。
アンジェリコフィレンツェ郊外の山の中の村出身で、或る時いきなりドミニコ会に入る。ドミニコ会の厳格派運動に深く関わり、師の聖アントニーノ(のちのフィレンツェ司教)と行動を共にしていた。サンマルコ修道院はこの厳格派の人々によってアンジェリコが生きた時代に建てられた。前にいた修道会を追い出してドミニコ会のものになった背景にはコジモ・デ・メディチの尽力がある。のちの時代にここの修道院長だったサボナローラはメディチ家攻撃に腐心していたから恩知らずでもあるな。
アンジェリコは画僧としてだけではなく、フィエーゾレの修道院長だったりと、真面目に修道僧な身分をクリアしていたようである。のちローマに行ってしまうが確かマラリアかなんかにかかって死んでしまった。ローマ行きには教皇庁の小礼拝堂の壁画を依頼されてということであるが、どうもアントニーノと意見が分かれて、ローマ行きを決めたらしいという話も聞いたことがある。アントニーノ以上に厳格派だったらしい。
なもので、彼の描く絵はまったくカトリックの伝統に沿った優等生的な絵ではある。しかしただ真面目以上のなにかがあるのは、そのまなざしの優しさでもあるだろう。そしてナイーブな信仰の持ち主であったのではないか?
彼の工房ではあのピエロ・デ・ラ・フランチェスカが学んでいたらしい。
彼の絵は一目で彼とわかるが、彼は絵画を祈りのすべとして。絵画を描くというのは祈りの一つの形として考えていたのではないかと思う。自分がどうであるか?よりまず教会の典礼としてどうであるか?が優先されていただろうと思う。それゆえなのか非常に感情を抑えたような表現。淡々とした静の信仰。後の宗教改革期以降の激情の信仰とは違う。語らない信仰である。
わたしはどうも激情の信仰はダメである。文学や芸術なんかでもそうだが、感情的なものがダダ漏れの作品、私小説の類は苦手である。エキセントリックに自分語りして酔ってるようなのは距離をおきたくなる。自己愛が肥大したようなものはどーもなぁ。このような芸術作品はえてして女流作家に何故か多い。男性ではあまりいない。自己が肥大といっても開き直った草間彌生まで行くともうそれはそれですごいと思う。あるいはルイス・ブルジョアジョージア・オキーフのようになにかを超越してしまったような解放は素晴らしいが、この三人は女性というよりもう女傑の部類だ。塩野七生佐藤亜紀系の持つ親父臭さというかそれに通じる。彼女らはどこかで醒めている。シニカルで意地悪である。ポール・セローの「写真の館」にでて来る女流写真家のように。
しかし、静の信仰はどこかで醒めている精神から来るのか?というとアンジェリコの場合はそうでもなさそうだ。ラッツィンガーが引き篭もりになったらこんな感じか?信仰には「熱い」が抑制されている。男と女とではメンタルの違いがあるのか?少し不思議に思った。
近代の信仰がどうも苦手なのはこの女性的な信仰の熱狂があるからなんだろうけど、例えば南米やスペインのマリア崇敬絡みの信仰はそういう感じ。ただ、苦手なだけで、まぁそういうのもありなんだろう。メキシコのバロックなどをみているとそのエネルギーが生むものはそれなりに面白いし。
しかし自分の信仰の形というと、やはりアンジェリコ(或いはロシアのルブリョフ)のような静かなものに惹かれる。