リッピ

フィリッポ・リッピという画家は坊さんである。絵描き坊主。雪舟みたいなものかというとそうでもあるしそうでもない。雪舟は高僧っぽいけど、リッピは破戒僧だ。しかし子供の頃に修道院にぶち込まれたのは似ている。雪舟が絵ばかり描いていて怒った住職に柱に縛りつけられ、その涙でネズミの絵を描いたら巧かったので、絵を描くことを赦したという伝承があるが、リッピも神学の授業中に書に落書きをして怒られたという伝承が残っている。もしかしたらブラウニングの詩だったか?ヴァザーリの伝記だったか?忘れたけど。どちらにせよ史実かどうかは判らない。
1406年に肉屋の息子として生まれたリッピは、幼くして兄と修道院にほおりこまれる。兄はオルガン奏者となり、フィリッポは画僧となるのだが、丁度彼が若い頃、彼のいたカルメル会の礼拝堂の壁画をマゾリーのとマザッチォが描くことになった。ルネッサンスの天才マザッチオの仕事を目の当たりにして「俺も絵描きになりたい」と思ったのかどうかはしらないし、彼がどこで修業を積んだのかも判らないが、修道院内の壁画などを任されるようになったようだ。
その頃の絵は稚拙だが、ルネッサンス的な生き生きとした人物表現の萌芽が既に見える。
北方フランドルの人物画は非常に硬直していて、青池保子の漫画のエーベルバッハ少佐クラナッハ辺り絵を評して「発育不全の女」だかなんとか言っていたように、まぁ伝統的になんとなく貧弱である。しかしフィレンツェルネッサンス絵画の女性達、それもこのリッピの絵に関しては魅力的な女性がマリアや聖女となって描かれている。
まぁ、このリッピという坊さんは、無類の女好きだったので、その気持を正直に絵に描いていたりするわけで、彼の聖画像は激しく俗っぽいが、魅力あるものとなった。男を描くよりもあきらかに女を描く方が楽しかったらしく、イエス像が異常に少なくてマリア像が多い。注文する側のせいもあるんだろうけど、あきらかに女性像の方が魅力的だ。
同じ画僧で「とても聖なる」といった方がいいような同時代の画家ベアートアンジェリコは、正直女性像は苦手なようだ。イエスの像は素晴らしく品格あるものとして描かれるが、マリアの表情は堅い。まぁ聖画像なのだから違和感はないのだが、その辺にいる人という感じでもない。特に俗な女性をイメージされるマグダラなどは、バチカンにある小さな礼拝堂の壁画の、聖ステファノ伝や聖ラウレンティヌス伝のモデルをそのまま使った顔をしていて、モデルは実は男なんじゃないか?などと思ってしまう。もしかしたら身近にいた中性的な修道僧でもモデルに使っていたんじゃなかろうか?
ヴァザーリの書ではリッピは早くに修道院から出たことになっているが、しばらくはシエナで福修道院長をやったりしていて聖務もちゃんと行っていたようだ。いつカルメル会を出たのかはよく判っていない。フィレンツェで弟子の支払いをごまかした門で訴訟を起こされ、なんとなくフィレンツェに居辛くなったのかは知らないが、50代のころくらいにプラートに移動している。プラートのドゥオーモの壁画の仕事の依頼がきっかけなのかは知らないがとにかく引っ越した。そのころまだ礼拝堂付の司祭などをやっていたので僧籍から抜けてはいない。
そのプラートの町で女性問題を引き起こし、メディチが執り成して還俗させたという伝承をヴァザーリが記録している。お相手はモデルであったルクレツィア嬢で、当時16歳(しかも修道女!)であった。いやはや、犯罪だよ・・・。彼が本当に還俗したのかは判らないが(というのも晩年のスポレートの仕事で自分の肖像を僧服を着た姿で描いているからだが)この事件は当時かなりのスキャンダルだったらしい。噂話好きのフィレンツェ人が喜んでネタにしたのは想像出来る。
リッピは聖人やマリアの存在を人の中に見ていたのは間違いない。聖なる存在は隣人の中にある。人間があるがままに素直に生きることが聖なのだと考えていたのかもしれない。市井に生きる人々を罪深い存在と見做していなかったことは確かで、彼の宗教心が非常にヒューマニズムにあふれたものであることは疑いの余地はない。
アンジェリコの絵の人物が聖なるものであり、マザッチオの絵の人物が英雄的なら、リッピの絵の人物は庶民的である。この隣人への視点が、この俗過ぎる僧侶の、宗教的な「愛」を証明していると思う。きっと、実はいい奴だったんじゃないかなぁ。賃金、ちょろまかしたりしてこすいけど。