月に海が青い夜の島 渋谷陽一のラジオを聴いた

今日の島の夜は青い。海が青く水平線まで見通せる。竜舌蘭や、モンパや、アダンも青く、庭の片隅にたたずんでいた。ミモザは闇に紛れてどこかに行った。月に、珊瑚礁の間の砂が青く輝くので、岩礁に繋がれたボートの影がゆらゆらとしている。

庭に出て、月明かりの中で、Oh! Babyを聞いていた。

昼間、島友人のダイゴが、明日帰る親父と飲むけど来ない?と誘いにきた。
ダイゴは島でロケンロールしている、清志郎みたいに永遠の若気の至り男で、純な奴である。だから清志郎の死がかなりショックだったらしく、落ち込みまくって、母ちゃんに「馬っ鹿じゃないの?」と評されていた。
「今、東京にいる彼女に頼んで清志郎の今日行われた告別式に行ってもらってるんだ」と言っていた。
我が家にあるRCや清志郎のアルバムを机に並べて、懐かしいとかこれはよく聞いたとかあれこれ言いながら、写メを撮って、告別式の列に並んでいる彼女に送っていた。あとで気がついたが、そいや『レザーシャープ』が無い。アレは黒くて大きい塩ビのアレでしか持って無かったのか。変なジャケットだったよ。すっかり忘れていた。

で、ダイゴに今日は仕事があるので飲めないけど、明日は宴会に誘われているから、その時、清志郎宴会しようよと。で、聞きたいアルバムを持っていっていいよと言ったら、何故か『カバーズ』を持っていった。

なんでもニュースによるとその告別式にはすごく大量の人が並んでいて、豚インフルエンザが危ないんではないか・・ではなくて、まぁ予想遙かに越える人出だったようだ。川崎大師の初詣のようだったのかもしれない。葛餅とか途中で買えないと退屈しそうだが、それでも清志郎を悼む人たちがどんどん並んだようである。ソ連時代のロシア人のように忍耐強くずっと並んでいたらしい。

わたくしは、どーも、追悼とか葬儀とか苦手なんで、上記のニュースや行った人の話はなんか読んでいるうちにちくちくと胸が痛くなってくる。過去形で語られるのはすごく嫌だ。だからそういう情報はシャットダウンする。

で、昨日、オカダ君がくれた、渋谷陽一忌野清志郎ラジオをやっと聴いた。
センチなのは駄目っすとブログに書いていた渋谷の番組は淡々としたあの口調で、今までの軌跡を簡潔に解説していくというものだった。

そこで語られたエピソードに、昔、不遇時代の清志郎が、彼女(今の奥様「石井さん」)の親父に「結婚したいというが、お前幾ら給料貰ってるんだ?」と聞かれて、ほんとは7万円しか貰ってないんだけど、「12万円貰っています」と嘘ついた。というのがあった。
「どうして5万円のサバ読んだの?」と聞く渋谷に、清志郎答えて
「2ケタだといいかなと思って・・」

1970年代の話であろうか。30年前である。今の物価からすると倍ぐらいの感じかもしれないので、14万円か。わたくし的にはすこぶる安定してる気分である。親父、ハードル高いな。


この親父さん、つまり清志郎の義父は『OK』というアルバムで禿親父扱いを受けていて大層気の毒である。

OK

OK

これも名盤。

このアルバムを創っていた時のエピソードも面白い。このアルバムはハワイでレコーディングされたのだが、清志郎がほとんど曲を書いているので、ハワイでは清志郎だけホテルに缶詰め。残りのスタッフは曲が完成するまで遊んでいたらしく「なんで、俺ばっかり働いてるんだ」などと超ムカついていたそうだ。渋谷陽一は『ドカドカうるさいロックンロール』はそのむかつきをぶつけた曲として紹介していた。まぁ他にも『うんざり』という曲もそうなんだけど。しかもハワイアンでうんざりうんざり言ってる変な曲。
この手の身近な出来事をすぐ歌に出来る才能が面白いところだなという、そういう清志郎の側面を色々語っていた。

亡くなった友人も、日常思った事をすぐに絵にする男であったが、清志郎のそういうラフに音楽が存在する辺りを受け継いでいたと思う。そしてわたくしもその友人を通じて、絵というのは、ほんとに日常を綴るような気楽さで向かうのがいいんだと教えられ、スランプから脱する事が出来た。だから清志郎は絵の恩人でもある。考え過ぎる前に、彼はギターを手にしてなんでも音楽にしてしまう。昨日あった事を音楽にしてしまうんだな。スピード違反で捕まっては音楽にし、月がきれいだったので音楽にする。まったくそういう点では半径5メートルに生きる私小説男である。

昨日、某ブロガーさんのところで、「RCサクセションは半径5メートルぐらいのみみっちい出来事を、派手に唄う辺りが面白い」というコメントを残して来たのだが、ライブなんかはそう。ジャージにTシャツ姿でこたつに入ってミカン食いながら『モーニング』を寝転がって読んでるような光景を、ヴェネチァのドッカーレ宮にあるやたら超でかい豪華な天井画のような感じで描いてるみたいな。そんな迫力のあるライブをする。全力で日常を唄う。

アルバムだとそういう感は少し薄れる。そして、本来の清志郎がやりたかった事というのは、ソウルやR&Bの日本語バージョンだった。そんな話を渋谷がしていた。

わたくしが聞かなくなって久しい、ブランクの時代のソロの曲などが紹介されていて、ああ、やはりちゃんと追っていればよかったなぁと思った。

こんな映像拾った↓

忌野清志郎46歳。
かなり馬鹿過ぎる頭で登場。

私はこういう男に惚れる性格なので、「性格面食い」と友人に言われていた。
根がすごく真面目だが馬鹿を全力で真面目に出来る男というか、直感知が異常に優れているというか、センスがいいがオリジナルであるというか、でもすごく誠実というか・・などとあれやこれや馬鹿みたいに身の程知らずな御託を並べていたので、友人達に呆れられていた。

身近なエピソードを歌にしてしまう例↓

この人は対談というとギターを持って現れるんだが、話すのが苦手なので間を持たす為らしい。しかし唄いはじめるとすこぶる冗舌。
この時は原付乗っててお巡りに捕まったネタを歌で開陳。

マジにただ歌が好きなだけである。

こういうのは絵の世界でいうとピカソみたいなもんだ。

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渋谷陽一によると、忌野清志郎はバイトをしても5日ほどしか続かなかったらしい。音楽以外なにも出来ない。
そのうえ、朝寝て夕方起きる昼夜逆転生活。夕刻3時頃に起きるそうだ。上記の「笑っていいとも」でも、眩暈がするなどと言っている。

音楽がなかったらほんとに駄目男であるが、私も最近は朝7時ごろに寝て3時頃に起きているので同じであり、尚且つ絵しか描けない馬鹿であるので、その点は同じだと思った。微妙に安心した。