歳とったなと自覚した

まぁRCサクセション清志郎のアルバムを全部聞き尽くして、更に2回ほど聞いて、いいかげんもう他のこと考えようなどと思っていた矢先に、先日の訃報の時のエントリで触れた「多摩蘭坂を登り切る手前のアパートを借りて住んでいた」後輩がカキコしてくれたんで、再びとても青臭い頃の記憶が蘇ってしまいました。もうね十数年ぶりですよ。再会。
ネット時代ってやっぱすごい。

既にじじぃが昔話するような領域に入っているというか、半径5メートルな私小説世界状態で、正直、ロケンロール的でもないし、共有していない人からすると、だからどうした的などーでもいい「青かった俺達」話である。こんなのは作品造る時も避けて通る領域である。

だが、私にとって一番いい時代でもあった頃がフィードバックしてくるのはなんとなく嬉しい。
こうやって人は歳を取っていくんだなというか、昨今の若い者が聴いとる音楽は全部同じに聞こえるという時点で、まぁ充分歳よったわけなんだけど。

あの頃、一緒につるんでいた友人達を色々思い出す。

亡くなった友人といつもつるんでいた男、UはNYに行ってしまった。しばらく手紙が来ていたがその後音信がぷっつり途絶えた。イグアナを飼っているアメリカ娘と結婚し、ブルックリンに住んでいるという情報が最後。

Uと一緒につるんでいた現代美術作家Mちゃんとはしばらく遊んで欧州も、NYも一緒に行ったんだけど、私の電話メール手紙無精が祟ったあげく、わたくしが島に来たので音信が途絶えている。今も作品造ってる。

葬式の時に初めて会った大学時代の元彼女は、お互い相手の話を彼からよく聞いていた性か、初めて会った気がしないと、互いに盛り上がったんだが、その後どうしてるんだろう?結婚したんだろうか?そういえば彼女は彼の母ちゃんに似てた。

彼の弟はインドネシアに行ってしまい、その後イスラム教徒になったというのをお母さんが教えてくれた。インドネシアで暴動が起きた時に、友人だったインドネシア人が強盗しに来たのでなけなしの靴をやったという話を聞いた。

過ぎていった友人達は今も思い出す。通り過ぎていく人の数は多い。一期一会で人は過ぎていく。
同じように過ぎていったはずの音楽に再び針を落せば(CDだから落とせないか)その「時」は再現される。

かようにして「懐メロ」があるということで。そういうのは人それぞれにあるんだろう。

歳はとりたくもないが、こういうのを持っているというのは悪い事でもないなぁと思った次第。