今更ながら『崖の上のポニョ』を観た。駿はピカソか?

首都の利点は情報が大量にあることだ。島では味わえない情報と物資がだだ洩れである。この大量の情報と物資に抗うのは難しい。寧ろ進んで享受したほうがいいってもんである。
そういうわけで本日は給料日であったので、映画と展覧会という島にはない娯楽を味わいに行ったよ。それも既に手垢まみれの『フェルメール』と『崖の上のポニョ』だよ。

銀座の泰明小学校前のパリにありそうな「大馬鹿なる」とかいうふざけた名前のカフェで友人と待ち合わせる。おフランス語ではAux Bacchanales な。ここは便利なうえにだらけた空気があるんで好きだ。こうひいは700円近くしやがるんで高い。
近くの日比谷の映画館ではまだやっていたんだよ。『崖の上のポニョ』。皆さんは既に忘却の彼方であろう。だが島には映画館なんぞないからな。夏に見られなかったんで今、見るわけです。海の映画を冬に。寒い。

よい映画であったが怖い映画だった。

まぁ、なんというか子供の頃読んでた絵本みたいな映画だなぁ。カタルシスは得られるのだが説明がないんでなんだかシュールで怖いみたいなお話。

ポニョがソースケんちにやってきたはいいが、変な親父が大変だ世界崩壊するとかいってるし、街は水浸しになってるし、ポニョのかぁちゃんはでかいし、その妖艶でエロイでかいかぁちゃんが変な親父フジモトとどういう関係の夫婦なのかわかんないし、ソースケの母ちゃんはでかい母ちゃんと普通に話してたりするし・・・まぁもろもろの事柄に説明がまったくなく話が進んでくのだが、昔に、読んだ絵本ってこんなだったよな。ガキだと思ってか説明もせずにシュールな話がとにかく進んでくみたいな。ヒーローモノだって昔は説明もなく世界征服するヤツが幼稚園児を脅かしていたもんな。
大人になるとそういうのは気になるので、大人のファンタジーは概ね説明がされる。デューンみたいに神経症的に世界観を説明せずにいられない的な。
しかしガキは違う。説明されなくても受け入れたりする。少なくともわたくしがおガキ様であったころのお話はそんな感じのが多かったような記憶がある。

昨今のアニメというかジブリものもそうだったけど、もっと説明がなされているし、世界観がはっきりしてるようなのが多かったとは思う。ゲームの設定など物語に書かれていない部分の説明までしてあるのもある。緻密に考えられていてすごいなぁなどと思うこともあるけど、子供向けの漫画もある程度世界観はファンタジーでもわかりやすく説明がされている。

そういうわけで、昔読んでた絵本ってのはこんな感じ的な懐かしさがある。背景画もそういう絵本を思いだすような描き方でノスタルジーを感じるような手作り感がありますな。

ただ、ガキではないわたくしとしては、上記のような物語の説明の部分ではない別な箇所が気になってしまったのだな。

まぁあきらかに人間世界とは隔絶された海世界の超越者のようなポニョ母ちゃんがソースケに「身元引受人」と名指している箇所が妙に小市民的で気になるとか、そういうの以前に、もっと小さなミニマムなとこが気になったりする。

なんせ、わたくしの島家はソースケんちのように海のうえにある崖の上に建っている。庭の端は海である。嵐ともなると大きなうねりの波が崖の下に押し寄せる。ばあちゃんのいる介護施設に行くには途中、台風が来ると波がかぶる道まである。つまり世界環境がすこぶる同じなのである。

そういうわけで、ソースケんちのガレージは壁の囲いをしていないのが気になった。
塩害で車が痛むだろ!!!
・・・・・・大人ってやぁね。こんなことが気になるわけですよ。

それ以外ですと、波がかぶる海で車を走らせるは死亡フラグだぞ!!!!とか、台風並みの風が吹き付ける中をガキが一人歩きすることを赦す幼稚園の先生はどうかしている!!!とか、家の崖に波が押し寄せる光景がとにかくすげー怖いとか、窓から見える嵐の海が我が家の窓の光景と同じで怖いとか、海水魚であるポニョを水道水に入れたら浸透圧がおかしくなって死ぬ。ポニュの細胞壁が崩壊していくのを想像してしまい、とにかく前半部分はすごく怖くて、ちょっと色々とぶるぶるしてしまいました。

まぁ、これで島に帰ったら台風も楽しくなりそうですよ。タルコフスキー映画を見たあとに雨の光景が好きになったのと同じ効果を得られそうである。ただ、波マグロが見たくなって嵐の海に近づいたりしそうです。死亡フラグなのでこれはよくない。

幼い頃に見た絵本の再現。説明がなくても物語を感じたりしていた昔の絵本のごとき、お子様のシュールな認識感覚、ダイレクトにすごいものを知識なくすごいと感じるようなダイナミズムといいますか、、、、そういうのを今一度よみがえらすみたいな映画だったなぁと。

それはピカソがアカデミズムな知識をいったん捨て、お子様の描くごとき絵を再現しようとしたがごとく、宮崎駿もまた、アニメなどで手垢がついたようなそういう大人的お約束を取っ払いたかったんじゃあるまいか?などと思ったが、どうだろうか。
アンデルセンの人魚姫がベースにあるようで、実はオーソドックスな童話世界を再現したかったのかなとおもったです。よくかんがえたらアレも理不尽な話だ。

そいや。「怖い」という話を書いたが、昔の童話は怖いというか残酷なのが多い。同じように宮崎駿の映画も時々怖い。子供に見せると泣く。『もののけ姫』は全体的に怖いし、『千と千尋』の両親がやたらどんどん食べて豚になるシーンはすごく怖い。アンデルセンとかグリムに共通するような怖さがあるなと思ったりします。

個人的には金魚のポニョが好きで、触ってみたいです。あとポニョ母ちゃんエロ杉。